体制派学会による知識の隠蔽
Martin Armstrong, The Suppression of Knowledge By Establishment Academics, January 21, 2015, [http://armstrongeconomics.com/2015/01/21/the-suppression-of-knowledge-by-establishment-academics/]
私が学会を批判する理由の一つは彼らが知識を隠蔽したという私の体験である。私は我々の歴史知識をさらに広げられるような重要な考古学的発掘に資金を使う。第一次湾岸戦争の爆撃がイラクの砂漠で誰も知らなかった古代都市を露にした。この古都には訴訟事件と論争を含むすべてが保存されている図書館があった。ところで、私は長年にわたって古代経済テキストの有名なコレクターであって、これらの数千枚の粘土板が闇市場に現れた。私はおのずとそこに接触した。発見物に入札した。そしたら私の唯一の競争者がノルウェー人の写本コレクターたるマーティン・シェーン(Martin Schøyen)であるということが分かった。この掘り出し物は一万三千冊以上を含むコレクションであった。マーティンのコレクションはマグナ・カルタの原版も含めた世界で最高のものだった。
学会は我々二人のような人々を憎悪している。というのも彼らは自分たちしかそのような発見の役を演じてはならないと考えているからだ。もちろん彼らにはお金がなく、納税者のお金で彼らのオモチャを買うために政府に阿って物乞いしながら歩くことになる。彼らは学界的な強欲ゆえに知識の全身にとって他の誰よりはるかに害をなしてきた。
イラクの砂漠での発見はハンムラビ法典に約三〇〇年先立つ世界最古に書かれたものとして知られるウル・ナンム法典(紀元前約二一〇〇年)を世に曝け出した。私はマーティンとチューリッヒで夕食に行った。我々は同意に達した――私は経済テキストへのアクセス権と引き換えに競りから手を引いた。彼はあらゆる文書を収集するもっと偉大なスペシャリストであり、私は彼のコレクションが適切な場所にあると見ている。この掘り出し物の翻訳はマーティン・シェーンによって完全に提供されている。翻訳に政府資金が欠けているとき、彼の私的な努力が我々の知識ベースに多大な貢献をしてきたのだ。ハンムラビ法典(紀元前一七九二~一七五〇年)が一九〇一年に初めて発見されたとき、この法は最初期の既知の例と布告されていた。この発見に続き、もっと古い法典コレクションが地上に顔を出した。
学会は、それが闇市場で購われたからといって、博物館に周遊する許可をきっぱり拒絶してしまうことでマーティン・シェーンの努力をブラックリスト化してきた。これらの人々は馬鹿野郎で、酷く危険である。私は彼らがなすことには十円ぽっちだろうと断じて寄付しない。このようなアーカイブは学会には発見できない。闇市場で発見されるのだ。そしたらこれが問題になる――誰かがそれを保存するために歩み寄るか、それとも闇市場で見つかったせいで無視するのか? 野郎どもはこれらのタイプの人々がそれをただで無傷のまま物を手渡すだろうと考えているのだ。人々は何も得られなければそれを破壊する可能性が高い。人々はあいにく金を好むのだ。学会はこの点で強欲な馬鹿である。目標はそれを保存することであるべきだ。我々はみな死すべき定めにある。とにかくそのようなコレクションは死の上に寄付されるのだ。
また、私はパピリ邸としても知られるウィッラ・スブウルバナ(Villa Suburbana)に埋まった残り二千八百平方メートルの採掘に歩み寄って出資するよう頼まれもした。これはウェスウィウスの傾斜地に位置するヘルクラネウムのリゾート地で最も豪華なヴィラであった。発掘された地の下で、一九九〇年代の新発掘は以前には未発見だったヴィッラのフロアを露にした。これは海を見晴らす一連のテラスを設えていた。学会はいつもどおり金がないから、私はこれに出資するよう頼まれた。これまでに生き残った古代の本の最も偉大なるコレクションを発掘するための余分の小銭はイタリア政府にはなかったのだ。私はこのプロジェクトを考慮していた。政府がプリンストン経済学部を差し押さえて以来、何もなされていない。
パピリ邸は古代ローマの町ヘルクラネウムにあった、七九年にウェスウィウス火山の噴火で埋まった私邸である。これは古代の書籍蒐集家の家であった。このヴィラはおそらくユリウス・カエサルの義父たるルキウス・カルプルニウス・ピソ・カエソニヌスに所有されていた。ウェスウィウス噴火は奇妙なことに、約三十メートルの火山灰でヘルクラネウム全土を覆い尽くしたとき、生き残ったことで有名な唯一の古代図書館を保存していた。
パピリ邸は一七五〇年と一七六五年の間にカール・ヴェーバーが地下トンネルで初めて発掘した。その名〔訳注:パピリ、すなわちラテン語「パピルス」の複数形〕は炭化したパピルスの巻物一七八五巻、すなわち「ヘラクラネウムのパピルス」を含む邸宅図書館の発見に由来する。
邸宅の所有者、最もありそうなこととしてカルプルニウス・ピソは、主に哲学的な性格の図書館を建てた。蔵書は彼の友達だったガダレウスのエピクロス派哲学者フィロデモスが集めたものと信じられている。エピクロスの追随者はこの道徳と自然の哲学者の教えを学んでいた。この哲学が教えたことは、人が死すべき定めにあり、コスモス、つまり宇宙は偶然の結果であり、摂理の神はおらず、良い人生の基準は快楽と節制である、というものだ。フィロデモスはヘルクラネウムとネアポリス〔訳注:現ナポリ〕で彼の周りに集まった若い生徒にギリシア文学と哲学を教えた。彼の作品の多くはヘルクラネウムで見つかった哲学図書館で約千巻のパピルスとして発見されたものだ。フィロデモスはこの時代の最も博学かつ有名なローマ人に影響し続けた。
紀元後七九年のウェスウィウス山噴火のとき、価値ある蔵書は火砕流に襲われたおりには即座に安全地帯へ移動できるよう箱に詰められていた。噴火は結局現場に二〇~二五メートルの堆積物を降り積もらせ、巻物を焦がしつつも保護していた。これは古代で唯一生き残ったライブラリーである。
以前掘り出されたものについて、いまや巻物が読めるようになるという幾らかの希望がある。いまやイタリア・ナポリのマイクロエレクトロニクスとマイクロシステム研究所の研究者は巻物を紐解かなくてもレーザーのようなX線を使って内部の文字を読むことができるようになったと言っている。もちろん、発見の余地あるほかの地はいまだ掘り出されぬままだ。それらは明らかにまた他の噴火の危機にある。政府は金を狩り取っているのだ――費やしているのではない。残された余地にはアリストテレス、プラトン、その他の失われし作品があるかもしれない。