今日は家族で出かけたのですが、普段歩かない道を使って駅まで向かいました。
途中、大きなお寺があったんですが、立派な鬼瓦が印象的でした。
お寺の屋根は、注意して見ると端の方が天に向かって伸びるように反り上がっています。
この理由や由縁について話しながら駅に向かったのですが、もう少し詳しく調べてみようと思いまして。
今回は、お寺の屋根が反り上がっている理由について書いてみます。
反り屋根
お寺のように、屋根や軒の端が反り上がっている屋根の形を、反り屋根と呼びます。
これは、中国から伝来した建築様式です。
反り屋根以外にも、てり屋根と呼ぶ場合もあります。
屋根を反り上げる理由
反り屋根は、不良長寿を願った形だと考えられています。
屋根を反り上げるのは、神仙思想の影響によるものだとされています。
屋根を反り上げる事で、建物を羽ばたく鳥の形になぞらえたことに由来しています。
建物の屋根を「天」に向け、長寿のご利益を受けることが目的だったと考えられています。
鴟尾(しび)の飾り
鴟尾(しび)とは、瓦葺屋根の大棟の両端につけられる飾りのことです。
沓(くつ)に似ていることから、沓形(くつがた)と呼ばれる場合もあります。
紀元前300年頃の中国晋の時代頃から、屋根に鴟尾(しび)が飾られるようになりました。
日本でも、法隆寺や唐招提寺、東大寺の大仏殿の屋根に飾られています。
鴟尾を飾る意味については、様々な説があります。
鴟は、非常に強い鳥だとされてきました。
そのため、反り上がった棟の両端に飾る事で、厄除けや火災除けの意味が込められていたと考えられています。
鴟尾(しび)から鯱(しゃち)へ
鴟尾の屋根飾りが中国で流行したのは、南北朝時代から唐の時代にかけてです。
その後、インドから密教が伝わると、屋根の鴟尾飾りが魚に変化します。
この時期使われたのが、鯱(しゃち)の飾りです。
鯱とは、姿は魚で頭は虎、尾ひれは常に空を向き、背中には幾重もの鋭いとげを持っているという想像上の動物です。
この鯱の原型になったのは、「摩伽藍(まから)」と呼ばれる獰猛な海獣だと言われています。
現在もあちこちで屋根に飾られているシャチホコは、インドが源流だったようです。
未完の美
寺の中には、屋根を反り上げるだけでなく、屋根の造りに意味を込めたものもあります。
京都にある知恩院は、大殿(本殿)の屋根に2箇所、瓦が置き忘れられたような場所があります。
これは、わざと瓦が置いてあるそうです。
「屋根の仕事はまだ終わっていない」
という、謎かけの意味があるとされています。
「物事は完成してしまうと、あとは滅んでいくだけである」
という世界観と美意識が、この未完部分で表現されています。
真理を求めるためには、修行し続けるのが大切だという心持ちが、置き忘れた瓦に込められていると言われています。
仁徳天皇と白土
屋根だけでなく、壁にも建築主の想いが込められたものがあります。
仁徳天皇の故事に、壁の仕上げ方に関するものがあります。
ある日、仁徳天皇は高台に登り、国々を見渡しました。
家々から炊煙が立ち昇っていないのに気づき、天皇は民の貧窮を察します。
そこで仁徳天皇は、3年間租税を免除されました。
同時に3年間は、天皇も自ら率先して出費を抑えることにしました。
大阪の難波高津宮に遷都したした際も、宮殿の壁は白土だけで上塗りせず、装飾も施しませんでした。
この高津宮建設について、『日本書紀』には「堊色せず(うわぬりせず)」と書かれています。
「堊」という字は、「あく」とも読み、白土を意味しています。
3年後、再び仁徳天皇が高台に登り眼下を見渡すと、多くの家々から炊煙が立ち昇っていました。
「民の竈(かまど)はにぎわいにけり」
という有名な言葉を残し、仁徳天皇は満足します。
一壁ニ障子三柱
昔から、建築の出来栄えを褒める言葉に
「一壁ニ障子三柱」
というものがありました。
壁、障子、柱の順番に、職人の技術の差が現れるという意味です。
白土の上に化粧を施さない壁は、職人の腕が試されます。
民衆のことを考えた政策を打ち出し続けた仁徳天皇のことです。
もしかすると、民の税を免除して暮らしを豊かにし、施政者に倹約を徹底することだけが目的ではなかったのかもしれません。
当時の職人の常識を覆し、少ない予算と素材でどう美しく仕上げるかという、技術力の向上を促すことにも繋がっていた気がします。
参考文献