人類小史――進歩と退歩:オーストロ・リバタリアン再構成

ハンス=ヘルマン・ホッペ 著

目次

第一章 私有財産と家族の起源について

第二章 マルサスの罠から産業革命へ:社会進化の省察

第三章 貴族主義から君主主義へ、そして民主主義まで


導入:オーストロ・リバタリアン再構成

以降の研究は人類史上最も重大な三つの出来事を説明する試みである。

第一に、私は私有財産と特に地表土地の起源を説明し、そして家族を、すなわち、約一一,〇〇〇年前に近東の肥沃な三日月地帯で新石器革命とともに始まり、それ以来――十九世紀後半まで――あらゆるところで人間的生活の刻印を形作りこれを残すに至った、農業と農業的生活の制度的基礎としての、家族と家族世帯の起源を説明する。

第二に、ほんの二百年前の約一,八〇〇年にイギリスで始まった産業革命の起源を説明する。それまで数千年間、人類はマルサスの条件の下で暮らしていた。人口成長は恒常的に利用可能な生計手段を侵食していた。あらゆる生産性の増大は、人口の圧倒的大多数派の実質所得を恒常的にほぼ最低生活水準、いわば生存水準へ押し下げるように拡大する人口規模によって、すぐに「食い尽くされ」てしまっていた。一人あたり所得の増加兼ね備えた人口増加を成し遂げることができるようになったのは今日までのほんの二世紀だけである。

第三に説明するのは、究極的意思決定の領土的独占者たる国家の並行的な起源と発達である。すなわち、領土居住者に対して立法課税する権力を授かった制度と、「絶対」君主を伴う君主制国家から二十世紀に頭をもたげた「絶対」人民を伴う民主制国家への変遷である。

これで導入には十分であり、読者はすぐに以降の章に進めるはずだが、哲学志向の読者のために、ほんの幾つかの追加的な所見が加えられてもいいだろう。

十二世紀初期まで、以降のものは社会学的な研究に分類されていたものだ。しかし二十世紀の間に経験主義・実証主義・反証主義的な哲学が成し遂げた台頭とそのますます優勢な影響力のせいで、とかくするうちに、社会学という用語は非常に異なる意味を獲得してしまっている。経験主義的な哲学によれば、規範的な疑問――正義の疑問、「正」と「不正」の疑問――はちっとも科学的な問題ではない――それに応じて現代の「科学的」社会学は教条主義的に(「何でもあり」の)倫理相対主義の何らかの変種に入れ込んでいる。そして経験主義的哲学は非仮説的、反証不可能、または総合的先験的な法則と真理を定言的に排除している――それに応じて現代社会学は教条主義的にも(「何でもありうる」の、「何事も確実ではありえない」と「何事も最初から締め出すことはできない」の)経験相対主義の何らかの変種に入れ込んでいる。私の研究は「良い経験主義者」たるものすべしともしかるべしとも考えられないようなありとあらゆることを行う。というのも私は経験主義実証主義哲学を間違っており非科学的であると考えており、特に社会科学へのその影響を純然たる知的大災害だと見なしているからだ。

倫理は科学ではないだの、正義の普遍的な原理は存在しないだの、道徳的な進歩を退歩と区別する「真の」(非恣意的な)基準はないだのは、証明可能に虚偽である。そして同様に、人間行為と相互行為の普遍的で不変的な法則は存在しない、すなわち、可能であることと可能でないこと、人事で成功裏になされることができることとできないことの法則はないだの、所与の問題や目的に対する正しい成功裏の行為と間違っており非難さるべき行為に分けて判断する非恣意的な基準はないだのは、証明可能に虚偽である。

第二の「実証的」な主張に関して言えば、それは古典派経済学の本体全体に矛盾している。限界革命期において、特にカール・メンガー(1840–1921)と彼の『国民経済学原理』(1871)に創始されルートヴィヒ・フォン・ミーゼス(1881–1973)と彼の卓絶した『ヒューマン・アクション』(1940)で絶頂を迎えたウィーンの分枝によって再構成され、改良され、一層前進させられ、以来オーストリア派経済学として知られるようになった古典派経済学は、非仮説的に真なる人間行為の法則、人間行為学(プラクシオロジー)――行為の論理――の、そして人間行為学的法則の壮大な包括的システムを提出している。

