最初に触れておきますが、恋愛論や恋愛テクニックについての記事ではありませんので、悪しからず。
昨日書いた記事に、いくつかの興味深いコメントを頂いたんです。
記事の中で、「変生男子」という言葉に触れた部分がありました。
今回頂いたコメントは、法華経と変生男子が深く関係しているというご指摘でした。
コメント、興味深く読ませていただきました。ありがとうございます。
気になったので、早速法華経に関する本を何冊か読んでみました。
法華経に限らず、仏教の経典は不変の真理を短い言葉に凝縮したものだと思います。
心穏やかに生きるためのヒントが、経典の中にたくさんありました。
そして、当時の人達の価値観や考え方もその中にたくさん残っていました。
特に、当時の人達が女性の存在をどう捉えていたかについては、とても興味深いものでした。
そこで今回は、中世日本において男性が女性を避けた理由について書いてみます。
戦の前に女性に触れてはいけない
戦国時代の武士たちは、戦の前に女性に接触してはいけないとされていました。
『続群書類従』という、明治35年(1902年)から昭和47年(1972年)までの、70年もの年月をかけて編纂された書物があります。
この中の『兵将陣訓要略鈔』という項目の中に
大将軍門出の折、女人に後せぬ事なり。
慎むべし。
軍障碍は女人の交に過たる禁忌なし。
五障の女人とてさはり災凶の誠、是第一の凶兆なり。
尤畏るるべきなり。
とあります。
要約すると、戦の前に女性と交わる事は最大の禁忌である、という事です。
その理由は、女性は五障の存在だからと書かれています。
五障とは
五障とは、仏教の考え方です。
女性がなることができないとされている、5つの存在を五障と呼びます。
この五障を説明したものが、『法華経』の『提婆達多品』という部分にありました。
女身は垢穢にして是法器にあらず。
云何んぞ能く無上菩提を得ん。
仏道は縣鑛なり。
無量劫を経て勤苦して行を積み、具さに諸度を修し、然して後に乃ち成す。
また女人の身には猶ほ五障あり。
一には梵天王となることを得ず、二には帝釈、三には魔王、四には転輪聖王、五には仏身なり。
とあります。
要約すると、女性は煩悩にまみれているので、仏の教えは完全に受け入れられない存在である。
長く苦しい修行を経なければ、仏にはなれない。
また、女性には五障といわれるどうしてもなれない存在がある。
1つ目は、梵天王。
2つ目は、帝釈天。
3つ目は、魔王。
4つ目は、転輪聖王。
5つ目は、仏である、という意味です。
血を連想するもの
『兵将陣訓要略鈔』には、具体的に女性に触れてはいけない内容が書かれています。
出陣する3日前からは、妻や側室と夜を共にしてはいけない。
戦で身に付ける衣装は、妊婦に縫わせてはいけない。
といったものです。
女性の中でも特に、妊婦は戦の前に避けられる傾向にありました。
これは、出産は出血が伴うからだとされています。
中世の日本では、血は穢れとして考えられていました。
また、武士にとっても、戦の前に血を連想する物事や相手には近づかないという、ゲン担ぎの意味もあったようです。
男が女を避ける理由
古い仏教経典や戦国武士から、女性が避けられていた本当の理由について考えてみました。
女性と接することが一切なく、寺にこもって辛い修行をする僧からすれば、女性の存在は心を惑わすほど魅力的な存在だったんだと思います。
また、戦国武士にとっても、戦の前に女性と長い時間過ごしてしまうと、情け心が生まれてしまうことだってあったと思います。
古来から日本の神は、機嫌を損ねなければ豊穣や幸せをもたらしてくれる存在でした。
でも神が機嫌を損ねたら、災害や厄災をもたらすと考えられてきました。
だからこそ、人々は神の機嫌を損なわないように、神を祀ってきたとされています。
もしかすると女性も、男性にとっては日本の神のように二面性を持った存在だったのかもしれません。
厳しい戒律や規律で縛られる修行や争いの中で、命懸けで生きなければならなかった男性達にとっては、女性は心を乱す存在と捉えられていた気がします。
だからこそ、経典やしきたりの中で女性は避けられる存在になったのではないでしょうか。
こうした
「修行の妨げにならないように」
「戦の前に情け心を生まないように」
といった本来の目的に目を向けることがなくなり、女性差別や女性蔑視につながる、表面的な女性観だけが世の中に浸透していった気がします。
いつの時代も、男性にとって女性は時には身を滅ぼすほど魅力的な存在なんだと思います。
そして日本の神々と同じ「二面性」を持つ女性は、時には男性を畏怖させることもできる、強くたくましい存在なのかもしれません。
参考文献