貴族主義から君主主義へ、そして民主主義まで

Hans-Hermann Hoppe, A Short History of Man.

私は以降で歴史的な謎を記述し、それから幾らかの詳しさでその解決と解答を行いたい。

しかしその前に、ほんの幾つかの短い一般的で理論的な観察をする必要がある。

人々は相互の完全な調和においては生きていない。むしろ彼らの間には、繰り返し繰り返し紛争が発生する。これらの紛争の源泉はいつも同じである。財の稀少性だ。私は所与の財GでXしたい、かつ同時に、あなたは同じ財でYをしたい。あなたと私がGで同時にXとYを行うことは不可能であるから、あなたと私は衝突するに違いない。もしも財が過剰に存在したら、すなわち、もしもたとえばGが無限の供給で利用可能だったならば、我々の紛争は回避されることができる。我々は二人とも同時にGで「我々のすること」をすることができるだろう。しかしほとんどの物は過剰には存在しない。人類がエデンの園を去って以来、我々のあたり一面には稀少性があったし、つねに稀少性があるだろう。

人間的な全利益の完全調和の欠如と人間的な永遠の稀少性条件の所与を鑑みれば、個人間紛争は人間的生活の不可避な部分であり、平和に対する恒常的な脅威である。

稀少財をめぐる紛争に直面しながらも、また理性を授かっており、もっと正確に言えば、人間的理性の顕現そのものである、意思を疎通し伝達する、互いに討議し論議する能力を授かっているので、人類は、そのような紛争を回避するにはどうしたらいいか、生じるはずのそれら紛争を平和的に解決するにはどうしたらいいかという疑問に直面してきたし、永久に直面することになる。[1]

さて、人々の集団が個人間紛争の現実に気づき、この窮地から脱する方法を探していると仮定しよう。そして私が解決として次のとおりに提案したと想定しよう。私自身が関与する紛争も含め、ありとあらゆる紛争の事例において、私がけりをつけてやろう。稀少資源をめぐるどの論争に際しても、誰が何を所有するか、それに応じて、いつ誰が正しいか、または間違っているかについて、私が究極的な裁判官となろう。こうすれば、ありとあらゆる紛争が回避されるか潤滑に解決されることができる。

私がこの提案であなたや他の誰かの同意を得る見込みはどうだろうか。

私の憶測では、私の見込みは事実上、ゼロ、皆無である。実際、あなたもほとんどの人々もこの提案を馬鹿馬鹿しいと思うだろうし、たぶん私を気違いと見なして精神科での治療がいると考えるだろう。というのも、あなたはこの提案の下で自分が文字通り生命と財産の危機に瀕しているとすぐ気づくだろうからだ。なぜならばこの解決法は私があなたとの紛争を惹起するか挑発することを許すだろうし、この紛争を私好みに決着付けることを許すだろうからだ。実に、この提案の下では、あなたは本質的にあなたの生命と財産の権利を明け渡すことになるだろうし、そのような権利の見せ掛けすら明け渡してしまうだろう。私があなたを生かすと決定し、あなたがあなたのものと見なすものを持たせてやると決定する場合、つまり、私があなたにそのような権利を認める場合にかぎり、あなたは生命と財産への権利を有する。究極的には、私が生命への権利を有し、私がすべての財の所有者である。けれども――ここに謎がある――この明らかに気違いじみた解決法が、現実なのだ。どこであれあなたが目を向けるところでは、それは国家の制度の形で実施されている。国家はあらゆる紛争の事例の究極的な裁判官である。その判決を超えて訴える宛てはない。もしもあなたが国家との紛争、そのエージェントとの紛争に巻き込まれるならば、誰が正しく誰が間違っているかを決定するのは国家とそのエージェントである。国家はあなたに課税する権利をもつ。これによって、あなたがあなたの財産をどれほど保持することが許されるかを決定するのは国家である――すなわち、あなたの財産は単なる「フィーアト」財産、あるいは「法定」財産になる。そして国家は法律を作ること、つまり立法することができる――すなわち、あなたの生命全体が国家のなすがままになる。それはあなたが殺されることすら命令できる――あなた自身の生命と財産の防衛に際してではなく、国家の防衛に際して、もしくはなんであれ国家がその「国家財産」の「防衛」と見なしたものに際して。

それでは、これこそ私が幾らかの長さで今取り組もうと望むところの疑問なのだが、そのような素晴らしい、まったくの気違い制度は、どうしたら存在することができたのか? 明らかに、これが最初から、自生的に、理性的な人間の熟慮から発達することはできなかった。実際、歴史的にはこれが発生するには数世紀かかったのである。私は以降でこの発達を一歩一歩再構成したい。封建制の王君と領主の中世初期ヨーロッパ、多くの不完全性で粗雑ながら自然な貴族的社会秩序に始まり、十八世紀から二十世紀初期までの歴史的段階にかけて、初めに絶対王君へ、次に立憲王君と古典的君主制へと次々に置換されてゆき、ついには古典的君主制から、フランス革命の開始と一九一八年以降の第一次世界大戦の終結をもって完成するに至った、民主制(議会的な共和制や君主制)への連続的な置換と終局的な交換だ。

我々は学校ではこの発達全体を進歩と習った――歴史はつねに勝者に書かれるのだから驚くにはあたらない――けれども、私はここで、これを、進行中の愚行と腐敗の話として再構成しよう。そしてこの、私の修正主義的な歴史説明の見解でいつも生じるだろう疑問にすぐに答えておこう。ああそうだ、現在の世界は中世と君主時代の人々より豊かである。しかしこれはこの発達ゆえに豊かなのであるとは示していない。事実、私は以降において、人類がこの期間に経験した社会的富と一般的生活水準の増加は、この発達にもかかわらず生じたのだ、もしも当該発達が起こらなかったとしても富と生活水準の増加が生じていただろう、と間接的に論証しよう。それでは再び、現実の、理性的な、平和志向の人々は、社会的紛争問題をどう解決してきたのだろうか? ここで私に「現実の」という言葉を強調させてほしい。この疑問を考察しながら私が念頭に置く人々はゾンビではない。彼らは稀少性と時間に制約されないロールズ流の「無知のベール」の裏側には座っていない。(ロールズがあのような前提から最も捻くれくさっれた結論に達したことは驚くにあたらない!)彼らは熟慮を始めるとき、いわば、人生のさなかにあるのだ。彼らはむしろ、稀少性と時間制約の不可避な事実にあまりにも馴染みすぎている。彼らはすでに働いているし生産している。彼らは他の働き手と生産者と交際しており、彼らはすでに多くの財を専有し、それらを物理的な制御の下に置いている、つまり所持している。実際、彼らの論争はいつも変わらず、以前には論争されていなかった所持物をめぐる論争である。この所持がさらに尊重されるべきか、所持者が正当な所有者と見なされるべきか否か。