どんな歴史的出来事の説明も、人間行為学を――そして特にルートヴィヒ・フォン・ミーゼスを――考慮に入れなければならず、仕事に際して不十分にしか経験的ではないのは「経験主義者」である。彼らは社会的世界の観察に際して人間行為学的な不変と一定の関係を否定したり無視したりすることで、木を見て森を見ずにいるのである。

第一の「規範的」な主張に関して言えば、それは私法の本体全体に矛盾しており、特に、希少資源をめぐる個人間紛争の継続的な発生に応じて発達したところの財産と契約の法に矛盾している。ストア派の古い「自然法」の伝統からローマ法を経て、スコラ学派の法へ、そして現代の世俗的「自然権」の伝統へと、法律問題に関する学術文献と法典が十九世紀まで現れており、これは当然いかなる倫理相対主義者をも青ざめさせる。

この伝統は我々の時代において、とりわけマレー・N・ロスバード(1926–1995)によって救助され、復興され、改良され、彼の『自由の倫理学』(1981)において、今日に至るまで最も包括的なる自然法システムへ、そしてリバタリアニズムの政治哲学へと厳密に再構成された。歴史的な出来事と発達のどんな規範的評価も、恣意的な趣味の表出以上のものを主張するもの、つまり科学の類を志すのであれば、リバタリアニズムと特にロスバードを考慮に入れなければならない。

それゆえ、私の人類史の研究を導く方法を示すために、私の小冊の副題は、『オーストロ・リバタリアン再構成』と相成った。

私が人類史で説明したい出来事は、必然的でも予め決定されているものでもなく、偶然的経験的な出来事であるから、私の研究は経済学やリバタリアン理論の課題ではない。この研究は歴史を現実どおりに伝えなければならないし、あらゆる既知の事実を考慮しなければならない。この点に関して私はいかなる独創性も主張しない。私は未知の事実を新発見したわけではないし、確立した発見に意義を唱えるわけでもない。私は他の人たちが既知の事実として確立した事柄に依拠する。しかし事実も出来事の年代学もそれら自体の説明や解釈を含んではいない。私の研究を区別するのは、私の研究がオーストロ・リバタリアニズムの概念的視座で、すなわち、人間行為学(経済学)とリバタリアニズム(倫理学)の背景的な知識をもって、人類の歴史を説明し解釈するという事実である。この研究は、人間行為学と倫理学の法則の非仮説的または先験的な性質に気づいており、そのような法則は、所与の歴史的なデータの集合について考えられるすべての説明と解釈のうち、どの説明や解釈が可能でありかつ可能的仮説的に真である(ゆえに科学的に許容可能である)と考えられることができるか、そして、不可能でありかつ不可能的に真であるとして排除されることができるし排除されなければならないかに厳格な論理的制限を課すという事実に気づいたうえで行われる。そういうわけで、歴史は理性的に再構成される。すなわち、あらゆる可能的に真なる経験的な説明と解釈は「データ」のみならず特に人間行為学的および倫理学的な法則にも応じなければならないし、そのような法則と相容れないようなあらゆる説明や解釈は、たとえ見かけ上は「データに適う」ようであっても、経験的に虚偽であるのみならず、ちっとも科学的に許容可能な説明や解釈ではないという知識をもって、つまり、理性的に再構成されるのである。

かく再構成され語り直された歴史は重大な程度に修正主義的な歴史であり、優勢なる左翼の「主流派」が言うに違いないようなことの多く乃至ほとんどすべてに反対するだけではなく、私の研究では人間の不平等性わけても不平等な認知的能力と精神的気質に強調が置かれるせいで、一部界隈の「ポリティカル・コレクト」と「進歩主義」の、いわゆる「コスモポリタン」な体制派リバタリアンに大いに公言され宣言されてきたものにも反対する。

