「負けが見えている」ということは「勝ちも見えている」
大半を真っ黒な石に埋め尽くされたオセロの盤面を想像してみてください。黒を「間違えた問題」、白を「解けた問題」とすれば、受験勉強のスタート地点において志望校の過去問や志望校レベルの問題集に取り組んだ場合、多くの受験生はそんな見るからに敗戦濃厚な状況下に置かれていると言えます。
スタート地点なのに、ずいぶんと負けが込んでいる。通常のオセロであれば2対2の平等なスタートが約束されているわけですから、すでに盤面が7割方黒で埋め尽くされているとしたら、それはもう「負けが見えている」と感じてしまうのも無理はないのかもしれません。
しかし案ずる必要はありません。受験勉強に関しては、みんなそんなレベルからのスタートです。石を置く場所を間違えなければ、逆転は充分に可能です。この時点で心が折れてしまった者たちが、真っ先に敗者となります。そういう人、少なくありません。
しかしオセロのスタートが2対2であるのと同様に、これは受験勉強における標準的なスタート地点なのです。まずはこのことを理解しましょう。実は「負けが見えている」ということは、「勝ちも見えている」ということなんです。
同じ間違いを繰り返さなければ、成績は自動的に上がっていく
これはオセロなのですから、やるべきことはただ一つ。黒を白に変えていくことです。つまり一度「間違えた問題」を、ひとつずつ「解けた問題」に変えていけばいいのです。より正確に言うならば、「一度間違えた問題に再び出あったときに、間違えないようにすれば良い」ということです。
もちろんそれは、言うほど簡単なことではありません。ただ、人生における他の出来事に比べたら、やるべきことが決まっているぶん、遥かに楽な作業です。たとえば「大ヒットする名曲を作りたい」「面白い漫画を描きたい」とか、もっとアバウトに「素敵な恋がしたい」「幸せな人生を送りたい」なんていう目標に比べたら、とても明確に「やるべきこと」が決まっていると言えるのではないでしょうか。
「やるべきことが決まっている」=「勝利へのルートが見えている」
入試問題には出題傾向というものがあり、出題範囲もおおよそ決まっています。ある程度不利な状況に見えたとしても、「やることが決まっている」というのは、実のところ「勝利への道筋が見えている」という状況であるわけです。
ただし気をつけなければならないのは、黒をグレーではなく、確実に白に変えていくということです。一度間違えた問題を、二度と間違えないようにするのが勉強であって、単に「答えあわせをする」という作業が勉強なのではありません。
わからない箇所は「挟み撃ち」にして、黒を確実に白へと変える
そして、わざわざ勉強をオセロにたとえた理由がもうひとつあります。それは「黒を白に変えるには、必ず前後から挟み撃ちにする必要がある」ということです。
「黒=間違えた箇所=わからないこと」が見つかった場合、それを白に変えるには、単に間違えた箇所だけをピンポイントで見直したり憶え直したりするだけでは難しい。黒を白に変えるには、その前後の箇所も合わせて見直し、確認していく作業が必要になります。
日本史・世界史であれば前後の時代の流れを、英語であれば類語やその他の例文を、数学であれば別角度からの解法も、合わせて確認することを習慣づけることで、知識の定着度は格段に増していきます。
それにはもちろん「周辺知識を増やす」という意味もありますが、そこまで欲張らずとも、「周囲をひととおり包囲することで、真ん中の知識(=間違えた箇所の正解)を固める」というイメージのほうが近いかもしれません。
「あとでしっかりやる」よりも「今しっかりやる」ほうがラク
それは一見まわりくどい、面倒な作業に思えるかもしれません。しかしグレーな状態のまま次も同じ間違いを繰り返すよりは、そうやって一回の作業に手間を掛けたほうが、結果的に効率が良いのです。
受験勉強で失敗する人の傾向というのはだいたい決まっていて、基本的に「やるべきことを後回しにするタイプの人」は失敗します。「最初はなんとなくやって、あとでしっかりやればいいや」という人よりも、「最初に力を込めてやって、あとは確認程度で」という人のほうが記憶の定着も良く、確実に成果につながります。前者は結局のところ黒を白に変えるまで至らず、グレーなまま本番を迎えてしまう可能性が高いのです。
間違えた「黒」い箇所を次々と「挟み撃ち」にして「白」に変えていくこと。受験勉強の本質とは、実のところそのように至極シンプルなものなのです。「わからない」という不利な、しかしごく当たり前の状況に匙を投げなければ、確実に道は開けています。