私が提案する、人々が最も受け入れそうな解決はこうだ。万人は、とりあえず、あるいは一応、彼がすでに事実上これまで争議なく制御し所持する財すべての所有者であると推定される。これが開始点だ。彼は所持者として一応、これらの財を制御せず所持しない他の誰よりも、当該の物への良い請求権を有している――したがって、もしも他の誰かが所持者のそのような財の制御に介入するならば、この人物は一応不当であり、彼には証明責任が、すなわち、そうではないと示す責任がある。しかしながら、この最後の条件がすでに示しているとおり、現在の所持者であることは正当であるに十分ではない。第一者の、実際の所持者の有利とする推定があり、実際の制御を有する者や何かの最初の制御を有する者であるとの証明はつねに紛争解決の試みの最初から有効である(なぜならば、繰り返すが、あらゆる紛争は、すでに何かを制御する誰かと、彼の代わりにそうしたがる他の誰か、彼らの間の紛争であるからだ)。しかしこの規則には例外がある。もしも他の誰かが、当該の財が以前は彼に制御されており、彼の意思と合意に反して現在の所有者が彼から取り去ったと――それが彼から窃盗されたか強奪されたと――証明できるならば、財の実際の所持者は正当な所有者ではない。もしも彼がこれを証明できるならば、所有権は彼に復帰し、彼と実際の所持者の間の紛争に際しては、彼が正当であると判断される。そしてもしも物の現在の所持者が当該の物を他の誰かから幾らかの時間に何らかの言明された条件の下で貸借しただけであり、この他人がたとえば先立つ貸借の契約や同意を提出することでこの事実を証明できるならば、同様にして、彼はその所有者ではない。それに、もしも物の現在の所持者が被雇用者として他の誰かの代わりに当該の物を使用するか生産するために働き、雇用者がたとえば雇用契約を提示することでこれを事実と証明できるならば、彼もまたその所有者ではない。[2]

 

何かの現在制御者兼所持者、彼に対して彼と同じ物の制御を請求する対抗的な他の人、両者の間の紛争に判決を下す際に利用される基準、原理は明らかであり、これに関しては現実の人々の普遍的な同意が達せられるし達することになるだろうと安全に想定されることができる。そしたら、実際の紛争で欠如しているものは、法の欠如ではなく、つまり無法ではなくて、事実に関する同意の欠如でしかない。そして裁判官と紛争調停者の必要は、法作りの必要ではなくて、事実発見の必要と、所与の法律を個別的訴訟と特定的状況に適用することの必要である。別の言い方をすれば、熟慮が結果する先はこうだ。法律とは作られるものではなく発見さるべき所与のものであるということと、裁判官の任務とは専ら所与の法律を確立済みの事実か確立さるべき事実に適用することでしかない。

法を作ることではなく所与の法を適用すること、専門的な裁判官と調停者と仲裁人が紛争当事者に需要されると仮定したら、人々はこの需要を満たすために誰に頼るだろうか? 明らかに、彼らは誰にでも頼るわけではないだろう。なぜならば、ほとんどの人々は知的能力がないか、上質な裁判官に必要な性格ではないからであり、ほとんどの人々の言葉には権威がないし、尊重され遵守される機会はあったとしてもわずかにすぎない。その代わり、彼らの紛争を解決し、他人によって永遠に認識され尊重される決着に至るために、彼らは自然権威者の下に向かう。自然貴族制のメンバー、貴人と王君の下に向かうのである。

私がここで自然貴族、貴人と王君で意味するものとは単純にこうだ。最低限の複雑さがあるすべての社会では、少数の個人が自然エリートの地位を獲得する。幾人かの個人は富、知恵、勇敢さ、またはそれらの組み合わせのおかげで、他の人々より高い権威を得るようになり、彼らの意見と判断が広く尊敬を受ける。そのうえ、選択的交配と市民的および遺伝的な遺伝法則のおかげで、自然権威者の立場はしばしば少数の「尊い」家族内で継承される。優れた業績、先見の明、模範的な品行の記録が認められた、そのような家族の長こそは、人々が互いに紛争と苦情を煩ったとき典型的に頼る人物である。市民的義務感からしばしば無料で裁判官と調停者として一般的に行為するのは尊い家族の指導者である。実は、この現象は今でもすべての小共同体で観察されることができる。

さて、人間の個人間紛争という根絶不可能な問題をどう解決すればいいかに関する現実の人々の熟慮が至りそうな結果に関する疑問に戻ろう。我々はたとえば、あらゆる紛争の事例で人が特定の個人に、最も尊い家族の長、王君に頼るという一般的な同意があるところを容易に想像できる。しかしすでに示したとおり、この王君が法を作ることができるという同意があるところは想像できない。王君は他の万人と同じ法の下になり、同じ法に拘束されるだろう。王君は法を適用するだけと想定されるのであり、法を作るとは想定されない。そしてこれを保証するために、王君は決して彼の裁判官としての地位への独占を授からないだろう。万人が実際に彼に正義を頼ること、すなわち、彼が究極的な裁判官と調停者として「自然」独占をすることは実情であるかもしれない。しかし万人は、もしも王君に不満なら、他の裁判官、他の貴人を選ぶ自由があるままだ。すなわち、王君は裁判官としての彼の地位の法的独占をもたないのである。もしも彼が単に法を適用しているのではなく法を作っていると気づかれるか、法の適用に際して誤りを犯していると、すなわち彼が所与の事件の事実を誤解釈したり、誤説明したり、改竄したりするならば、彼の判断は他の高貴な法廷で異議を唱えられるよう開かれており、彼自身が彼の誤判断に責任を負う立場になりうる。要するに、王君は国家の長のように見えるかもしれないが、彼は明確に国家でなく、むしろ自然な、垂直的かつ階層的に構成され層化された社会秩序、貴族制の一部なのである。