かくて、人類史上初の重大な出来事たる新石器革命は人間知能の進化における第一次の大きな進歩的一歩の認知的偉業として再構成される。土地私有と家族の制度および農耕牧畜の実践は理性的な発明として、人口の増加と土地の稀少性増大のバランスを取る、部族的な狩猟者と採取者が直面した問題の新しい革新的な解決として説明される。

同様に、産業革命は人間の合理性の発達におけるもう一つの大躍進として再構成される。農業の最初の発明と以降の普及およびその世界規模の模倣で一時的には解決された、土地と人口規模のバランスをとるという問題は、最終的には再発生せざるをえなかった。人口規模が増加するかぎり、一人あたり所得が増加できるのは生産性の増加が人口増加を凌ぐ場合にのみである。しかし、着実な生産性増加、すなわち生産のための新しいかもっと効率的な道具や、もっと多いか新しいかもっと良い生産物の継続的な発明には、継続的に高い水準の人的知能、独創性、忍耐力、創作力が要求される。そのような高い水準の知能が欠如するところはどこであれ、そのかぎりにおいて、人口成長は一人あたり所得を低下させる――向上させない――に違いない。そしたら、産業革命とは人間の合理性がマルサスの罠からの脱出を十分可能にするほどの水準に達した時期を記録するものである。かかる脱出は幾世代にもわたる一層知能的な人口の「繁殖」の成果として再構成される。もっと高い知能はもっと大なる経済的成功になって、淘汰的な婚姻政策と家族政策と組み合わさった経済的成功はもっと大なる生殖的な成功(生存する子孫の数のもっと大なる生産)になった。これが人類遺伝学の法則と組み合わさって、市民的遺伝質は時の経るにつれもっと知的で器用で革新的な人口を生産した。

最後に、新石器革命と産業革命は生活水準を食い破る人口規模のしつこい問題に対する正しい革新的な解決として、ゆえに偉大な知的進歩として再構成されるかたわらで、第三の説明さるべき重大な出来事とは国家の発明である。国家は究極的意思決定の領土的独占者であり、その君主制国家から民主制国家までの継続的な変遷は累積する知的――道徳的かつ経済的――な錯誤の続発であり、人類の合理性の発達における後退り、そして産業革命で達せられた偉業に対する増大中の脅威であると再構成される。国家は成し遂げるべしと想定されていることを成し遂げることがその構成からして不可能である。国家は正義を生産すると、すなわち法を支持し執行すると想定されているが、その立法する権力をもって、国家は自分の好き勝手に法を破ること、法を作ることができ、そうして不正義と道徳的腐敗を生産すことができる――しかも不可避的にそうしてゆく。そして国家はその臣民・国民の財産を外国の侵略から保護すると想定されているが、その臣民・国民に課税する権力をもって、彼らと彼らの財産を保護するためではなく国家自体を、そして国内外のいわゆる「侵略者」に対する国家収用を「保護する」ために、彼らの財産を収用することができる――しかも不可避的にそうしてゆく。「収用する財産保護者」として、すなわち、根本的に「寄生的」な制度として、国家はいつだって富の生産を妨げずにはいられないし、そうして一人あたり所得を押し下げずにはいられない。

以降の研究と組み合わせて、私は壮大な社会理論の古い伝統にささやかな貢献を行い、長い人類史の経過をその始原から現在まで一層知解可能にしようと望む。

ハンス=ヘルマン・ホッペ

イスタンブール、二〇一五年一月


序文

ハンス=ヘルマン・ホッペは我々の時代の最も優れたリバタリアンな学者の一人である。彼は有名なドイツ人哲学者兼社会理論家たるユルゲン・ハーバーマスに珍重された生徒として始まった。ハーバーマスは献身的なマルクス主義者であったし、今でもそうである。彼は悪名高いフランクフルト学派の指導者を務めている。

