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【大相撲】

稀勢の里がいきなり嘉風に完敗 左封じられた

2017年5月15日 紙面から

嘉風(手前)が押し出しで稀勢の里を破る=両国国技館で(河口貞史撮影)

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◇夏場所<初日>

 (14日・両国国技館)

 満員御礼の国技館に悲鳴とため息が渦巻いた。左上腕付近に負傷を抱える横綱稀勢の里(30)=田子ノ浦=が、小結嘉風に一方的に押し出されて黒星スタートを喫した。横綱2場所目で初めて番付最上位の東正位に就いた今場所。3場所連続優勝にも注目が集まる中、不安が残る出だしとなった。 

 悲鳴に飲み込まれるように、稀勢の里は土俵下へ沈んでいった。嘉風の右おっつけに、最大の武器である左からの攻めが完全に封じられた。

 双葉山以来、80年ぶりとなる史上4人目の初優勝からの3連覇をかけて挑んだ初日。横綱土俵入りで「日本一!」のかけ声を浴びた。祈るように手を合わせて見つめるファンもいた。期待と注目が大きかっただけに、あまりに一方的な敗戦による落胆、衝撃も大きかった。

 八角理事長(元横綱北勝海)が「やっぱり攻められたよね。いつもならおっつけながら左を差すが、きょうはいきなり差しにいった。不安を取り除いてないし、自信がないようだ」とみるのも当然のことだろう。

 ただ、そんな敗戦でも稀勢の里の心までは打ち砕けなかった。「またあした。(左は)悪くないです。相手が強いから負けた。相手が上回ったんじゃないですか。我慢できればね」。弱音は一切吐かなかった。

 新横綱場所の春場所で左大胸筋、左上腕二頭筋を負傷しながら伝説となる逆転優勝を飾った。その代償で春巡業を全休したが、部屋で下半身中心の基本運動を重ねた。関取衆との稽古は初日まで残り1週間となった6日から。

 急場しのぎにも見えたが、出場を話し合った師匠の田子ノ浦親方(元幕内隆の鶴)は「病院の先生とは意見が違ったかもしれません。ただ、本人が(いいよと)言わせる稽古をしていた。後ろ向きな発言も一切なかった」と稀勢の里を信じて出場を認めた。

 初日に臨む朝も、当初から出場の意志に揺るぎはなかったかと聞かれると「同じ質問ばっかだな」。そう言って笑い飛ばした。

 場所前の12日、相撲の始祖である野見宿禰(のみのすくね)がまつられる野見宿禰神社で土俵入りをした。場所後の6月4日には太刀持ち、露払いに隠岐の海、北勝富士を従えて茨城・鹿島神宮で土俵入りを披露することが決まっている。

 その言い伝えは野見宿禰より古く、鹿島神宮の祭神である建御雷神(たけみかづち)と、諏訪大社の祭神である建御名方神(たけみなかた)の力比べが相撲の起源と伝えられている。

 優勝制度ができた1909年夏場所以降、初日から2連敗して優勝した例はない。だが、この困難を乗り越えたとき、再び伝説が待っている。 (岸本隆)

 

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