すでに仄めかしてあるとおり、中世ヨーロッパ初期、大いに誹謗中傷されてきた封建時代には、これに似た何か、貴族的自然秩序に似通った何かが成立していた。私のここでの目的は、歴史家に書かれたものとしての歴史、つまり標準的な歴史に従事することではなく、実際に歴史的な出来事に通じてはいるが、もっと根本的には理論的な――哲学的および経済学的な――関心によって動機付けられて、歴史の論理的または社会学的な再構成を差し出すことであるから、このテーゼを証明することにあまり時間を割きたくない。私は簡素に、この主題についての本Fritz Kern, Kingship and Law in the Middle Ages(一九一四年にドイツで初出版された)と、私の本Democracy: The God That Failedでこの現象に与えられた他の膨大な参考図書にあっさりと言及するにとどまる。申し立て上では「暗黒」の封建時代について、それと、ちょうど自然秩序と記述したものの粗い歴史的な例として中世が使えるという私の断言の支持は、これだけで十分だろう。

封建制の領主と王君は被課税者の合意がなければ「課税」することができなかったし、自由民はみな彼自身の土地では主権者も同然であった。すなわち、封建王君のように、究極的な意思決定者であった。課税は合意がなければ不法な搾取であると、つまり仮差押えと見なされた。王君は法の下にあり、法に従属した。王君は貴人かもしれないし、万人の中で最も尊い人物であるかもしれないが、他の貴人とそんなに尊くない人がおり、彼ら、すべての貴人とすべての自由人はみな、王その人以上でも以下でもなく同一の法に従属したし、この法を保護し確認する義務があった。この法は古来永遠と見なされた。「新」法はちっとも法ではないと日常的に拒絶されていた。中世王君の唯一の職能は「古き良き法」を適用し保護することであった。中世初期のころには王位生得権の観念がなかった。王になるためには王を選択する者の合意が要求されたし、もしも王の行為が不法であると思われたら、有権者共同体の全メンバーと全階級は自由に王君に提供してよかった。この場合、人々は自由に王君を見限って新しい人を求めてもよかったのである。

封建秩序、あるいはもっと具体的にいえば「アロディアル」あるいは「私有」封建制に関するこの手短な記述は、私の目的に十分であろう。しかしこれだけは言い加えておこう。私はここで、この秩序が先に特徴付けたとおりの完全な、真の自然秩序であったとは主張しない。実際、それは多くの不完全性、わけても多くの場所での農奴制の存在によって損なわれていた(とはいえ、当時の農奴が負った負担は現代の税奴に押し付けられた負担に比べれば軽微なものだったが)。私はこの秩序が(a)一つの法の下での万人の至上権と従属、(b)法作りの権力の欠如、および(c)裁判職と紛争仲裁の法的独占の欠如、以上を通して自然秩序に接近すると主張するにすぎない。そして私は、このシステムは農奴の受け入れを通しても事実上変化なく完成されて護持されることができると主張しよう。

 

しかしこれは現に起こったことではなかった。代わりに、根本的な道徳的および経済的な愚行が犯されたのだった。究極的な裁判官の地位の領土的独占が確立されてしまい、これをもって、法作りの権力が確立され、法が立法への法の従属から分離されてしまった。封建王君はまず絶対王君に取って代わられ、ついで立憲王君に取って代わられた。

法の下の封建王君から法の上の絶対王君への一歩は概念的には小さなものである。以前の封建王君は、これより誰も私以外を究極的裁判官に選択してはならない、と強弁しただけだ。それまでは王君は万人が正義を頼る唯一の人物であったかもしれないが、他の人々わけても他の貴人も裁判官として行為したがるだけでそうできただろうし、正義の請い手の一部にとってはそのようなサービスへの需要があった。実際、万人が自由に彼の生命と財産の自己防衛に従事してよかったのだし、王君自身も私的自己裁定と紛争決議においては他の法定で、すなわち彼自身が選んだのではない法定で責任を求められ、成敗されることができた。これをすべて禁止し、その代わりにあらゆる紛争が国王の最終的な再審理に服すると強弁することは、政変も同然であって、重大な帰結を伴っていた。以前すでに示唆したとおり、究極的な裁判官の職能を独占することで王君は国家になり、私有財産は本質的に廃止されて、フィーアト財産、あるいは法定財産に置き換えられた。すなわち、王君が臣民に保証した財産となったのである。王君はいまや私的財産所有者に助成金を請う代わりに私有財産に課税することができるだろうし、不変の既存法に縛られる代わりに法律を作ることができるだろう。したがって、ゆっくりながら確実に、法律と法執行は値が張っていった。無料や自発的支払いで提供される代わりに、強制的な税の助けで資金調達したのだった。そして同時に、法の品質が悪化していった。既存法を維持して正義の普遍的な不易の原理を適用する代わりに、王君は判決の不公平の結果として依頼人を失う恐れのない独占的裁判官として、彼自身の都合で既存の法を次々と変更したのだった。

そのうえ、暴力の新しい水準と品質が社会に導入された。確かに暴力は歴史の最初から人間関係を特徴付けてきた。しかし暴力、侵害は費用がかかり、国家の制度の発達までは、侵害者は彼自身の侵害にかかる完全費用を負わなければならなかった。しかしながら今では現場の国家王君は、侵害の費用を第三者(納税者と応召兵)に外部化でき、それに応じて侵害、もっと具体的に言えば帝国主義、すなわち侵略的に、戦争と征服によって領土と臣民人口を拡大する試みが増加した。

けれどもそのような発達がどうして可能だったのか、その帰結のように予想可能だったのか?なぜ封建王君が絶対王君に、つまり国家の長になりたがったか理解するのは難しくない。彼自身が関与する紛争も含むすべての紛争で自分が判決を下せるような立場にいたくないやつがいるか? たとえ王君とは貴族階級で最も尊い貴人だったとしても、どうやってそのような政変をもってこれを逃れることができたか理解するのははるかに難しいことだ。明らかに、どんな国家王君志望者もすぐ他の貴人に最も反対されそうであり、彼らによって最も獰猛に反対されるだろう。なぜならば彼らは典型的には他の人民より多くを所有しておりもっと多くの資産を有するので、王君の課税し立法する権力を最も恐れなければならないような人々だからである。

この疑問への答えは実は非常に単純であり、今日に至るまで我々はそれに本質的に慣れ親しんでいる。王君は「人民」または「平民」と提携したのである。彼は、いつでもどこでも通俗的な、彼ら自身より「良い」人と「優れた」人、領主に対する「恵まれない人々」の嫉妬の感傷に訴えた。彼は、たとえば彼らを保有地の借用者ではなく所有者にするなどと、彼らをその領主との契約上の義務から解放すると申し出たり、彼らの負債をその債権者から「徳政」すると申し出たりして、彼の政変に対する貴族の抵抗を十分に無駄にするほど公衆の正義感を腐敗させた。しかも貴族階級の権力喪失を慰めて彼らの抵抗を弱めるために、王君はその拡大し拡張した宮廷で、彼らにポストを与えたのだった。