ハーバーマスはハンスに非常に感服していたし、この著名なマルクス主義者の後援の下で、ハンスは自国ドイツで学会キャリアの花形を期待するだけの十分な理由があった。しかしすぐに問題が生じた。自由を愛する者全員にとっては幸いなる結果となった、問題が。ハンスはすぐに、彼を育んだ左翼主義と社会主義が知的に不毛であり、道徳的に破綻していることに気づくに至ったのである。彼は自力でルートヴィヒ・フォン・ミーゼスとマレー・ニュートン・ロスバードの偉大な作品群を発見したのだった。

オーストリア学派の経済学とマレーのアナキズムはハーバーマスが念頭に置いていたものではなかった。ハンスはリバタリアンになったせいで、たとえ彼の知的業績が簡単にその基準を満たすとしても、事実上、ドイツの一流大学の教授になる見込みを失った。それでもハンスはマレーのように、完全な知的清廉の学者である。彼は自身のキャリアにとって何が犠牲になろうとも、真理なりと自ら悟るに至ったものを曲げはしなかった。

ニューヨークで教師をしていたマレーとともに学ぶため、ハンスはアメリカ合衆国に行くことを決意した。私が彼に会ったとき、私はハンスがロスバード派の原理に固く関わっていることと、彼の知的能力に心を打たれた。もちろんマレーも、ハンスの潜在力を直ちに把握した。マレーがラスベガスのネバダ大学で経済学の恵まれた教授職に指名されたとき、彼はハンスも同様に経済学部で地位を得られるよう働きかけた。彼ら二人は一緒になって、ラスベガス・ネバダ大学を、オーストリア学派の経済学を学ぶための主要な拠点にした。学部同僚の多くの反対に直面してなおそうしたのだった。

マレーはハンスの主要な諸議論のうちの一つに特に興味をそそられていた。ハンスの教師ハーバーマスは理性的議論に従事する条件に基づいた倫理のアプローチを開拓した。ハーバーマスが到底承認しないような方法で、ハンスはハーバーマスの理論を逆立ちさせた。ハンスが説明した論議倫理は、社会主義を支持する代わりに、自己所有と私有財産に力強い支持を提供したのである。マレーはハンスの議論に心から賛成し、これを高く賞賛した。いわく、

ハンス・ホッペは……自明の公理からアナルコ・ロック的権利倫理を演繹した。それだけではなく、ちょうど行為公理それ自体が否定したり不同意したりできないように、アナルコ・ロック的権利倫理は直ちに自己矛盾と自己論駁に陥らずには否定したり同意しなかったりすることが不可能であると論証した。(Liberty, November 1988)

ハンスはハーバーマスをひっくり返したが、それでは飽き足らず、再び従来の意見を覆した。ハンスはマレーと同じように、アナルコ資本主義者である。最善の政府とはまったくの無政府である、と。それでもなおこの疑問が生じる。諸国家の世界において、どの種の政府が一番マシか? ほとんど誰もが「民主制」と言うところだ。あいにく、多くのリバタリアンもこれに同意する。しかしハンスは彼の傑作たる『民主主義―失敗した神』で、民主主義は浪費的な支出と無鉄砲な政策に至ることを示した。権力を握る者は自分が有限な時間しか政権を担当しないと知っている。彼らの態度は「手に入れられるものを今すぐ手に入れろ」となってゆく。対照的にも、王君は比較的非搾取的になる傾向がある。彼は一時的な支配者ではないし、繁栄した王国を相続者に譲りたがるから、服従者の生命と財産を維持しようと試みるだろう。もちろん、ハンスは君主制が「良いものだ」とは言わなかった。民主制よりはマシだと言ったのだ。ハンスに影響を与えた偉大なカトリック教徒兼古典的自由主義者のエリック・フォン・クーネルト=レディンはこれを輝かしい洞察だと述べた。

