- CULTURE
- May 15, 2017
ロサンゼルスはなんだかんだで憎めない街だ。札束に埋もれたハリウッドに、ギラギラしたショービジネス、日焼けが似合うビーチの民、可笑しくなってしまうほどにひしめき立つパームツリー。そんなどこかキッチュなカルチャーやお決まりの風景の端々に、時おり鋭利で小粋な“本気”をチラつかせてくるから。
たとえば、それはとにかく威勢がいい荒削りの「LAパンク」だったり。それから、LAパンクのど真ん中を突っ走った「破天荒で粋な女パンクロッカーたち」だったり。
パンクはパンクでも、LAパンクは、ニューヨークパンクやロンドンパンクと少し趣が違う。セックス・ピストルズやザ・クラッシュ、ザ・ストラングラーズを代表とするロンドンパンクは、社会の腐敗や階級社会への鬱憤と直結していたアナーキー気質かつ政治的。
ニューヨークパンクは、ザ・ヴェルヴェット・アンダーグラウンドだったり、ザ・テレヴィジョンやトーキング・ヘッズだったりと、アングラでアート志向なインテリ肌だと一般的に語られている(ザ・ラモーンズのようなわかりやすい3コードパンクも存在したが)。
対して、のちのハードコアにも派生していくことになったLAパンクには、常に「roughness(粗野な)」「violent(激しい)」「simple(わかりやすい)」という枕詞がついている。そして、「強烈なガールズパンクロッカー」がわんさかいたのもまた、LAパンクだった。
革ジャンに濃いアイメイク、網タイツ姿のグラマーで、強烈なセックスアピール。そんな彼女らを前にしたら、“NYパンクの女王”パティ・スミスの文学的で中性的な美や、“NYパンクのセックスシンボル”、ブロンディのデボラ・ハリーがもつ愛くるしさは吹っ飛んでしまう。小難しいことは大口を開けて笑い飛ばすようなカラっとした親しみやすさが、LAパンクの女たちにはあるように思える。
だから、「なんでパンク姐ちゃんたちを撮ろうと思ったかって? そりゃ、彼女たちがただただ最強にイカしていたからだよ!(Because they were just beautiful and sexy!)」と即答してしまうモシェ・ブラカ(Moshe Brakha)のような大御所写真家がいたって、なんら不思議ではない。
「俺はイスラエルで生まれて、ハリウッドで生まれ変わった」。自らのミドルネームにあだ名として“ハリウッド”と入れてしまうほど、欲望と名声の街に心酔した写真家のモシェ・“ハリウッド”・ブラカ(70)。マドンナやビースティー・ボーイズなどの有名アーティストから、シュワルツネッガーやキアヌ・リーブスなどのセレブリティまでを数十年にわたって撮影、まさに絵に描いたようなハリウッド・ドリームを掴んだ男だ。
出版されたばかりのモシェの写真集『LA Babe:The Real Women of Los Angeles 1975-1988』には、
パンクシーンの女たちの他にも女優やチアガールなど、ロサンゼルスの力強い女性たちの姿が収められている。
そのもう一方で、70・80年代のLAパンクシーンに入り浸った。被写体は、伝説のガールズパンクバンド「ザ・ランナウェイズ」や、LAパンクバンドの重鎮「X(エックス)」の紅一点・エクシーンなどのアイコンや、地元のガールズパンクバンド、バーの常連客、バンドのグルーピー、バーテンダー。ハリウッドのど真ん中にあったアウトサイダーの溜まり場で、モシェは「セックス・ドラッグ・アンド・ロックンロール」を文字通りに生きる、挑発的な女たちを撮って撮って撮りまくった。
彼が仕事場としたハリウッドのパンクシーンは、小さなコミュニティだったという。2、3のクラブとバーが溜まり場で、そこでは男女関係なくパンクロッカーたちが集い、家族のように混ざりあっていた。「そりゃ、当時パンクはメインストリームカルチャーからは煙たがられていたさ。パンク姐ちゃんたちのあんな下着みたいな格好は、一般人にとってはクールじゃなかったね」
ハリウッドの中心、いわば“大衆文化・商業主義のデパートメント”に堂々とあった、パンクのカウンターカルチャーコミュニティ。みな日中は別の仕事をしていて、夜になれば、演奏したい、音楽を聴きたいがために集まる。商業的な成功なんてあまり考えていなかった、とモシェは言う。
「でね、LAパンクでおもしろいのは“ファッション”だな。ロサンゼルスには『スリフトショップ(thrift shop、古着屋)カルチャー』があって、ムーブメントになるほどでもあった。彼女たちは、古着屋でピックしたアイテムを上手に組み合わせて、オリジナルのパンクファッションを楽しんだんだよ」。
ヴィヴィアン・ウェストウッドやジャン=ポール・ゴルチエのようなパンキッシュなハイブランドで固めるのではなく、中古服でも自分のスタイルでパンクにしてしまう、DIYな女たちの気質があった。
「女性は色気があって、なんぼでしょ」。モシェに撮られた女パンクロッカーを見ていると、そんな声が聞こえてくるような気がする。
パンクという男中心のロックシーンに飛びこんでいくからといって、男のような格好はしない。アイラインを力強くひいて、ミニスカートで肌を露出し、女を全開にして乗り込んだ。
「だけど、彼女たちの頭に“フェミニズム”という意識は、まっぴらなかったと思うよ。単に、自分の性的魅力を惜しみなく解放しただけ。歯に衣着せず、芯がとにかく強かった」。
グラマラスにロックアウトしていた彼女たちに小難しい思想は抜きだ。だが、その姿には現代社会のフェミニズムの風潮「フェミニズムとは女性が自由な選択をすること。女性本来の美しさやセクシーさを残しながら強い女性でいることができる」が合う。セクシーさと、男勝りな力強さが潔く同居するLAパンクガールズたちの「無意識のフェミニズム」に、“女性像”の原点があるように思えてならない。いや、セクシーだからこそ、女だけが持てる強さを見せたのか。
「LAパンクにはソフトさなんてひとかけらもなかったね、とにかくハードだった。考えも態度もパンチが利いていて、ファッションも他のパンクと比べて、どこか“自由でオープン”。歌詞もほとんど“FUCK YOU!” 。はっはっは」。ひとしきり笑ったあと、モシェは当時のパンク女たちを思い出してしみじみつぶやいた。
「俺は、つまり“反抗的な女性”に惹かれたってことだ。ワルけばワルいほど、俺には魅力的に映ったんだ」
Interview with Moshe Brakha
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All photos by Moshe Brakha
Text by Risa Akita
Content Direction & Edit: HEAPS Magazine
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