そのうえ、王君は絶対権力の目標を達成するために、知識人と提携した。知的サービスへの需要は典型的には低く、知識人はほとんど先天的に、大いに自惚れた自己イメージを患っており、ゆえにつねに嫉妬の貪欲なプロモーターたる傾向がつねにあり、容易にそのようなプロモーターになる。王君は彼らに対して御用知識人という安全な立場を差し出し、彼らはその見返りに、絶対支配者という王君の立場に必要なイデオロギー的支持を生産した。彼らは二重の神話を創造することで御用を果たした。彼らは一方では、或る人は他の人にとって狼であるだの、万人に対する万人の闘争の絶え間なきだのと、――先立つ自然な貴族的秩序の史実に反する――可能な最悪に照らして絶対王君の到来以前の歴史を描写した。そして彼らは他方では、さもなくば恐ろしいことに万人に対する万人の闘争が再発するという神話に基づいて、王君の絶対権力の簒奪を、どうやら理性的に達せられたらしき、臣民とのある種の契約的な協定の結果と描写した。

私はすでに、そのような契約が考えられないこと、そのような契約の観念が完全なる神話であることを示している。正気の人物がそのような契約にサインすることはないだろう。しかし到底強調する必要がないように、この観念、すなわち究極的意思決定の領土的独占者としての国家権力がある種の契約に基礎付けられているという観念は、今日に至るまで民衆の頭を支配している。それが不条理であるほど、御用知識人は桁外れな成功をその仕事で収めてきたのだ。

この二重の神話を促進すること、すなわち絶対君主制を契約の結果とプレゼンする知識人のイデオロギー的な仕事の結果、絶対君主制は立憲君主制になった。学校教科書と公式の正統な修史では、絶対君主制から立憲君主制へのこの変遷は典型的には人類史の偉大な一歩、進歩として描かれている。しかしながら実際には、これはもう一つの愚行に相当し、更なる腐敗を惹起した。というのも絶対権力の実際の台頭の記憶がまだ残っており、ゆえに彼の「絶対」権力が制限されていたので、絶対王君の立場はせいぜい曖昧なものだったが、憲法の導入は彼の課税し立憲する権力を実際に正式化し法典化したからである。憲法は人民を王君から保護した何かではなく、人民から王君を保護したのである。それは国家憲法であり、以前には最も疑わしいと考えられていたもの、すなわち合意なく税を課し法を作る権利を、前もって仮定していたのである。かくて立憲王君はわずかな形式と手続き的な慣例に従うだけで、彼の権力を拡張し、絶対君主として自分に可能だったことをはるかに越えて自分を豊かにすることが可能になった。

 

皮肉にも、初めの封建王君を絶対王君の地位へ、ついで立憲王君の地位へと昇格させた力そのもの、すなわち上位の者に対する平民の平等主義的な感傷と嫉妬へのアピール、それと知識人への御用は、かかる王君自体の没落のもとにもなり、もう一つのさらに酷い愚行、すなわち君主制から民主制への変遷にその道を開いたのだった。

王君のもっと良くもっと安い正義の約束が空虚であると判明し、知識人がまだ彼らの社会的な階級と地位に満足いかなかったとき、予想されるべきだったとおり、知識人は王君が以前に貴族的競争者との戦いで求めたのと同じ平等主義的な感傷を君主的支配者その人に差し向けた。なんといっても王君自体が貴族階級のメンバーであり、他の貴人全員を潜在的裁判官から排除した結果、彼の立場はただ一層高められてさらにエリート主義的になっただけであり、彼の品行は一層傲慢になっただけであった。したがって、王君もまた引き摺り下ろされなければならず、王君が着手した平等主義的な政策がその究極的な結論まで貫き通されなければならないというのが唯一論理的であるようだった。すなわち、平民による司法の支配まで。知識人にとってこれは彼らの見解では「人民の自然な代弁者」たる知識人自身による司法支配を意味した。

しかしながら王君に差し向けられた知識人の批判は、私が説明したとおり道徳的および経済的な具の骨頂と諸悪の根源を構成する、究極的意思決定の法的独占の制度に対する批判ではなかった。批判者は自身が重要ながら二流の役割しか担えない自然貴族秩序に回帰したくはなかった。しかし彼らはその批判において、法の下の万人の平等や万事に対する法の優越という古く根深い考え方に皮相的なアピールを行った。かくて彼らは、君主は人格的特権に依拠していたがそのような特権は法の下の平等と相容れなかったと論じた。そして彼らは、国家政府への参加と参入を万人に等しいタームで開くことによって――すなわち、君主制を民主制に置き換えることによって――法の下の万人の平等性の原理が満たされると示唆した。

この議論は一見すると魅力的であるかもしれないが、根本的に間違っている。なぜならば民主主義的な法の下の平等は、いつでもどこでも誰にでも平等に適用可能な一つの普遍法という古い観念とは何か全面的に異なっており相容れないものだからである。民主制の下では国家政府への参入が万人に平等なタームで開かれているかぎりは万人が平等である。王君と彼がその絶対的または立憲的な権力を後継者として任じた人、つまり特権的な人々だけでなく、いわば、みんなが王様になれるのだ。かくて民主制には人格的特権や特権的人格は存在しない。しかしながら、職務的特権や特権的職務が存在するのである。国家エージェント、つまりいわゆる公務員は公式能力において行為するかぎりは公法に統治され保護され、それによって、私法の単なる権威の下で行為する人物に対し特権的地位を占める。