『人類小史』に収録される詳論の一つ、「貴族主義から君主主義へ、そして民主主義まで」は、ハンスの立場を要約している。この才気煥発な作品の読者は、もしも君主制が民主制より良いならば、貴族制はもっと良いと悟るだろう。もしもハンスの作品をかつて読んだことがなかったら、あなたを待ち構えるご馳走にめぐり合える。彼はほんの数ページで、あなたがこれまで政府に関して読み聞きしてきたことをすべて疑問に思わせるだろう。

ハンスは『人類小史』の至るところで、オーストリア学派の経済学の教えが歴史を理解するためにどう役立たせられるかを示している。そうする際に、ハンスは彼の偉大な指導者、マレー・ロスバードが引いた道筋に従ってゆく。マレーのように、ハンスはほぼ普遍的な関心をもった学者である。彼は人類学と社会学に完全に精通しており、同様にして、世界史、経済学、哲学にも慣れ親しんでいる。

ハンスは彼の膨大な知識とオーストリア派の洞察に頼りつつ、ここで二つの疑問に取り組んでいる。家族と私有財産はどう創設されたのか? 産業革命はどう開始したのか? 読者におかれては、安全な財産権と自由市場の発達が人間の進歩にとっていかに本質的であったかが分かることだろう。そしたら我々の時代にとっての疑問はこうだ。これらの発達が人類の大いなる利益のために継続するだろうか、それとも国家がこれらを阻止することはできるだろうか。

『人類小史』は歴史を解説するための経済学と哲学の使用に際して、オッペンハイマーの『国家論』、ノックの『我々の敵、国家』、チョドロフの『社会の盛衰』のようなリバタリアンの古典を思い出させてくれる。『人類小史』は、一流の社会思想家であり傑出したリバタリアンの思想に向けた、理想的な入門篇である。

ルウェリン・H・ロックウェル二世


著者について

ハンス=ヘルマン・ホッペは一九四九年七月二日に西ドイツのパインで生まれた。哲学、社会学、歴史、経済学の研究のため、ザールブリュッケンのザールラント大学、フランクフルト・アム・マインのゲーテ大学、アナーバーのミシガン大学に出席した。彼はフランクフルト・アム・マインのゲーテ大学から博士号(哲学1974)と「ハビリタツィオン」(社会学と経済学1981)を取得した。

彼はドイツの幾つかの大学とイタリアはボローニャのジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究ボローニャセンターで教師を務めた。彼はマレー・ロスバードの下で研究すべく、一九八五年にドイツからアメリカ合衆国へ移住した。彼はロスバードの一九九五年の逝去まで彼の親密な仲間であり続けた。

オーストリア学派の経済学者、リバタリアン/アナルコ資本主義者たる彼は、現在はラスベガスのネバダ大学の経済学教授であり、ルートヴィヒ・フォン・ミーゼス研究所の特別研究員であり、『リバタリアン研究ジャーナル』の前編集者(一九九五年~二〇〇九年)であり、財産と自由協会の創設者と会長(二〇〇六~現在)である。

ホッペ教授は多方面にわたって著述活動を行っており、彼の出版物には、『民主主義―失敗した神』“Democracy: The God That Failed”、『国防の神話』“The Myth of National Defense”、『私有財産の経済学と倫理学』“The Economics and Ethics of Private Property”、『社会主義と資本主義の理論』“A Theory of Socialism and Capitalism”、『行為と認識』“Handeln und Erkennen”、『大虚構』“The Great Fiction”、『因果科学的社会予想批判』“Kritik der kausalwissenschaftlichen Sozialforschung”、『所有、アナキー及び国家』“Eigentum, Anarchie und Staat”、『悪党の競争』“Wettbewerb der Gauner”、など、そして、哲学と経済学と社会科学に関する多数の記事が含まれる。彼の作品群は十三の言語に翻訳されてきた。彼は経済学者グルチン・イムレ・ホッペ教授と結婚し、妻とともにイスタンブールに住んでいる。


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第一章 私有財産と家族の起源について

第二章 マルサスの罠から産業革命へ:社会進化の省察

第三章 貴族主義から君主主義へ、そして民主主義まで