こんにちは、DACです。
今回はブログの更新に関するオピニオンです。
元ネタとなるエントリ
概要
読者数200名を超えた契機に考えていることを率直に出してみたりょうへいさんのエントリです。
PVを得るようになって同時に周辺のブログ、読者登録しているブログに感想を書いたり、TwitterなどのSNS上で交流したり、記事を書いたり、色々良い循環を作ってきた。そして、そういった良い状況の中で、がむしゃらに記事を更新して、
前に進むことで僕の存在価値は見い出せる
質も量もという考え
楽しむ為には、楽しくなる為のリスクを負っていかなければいけません
という気づきと思いを持つようになったという告白をされています。
感想
全体として
とにかく真面目で清々しいくらい真っすぐなんだなあと好感を持って読みました。
一方ですごく心配にもなりました。ここまで真面目に前向きにならなくてもいいのに…とも思いました。自分が不真面目というのもありますけれど、あらん限りの時間、アテンションをブログに傾けすぎているようにも思いました。それは前に進むことで僕の存在価値は見い出せる
あたりから強く感じ始めました。
人の存在価値はブログと直結しない
確かに自分が知っているりょうへいさんはブログを書いているりょうへいさんだけです。だから、ブログのエントリが無ければ、りょうへいさんの人となり、何を楽しみ、何を喜び、どういったことに興味を持って生きているのかを知ることは出来ません。だから、ブログを書いてこそりょうへいさんを知ることが出来るということは間違いではありません。閲覧者がブログを通してりょうへいさんの存在を見る訳で、アテンションを維持したり増加したりすることはきっと大事です。
でも、そもそもブログって伝達の一つの手段に過ぎないですよね。色々なことを伝えられるけど、そこに自分の存在意義を乗せちゃうと他はどうなるんだろう…って思うんです。
ブログに載っていないりょうへいさんだって沢山ある訳です。それを余すところなく乗せたいっていうなら、そのために時間を費やす考えもあるでしょう。個人的にはブログは数ある時間の使い方のごく一部であるべきと思っています。
時間の使い方
一日24時間ある中でどれだけをブログに費やすかはその人なりですけれど、沢山費やせば他のことに使える時間は必ず減ります。存在価値を乗せてしまうほど直結すると疲れ過ぎちゃう気がします。
普段の生活の一部として、ブログの運営を出来るようになるには練習が必要だと思います。息を吐くように出力するにはそのための環境作りや考え方、生活習慣を整える必要があります。でも、無理なく出来るようにならないと息切れして倒れた時にどちら側にも戻れなくなります。
例えば、別の例ですが、すごくすごく仕事を頑張っていた人が疲れすぎて休むとき「まだ頑張れます」「今日はご迷惑かけますけど明日から大丈夫です」とおっしゃいます。でも、その人が倒れるには蓄積したそれまでの疲れがあるんです。心も体も疲れ切っていて本人が自覚していないだけなんです。そうなると立ち上がれなくなってしまって顔を見ることも出来なくなったりするのです。
立派になる必要はない、ブログ運営で一番大事なのは自然体で更新出来ること
自分がお伝えしたいことは「立派になる必要はない、ブログ運営で一番大事なのは自然体で更新出来ること」に尽きます。
心から応援はします。そういう一生懸命なブログを読むのは大好きです。でも、自分を一番に大事にしながら、楽しく継続できる方向性をご検討下さい。
このオピニオンは上からに見えるかもしれませんし、きっと余計なお世話なのでしょう。ただ、自分なりに思ったことをお伝えしたいと思いました。
りょうへいさんを俎上にあげましたが、今これからを頑張って試行錯誤されている新人ブロガー皆さんにお伝えしたい思いです。