まず、公務員はちょうど絶対王君や立憲王君のように、彼ら自身の活動を税金で融資し援助することが許されている。すなわち彼らは、私法市民がみなすべきように、生産やこれに引き続き自発的に買うか買い控える消費者に対する財とサービスの販売を通して所得を稼ぐということをしない。むしろ彼らは公務員として、私的商取引や私法対象者間では強盗、詐欺、窃盗、略奪と見られる所業に従事すること、そうして生きてゆくことが許されている。かくて、特権と法的差別――そして支配者と服従者の区別――は民主制の下でも消滅しない。逆だ。民主制の下では王子と貴人が制約されるのではなく、万人の手元に特権が届くようになるのである。公務員になるだけで、万人が窃盗に参加でき、略奪物で暮らすことができる。同様に、民主的に選出された議員はちょうど絶対王君や立憲王君のように、彼ら自身が作った(いわゆる憲法のような)ものではない法に、つまり上級の自然法には縛られず、むしろ彼らは法律を作ることと変えること、つまり立法することができる。王君は彼自身の好き勝手に立法するが、民主制の下では議会や政府への参入を見出すかぎり、万人が好き勝手に立法を実行に移すよう促し試みてよくなる。

予想できるとおり、民主的条件の下では究極的意思決定の全独占が正義の価格を増加しその品質を低下させる傾向は逓減せずむしろ悪化している。

君主制から民主制への変遷が意味するのは、理論的に言えば、永遠の世襲的独占「所有者」――王君――を一時的で交換可能な「暫定管理人」――大統領、首相、議員――に置き換えることにすぎない(か、そこまですらいかない)。王君も大統領も「悪いもの」、つまり「害」を生産してゆく。すなわち、彼らは課税するし立法する。けれども、王君は独占を「所有する」し、彼の領地を彼が選んだ後継者、相続者に遺贈してもいいから、彼の行為の資本価値への影響を気にかけるだろう。

王君は「彼の」領土上の資本ストックの所有者として比較的将来志向であろう。彼の財産価値を維持なり強化なりするため、彼の搾取は比較的穏健で計算したものになる。対照的にも一時的で交換可能な民主的暫定管理人は国を所有せず、むしろ彼が公務に就くにかぎって国を彼自身の都合で利用することが許される。彼はその現在使用権を所有するがその資本ストックは所有しない。これは搾取を除去しない。その代わりに、それは搾取を近視眼的、現在志向、非計算的にする。すなわち、その資本ストックの価値をほとんどかまったく気にせず搾取を実行するのである。要するに、それは資本消費を促進する。

民主制では全国家地位への自由参入が存在する(一方で、君主制下では参入が王君の裁量で制限される)ことも民主制の長所ではない。対照的にも、良いもの、つまり財の生産での競争だけが良いものである。課税と立法のような害の生産での競争は良くはない。実際は、悪よりなお悪い。完全なる邪悪である。生まれでその地位に納まった王君は、無害な好事家やまともな男であるかもしれない(し、もしも彼らが「気違い」であれば、王室の家族、つまり王朝の持ち物を気にかける近親者によって速やかに監禁され、必要なら殺されるだろう)。鋭く対照的にも、大衆選挙での国家支配者の淘汰は無害やまともな人格がいずれ頂点に上り詰めることを本質的に不可能にする。大統領と首相は、かつての封建王君のようにその自然貴族としての身分で、すなわち、その経済的独立、傑出した専門的業績、道徳的に申し分ない人格的生活、知恵と優れた判断力と趣味、以上の認識に基づいてその地位に納まったのではなく、むしろその道徳的に無制約なデマゴーグとしての能力の結果としてその地位に納まるのである。それゆえ民主制は事実上、危険な人々しか国家政府の頂点に上れないことを保証してしまっている。

くわえて、民主制の下では支配者と被支配者の区別が曖昧になる。区別はもはや存在しない、民主的政府があれば人は皆に支配されるがその代わり皆が自らを支配する、という幻覚すら発生する。したがって政府権力への公的抵抗が体系的に弱められる。以前の搾取と収用――課税と立法――は公衆にとっては率直に圧政的かつ邪悪であると見えたかもしれないが、ひとたび誰でも受領者の地位に自由に参入していいとなったら、人類としては、それらはそれほどには見えなくなり、もっと多くなってゆくだろう。

なお悪いことに、民主制の下では全人口の社会的性格と人格構造が体系的に変化させられてゆく。社会のすべてが隅々まで政治化される。君主制の時代にはまだ古来の貴族的秩序が幾分か無事に残っていた。ただ王君だけが、そして間接的には彼の(排外的な)王宮のメンバーだけが他の人々と彼らの財産の犠牲において――課税と立法で――自分を豊かにすることができた。他の万人はいわば自分の足で立たなければならなかったし彼の社会での立場を彼の富と所得、何らかの種類の価値生産的な努力に負っていた。民主制の下ではインセンティブ構造が体系的に変えられる。平等主義的な感傷と嫉妬が箍を外される。いまや王君だけではなく万人が――立法や課税での――他の万人への搾取に参加を許される。万人が好き勝手にどんな押収の要求をも表現してよい。締め出されるもの、駄目な要求は何もない。バスティアの言葉どおり、民主制の下では、国家は万人が他人全員の犠牲で暮らそうとするための壮大な擬制的実体になる。すべての人物と彼の動産が他人全員の手の届く範囲に入り、彼らの争いの的になる。

一人一票体制の下では富と所得の再分配のための無慈悲な機構が始動する。持たざる多数派が持てる少数派の犠牲で恒常的に自らを富ませようと試みるだろうと予期されるに違いない。いや、たった一つの持てる者階級と持たざる物階級、富者と貧者があるだろうとも、――課税と立法での――再配分が富者から貧者へと一様に生じるだろうとも言ってはいない。逆だ。富者から貧者への再配分はつねに顕著な役割を演じるだろうし、実際に民主制の永遠の特色にして大黒柱であるだろうが、これが再配分の唯一の形だとか優勢な形だとか決め付けるのはナイーブであろう。結局、湯者と貧者はふつうゆえあって富者なり貧者なりなのである。富者は特徴としては利口や勤勉であり、貧者は典型的には愚鈍や怠惰、もしくはその両方である。のろまなやつが、たとえ多数派であれ、少数派の利口で精力的な諸個人を体系的に出し抜いて自らを豊かにすることは到底ありそうにない。むしろほとんどの再配分は貧しからぬ集団の内で生じるだろうし、実際、貧者に自分を援助させることに成功した人々がしばしば良い暮らし向きになってゆく。(自分の子供は滅多に大学に通わない労働者階級によって中流階級の子供たちの教育費が支払われている「自由」大学教育のことを考えてみろ)。実際、多くの競争する党派と連合は他人の犠牲で勝とうと試みる。くわえて、或る人物を持てる者にする(略奪に値する)ものと他の人物を持たざる者にする(略奪品の受領に値する)ものはこれだと定義するさまざまな移ろえる基準がある――そしてこれらの基準を定義し奨励する際に(もちろん自身はつねに更なる略奪品が必要な持たざる者に分類されるよう計らいながら)主な役割を演じるのは知識人である。同様に、諸個人は持てる者か持たざる者の多数の集団のメンバーであることができ、かつ或る特質ゆえ負けまた他の特設ゆえ勝ちながら、幾人かの諸個人は再配分の純敗者として、他は純勝者として終わる。

しかしいずれにせよ、想像上では持てる者が持ちすぎているはずで、持たざる者が持たざりすぎているはずのもの、再配分されているもの――財産と所得――は、つねに何か価値があるもの、何らかの「財」すなわち「良いもの」であるから、どんな再配分も何らかの価値――何らかの「良いもの」――を生み、持ち、または生産するインセンティブが体系的に減らされることを含意し、準用して、何らかの価値あるものを生まず、持たず、または生産しない――何らかの「良い者」ではないか「良いもの」を持たない――代わりに再配分された所得と富に依存して暮らしてゆくインセンティブが体系的に増やされる。要するに、全般的な社会貧困化の結果を伴いつつますます生活を不快なものにしながら、良い人々の割合と、良い、すなわち価値生産的な活動の割合が減らされて、悪いかそんなに良くない人々の割合と、非生産的な習癖と性格形質と品行タイプの割合が増やされる。

かつてなく高い税率と果てしなく続く立法の洪水に導き、ゆえに法的不確実性〔あるいは定訳で法的不安定性〕を増やして、社会的時間選好率を増加させること、すなわち短期志向(社会の「幼稚化」)を増加させるということを除けば、万人に対する万人の永遠の民主的闘争の正確な結果を予想することは不可能であるが、この闘争の結果の一つ、民主主義の結果の一つは、安全に予想されることができる。民主制は新しい権力エリートあるいは支配階級をもたらす。大統領、首相、それに議会と政党の指導者はこの権力エリートの一部分であり、私はすでに彼らについて、本質的に道徳観念のないデマゴーグであると語っている。しかし彼らこそが誰より最も強力で影響力のある人々であると決め付けるのはナイーブであろう。彼らは公衆の死角で傍観している他の人々の代理人兼代行者――競り人――であるという場合がもっと頻繁である。大統領や首相や党首などを決定し制御する真の権力エリートは金権家である。金権家とは、偉大ながら大概忘れられたアメリカ人社会学者のウィリアム・グラハム・サムナーに定義されたとおり、単なるスーパーリッチ――大銀行家および大事業と大産業の大物――ではない。そうではなく、金権家とはスーパーリッチのほんの部分集合である。彼らは超裕福な大銀行家や実業家であり、彼ら自身の将来のさらなる富裕化のために課税と立法をすることができる制度としての国家の膨大な潜在力に気づいており、この洞察に基づいて政治に身を投げ込もうと決意した人々である。彼らは、国家が助成金を支払うこと、国家契約を与えること、または歓迎されざる競争や競争者から人を保護するための法律を可決することで、人を今よりはるか豊かにできると気づいており、彼らは国家を攻略するために自分たちの富を使おうと決心し、(彼ら自身の生産物に対して自発的に支払う顧客にもっと良く奉仕すること、つまり経済的手段だけでもっと豊かになるよりも、むしろ)彼ら自身の更なる富裕化のための手段として政治を使おうと決意している。彼らは自ら政治に関与するまねはしない。彼らには、日々の政治に時間を費やすより重要な、金銭的なすべきことがある。しかし彼らには現金があり、彼らに直接賄賂を支払ったり、または間接的に、専業的政治の任務の後で彼らを高賃金の経営者やコンサルタントやロビーイストに雇うと同意したりすることで、典型的にははるか裕福ならざる専業政治家を「買収する」立場があり、決定的に影響を及ぼして彼ら自身の有利に政治過程を決定しおおせる。彼ら金権家は民主主義という恒常的な所得と富の再配分闘争での究極的な勝者になってゆく。そして彼らとその所得(と富)が専らか概ね国家とその課税権力に依存する人々全員の間で、ますます生産的中流階級がすっからかんに干からびてゆく。

とりわけ、民主制はまた戦争行為に対する深い効果がある。私はすでに王君が彼自身の侵害の費用を(課税で)他人に外化できるから「正常」以上に侵害的かつ好戦的になる傾向があると説明した。しかしながら王君の戦争動機は典型的には王朝間婚姻の複雑なネットワークと一定王朝の不規則ながらつねに再発する断絶で生じた所有権相続紛争である。暴力的な相続紛争として君主的戦争は限定的領土的目標に特徴付けられる。それらはイデオロギー的に動機付けられた口論ではなく有形財産をめぐる抗争なのである。そのうえ王朝間の財産紛争として、公衆は戦争を本質的に王君自身に支払われるべき王君の私事であり、一層の増税の理由としては不十分であると見なす。さらには異なる支配家族間の私的紛争として、戦闘員と非戦闘員の明晰な区別を認識することと、彼らの戦争努力を明確かつ専一に互いと彼らそれぞれの動産に向けることを、公衆は期待し、王君は強いられているように感じる。

民主制は王君の制限戦争を総力戦争へとラディカルに変形した。民主主義は支配者と被支配者の区別を曖昧化することで、公衆の国家との同定を強化する。民主主義者が人を欺きながらプロパガンダするとおりに国家が万人に所有されたら、万人が国家のために戦わなければならず、国の経済的資源がすべて国家の戦争に際して国家のために運用されなければならない、ということが唯一公平になる。そして民主制国家を預かる公務員は(王君がするように)外国領土を人格的に「所有する」ことを主張できないし主張しないから、戦争の動機はイデオロギー的なもの――民族の栄光、民主主義、自由、文明、人道――になる。目標は無形で捕らえどころがない。観念の勝利、敗者の無条件降伏とイデオロギー的転向だ(転向の誠実さを確かめることはできないから文民の大量虐殺が要求されるのかもしれない)。同様に、民主制の下では戦闘員と非戦闘員の区別も不明瞭になり、究極的には消滅するし、大衆の戦争参与――徴兵と大衆戦争集会――ならびに「コラテラル・ダメージ」が戦争戦略の一部になる。

これらの傾向は金権家の新支配エリートの台頭でさらに強化されてゆく。第一に、金権家は国家を武装すること、戦争用の兵器と軍備を生産することで得られる、最も気前のいい税資金の原価加算契約を授かる際の膨大な利益にすぐ気づくだろう。軍産複合体が組み立てられてゆく。そして第二に、単純な地方的または国内的な利害しかないほとんどの人々とは異なり、スーパーリッチな金権家は外国にも、そして潜在的には地球全土に財務的利害があり、これらの外国的利益を推進し、保護し、強化するためには、彼らが自身の国家の軍事力を彼ら自身のために外政に介入し、ちょっかいを出し、または干渉するように使用することは自然でしかない。外国での商売上の取引はうまくいかないかもしれないし、譲歩しなければならないかもしれないし、またそこでのライセンスが獲得されるかもしれない――ほとんど何もかもが、彼らを救出し、自分の領土の外に干渉するよう自分の国家に圧力をかける理由に使える。実際、この干渉は外国が破壊されることを要求するとしても、彼らの凶器が以前に破壊した国土を再建するための契約を彼ら自ら取るかぎり、これが彼らにとっては恩恵でありえる。最後に、一層の政治的集権化に導く王君の戦争ですでに始まっていた、帝国建設に向かう傾向が、民主的戦争を通して継続されて、加速されられる。

すべての国家が領土的には小国から始めなければならない。これは生産的な人々がその課税と立法から逃れるのを容易にする。国家が生産的な人々の脱走を好まず、領土の拡張で彼らの生け捕りを試みることは明らかだ。国家は支配する生産的な人々が多いほど、その暮らし向きが良くなってゆく。国家はこの拡張主義的な願望をもって、他の国家との対立に突っ込んでゆく。どんな所与の領土にも究極的な意思決定の独占者は一人しかいることができない。すなわち、異なる国家間の競争は排除的である。Aが領土を勝ち取って支配するか、Bがそうするか、どちらかだ。誰が勝つんだ? 少なくとも長期的には、比較的生産的な経済を寄生的に利用できる国家が勝ってゆく――そして他の国家の領土を引き取るか、これに対して覇権を打ち立てて貢物を差し出すよう強いる。言い換えれば、他の物事が同じであれば、比較的に低い税率と少ない立法的な規制の国家、つまり内的にもっと「自由主義的」な国家が、それほど「自由主義的」ではない、つまり圧政的な国家を打ち負かしてゆき、その領土や覇権的支配の範囲を拡張してゆく。

帝国主義と政治的集権化への傾向に関するこの再構成でいまだに失われている重要な要素が一つだけある。貨幣だ。

あらゆる国家は領土的な立法独占者として、君主的であれ民主的であれ、独占的貨幣統制が授ける――課税が授ける何もかもをはるかに超えた――自己富裕化の膨大な潜在力を直ちに認識した。国家は自分を唯一の貨幣生産者に任命することで、通貨下落を通し、すなわち事実上ゼロコストで生産できる紙幣のような、ますます安くなり、究極的には「無価値」になる貨幣を生産することを通して、貨幣供給を増加しインフレートすることができ、ゆえに国家が無費用で実質の非貨幣的な財を「買う」ことを可能にした。しかし多数の競争する国家、紙製の貨幣と通貨の領域がある環境では、この「インフレーションによる収用」政策には制限が働き始める。もしも或る国家が他所より多くインフレートするならば、その貨幣は通貨市場で他の貨幣と相対して値下がりする傾向があり、人々はこれらの変化に対し、一層インフレ的な貨幣を売り、わりとインフレ的でない貨幣を買うことで対応する。「良」貨は「悪」貨を駆逐する傾向がある。

これはただ全国家のインフレ政策が協調してインフレーション・カルテルが設立されるだけで妨げることができる。しかしそのようなカルテルは不安定であろう。内的外的な経済的圧力がこれを決壊させる傾向がある。カルテルが安定的であるためには有力な執行者が要求される――これが我々を帝国主義と帝国建設の主題に引き戻す。なぜならば軍事的に有力な国家、つまり覇者は、協調的インフレーションと貨幣帝国主義の政策を制定し実施する立場を利用することができるし利用してゆくからだ。それはその属国に対し、それ自身のインフレーションに合わせてインフレートするよう命令してゆく。それはさらに、一層の戦争と征服すらせずその搾取的権力を他の領土と究極的には地球全土に拡張すべく、その属国に対し、それ自身の通貨を準備通貨として受け入れるように迫り、究極的には他のすべての競争する通貨を、それ自体に統制されて世界規模で使われる単一紙幣に置き換えるよう圧力をかける。

しかし――私が道徳的および経済的な愚行と腐敗の話の終わりにゆっくり近づいており、すでに可能な血路には触れているとおり――帝国主義と帝国建設もまたそれ自体に破壊の種を宿している。国家が究極的な世界制覇および世界政府と世界紙幣の目標に近づくにつれて、国内の自由主義を維持する理由は薄くなり、その代わりに全国家がとにかくやりがちなことを、すなわち誰であれいまだ残っている生産的な人々をみな弾圧し、彼らへの搾取を増やすことを行う。したがって、追加的な属国は残っておらず、国内生産性は停滞なり失墜なりするので、帝国の国内のパンとサーカス政策と国外の戦争と制覇政策はもはや維持することができない。経済危機が襲いかかり、切迫した経済メルトダウンが分権化の傾向と分離的かつ脱退的な運動を刺激し、帝国を破綻に導いてゆく。

 

それでは、私の話の教訓は何か? 私は現在の世界を知解できるようにしようと試み、それを一連の連続的かつ累積的な道徳的および経済的な錯誤の予想可能な結果として再構成しようと試みた。

我々はみなその結果を知っている。正義の価格は天文学的に上昇した。財産所有者と生産者に押し付けられた税の重荷は奴隷と農奴に押し付けられた負担が比較の上では穏健に見えるほどである。おまけに、政府の借金は息をのむほどの高さに上がってしまった。どこであれ民主的国家は破産の寸前である。同時に、法の質は法の観念が世論と良心から消滅して立法の観念に取って代わられる点まで着実に悪化してしまった。私的な生命と財産と交易と契約の詳細はすべて、ますます高まる紙の法律の山に規制されている。社会、公共、安全の保障という名目で、民主主義的な暫定管理人が我々を地球の温暖化と寒冷化から「保護」し、また動植物の絶滅と天然資源の枯渇から、夫から妻から、親から雇用者から、貧困、病気、災害、無知、偏見、人種差別、性差別、同性愛嫌悪から、他の無数の公共の「敵」と「危険」から「保護」する。けれども、かつて想定された政府の唯一の仕事――生命と財産の保護――は果たされない。対照的にも、社会保障、公安、国家安全保障への国家支出が高まるほど、私有財産権はますます蝕まれ、もっと多くの財産が収用され、没収され、破壊され、減価され、もっと多くの人々があらゆる保護の基盤そのもの、人格的独立、経済的強度、私的な富を、剥ぎ取られてしまっている。生産される紙の法律が多いほど、創造される法的不確実性とモラルハザードが多くなり、法と秩序は無法状態に取って代わられる。そして我々がかつてより一層依存的になり、無力で、貧困化し、脅かされて、不安定になるほど、政治家と金権家の支配エリートはますます豊かになり、もっと堕落し、危険なほど武装し、傲慢になった。

同様にして、我々は国際情勢のことも知っている。昔々は比較的自由主義的だったアメリカ合衆国は、見たところ果てしない戦争の連続――――を通して他所の内政に余計なお世話をして無数の外国とその地方権力エリートと住民に上からその支配を重ねつけながら、世界一流の帝国にしてグローバル覇権国の高みに上り詰めた。そのうえ、アメリカは有力な世界帝国として、その通貨たる米ドルを主な国際準備通貨として確立した。そして外国中央(政府)銀行に準備通貨として使われるドルをもって、アメリカは永遠に「涙なしの赤字」を行うことができる。すなわち「平等」なパートナー間では、輸出に対する着実な輸入の超過にはますます多く輸出しなければならないのが正常である(輸入は輸出で支払われる!)のに、アメリカ合衆国は輸出に対する着実な輸入の超過に対して輸出の支払いをしてはならない。むしろ、外国政府とその中央銀行は国内消費用のアメリカ製品を買うために輸出収入を用いるのではなく、優越的アメリカ合衆国に対するその属国的地位の徴候どおり、アメリカ人が外国人の犠牲で彼らの手段以上の消費をするのに役立つアメリカ政府国債を買い上げるために、ドル紙幣準備を用いるのである。

私がここで示そうとしたのは、このすべてが歴史的な偶然ではなく予想可能な何かだったという理由である。もちろんその詳細すべてではないが、一般的な発達パターンに関するかぎり、これらは予想可能であった。これらのろくでもない結果に導いている究極的な錯誤、過ちは、意思決定の領土的独占、つまり国家の設立であり、ゆえに、民主主義を人間文明の無上の偉業とプレゼンする学校と標準的な教科書で我々が教わる歴史は、すべて、真相とは正反対である。

そしたら最後の疑問は、「この過ちを正して自然な貴族的社会秩序に戻ることはできるか」である。究極的な解決、すなわち、現代的な自然秩序――私法社会――がどう機能できるか、どう機能するだろうか、以上について私は著述と講演をしたことがあり、ここではそれらの作品にあっさりと言及することしかできない。[3]その代わり最後にここで、私とわが師マレー・ロスバードのような他の人たちが――現在の情勢を所与と鑑みて――提案し概説した究極的な解決にはどうアプローチすればよいか、つまり政治的戦略の問題に短く触れたい。

兆候どおり、民主的システムは特に二〇〇七年以降の発達がいまだ進行中の甚大な財政危機と経済危機で暴露したように、経済的な崩壊と破産の寸前である。EUとユーロは根本的に困窮しており、アメリカ合衆国と米ドルもまたしかり。実際、ドルがその国際準備通貨の地位を徐々に失っているという不吉な兆候がある。前ソビエト連合の崩壊後と大して違わないこの状況にあっては、無数の分権的な分離と運動の運動と傾向に弾みがついた。そして私はこれらの運動にできるかぎり多くのイデオロギー的な支持を提唱するつもりである。

たとえそのような分権化の傾向の結果として民主的であれ何であれ新しい国家政府が芽を出すにしても、領土的に小さい国家と増加中の政治的な競争は、生産的な人々に対する国家の搾取に節度を促す傾向があろう。リヒテンシュタイン、モナコ、シンガポール、香港、さらには、その中央政府に対して比較的強力な小さい州をもつスイスのことを考えてみよ。理想的には、分権化は個々の共同体の水準まで、かつてヨーロッパ中に存在したような自由都市と自由村落まで徹底的に進めるべきだ。たとえばハンザ同盟の諸都市のことを考えてみよ。いずれにせよ、新しい小さい国家がそこに発生するとしても、政治家と地方の金権家の愚かさ、傲慢さ、汚職はほとんどすぐに公衆に見えるようになり、速やかに訂正され矯正されることができる。そして非常に小さい政治的単位でのみ、自然エリートのメンバーや、あるいは誰であれ残っているそのようなエリートが、自発的に認められた紛争の仲裁者と平和の裁判官としての地位を取り戻すこともまた可能となるだろう。

[1] 理論的には、どんな財の使用に関する紛争も、あらゆる財がつねに継続的に特定の(諸)個人によって私的に所有され、すなわち排他的に制御され、かつ、いずれの物が誰に所有されて、いずれが彼に所有されないかがつねに明らかであるだけで、すべて回避されることができる。異なる諸個人の利益と観念は異なりうるとおりに異なるかもしれないが、彼らの利益と観念がつねに専ら彼ら自身の別々の財産に関わるかぎり、紛争は生じない。紛争とはつねに、誰が任意の所与の時点での任意の所与の財の私的(排他的)な所有者であり、誰が所有者でないかという疑問への答えをめぐる紛争である。そして人類の始まりからあらゆる紛争を回避するためにはさらに、私有財産がどう原始専有されるか(ここでの明らかな答えは、以前には無主だっ資源が原始に専有されゆえに異論の余地なく専有されることによって)、財産が或る人格から他の人格へとどう移転できるかできないか(明らかに、一方的な強奪よりむしろ相互の合意と取引によって)が、つねに明らかでなければならない。

[2] あらゆる紛争の潜在的な回避、つまり永久平和の論理的要件がこの解決で正確に満たされることは気づかれるはずだ。誰が何を暫定的に所有するか、そして稀少資源をめぐる対抗的請求が存在するとき何をすべきがは、つねに明らかである。

[3] 私は二〇一一年にミーゼス研究所ブラジルで「社会秩序問題」“The Problem of Social Order”と題した講演を行った。これは、アラバマはオーバーンのミーゼス研究所で「国家か、それとも私法社会か」“State or Private Law Society”として公開されており、mises.org/daily/5270/State-or-PrivateLaw-Societyで入手できる。

(出典: mises.org)

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