人間には経験に応じたアピールポイントが蓄積されているはずで、それは称号よりも価値があると思います。
はい、みなさんこんにちは。いんたらくとです。
称号のはなし
ブロガーの場合、文章力があれば多くの人を惹きつける文章が書けるし、それを武器にすることもできます。それを持っている皆さんは誇りに思っていいです。でも、それを持っていないからと言って悲観することはありません。なぜなら、各個人には他人と同じものはない「経験に応じたアピールポイント」が蓄積されているはずだからです。
なんでうちの大学名を晒したブログってないんだ?
きりん氏の「なんでうちの大学名を晒したブログってないんだ?」という疑問は、意外と簡単なことで、大学名を出す必要がないからだと思います。その大学の方で情報を発信している人は学歴という称号以外にアピールしたいことを持っているのではないでしょうか。
今回は学歴の話ではないので軽めにしますが、学歴(=学位)は称号なので、ないよりはあった方がいい。例えば「国民栄誉賞」という称号を授与された人がいたらすごいと思うでしょう。でも、いつまでもそれを前面に出している人はいません。過去の回想で「あのときは・・・」と語ることがあっても、いつまでも「国民栄誉賞」を受賞した◯◯と自己紹介しません。
なぜなら、そのような人々は称号よりもアピールするもの・したいものを持っているからです。例えば世界五大陸最高峰登頂した植村直己氏も「国民栄誉賞」の受賞者でありますが、最後まで冒険家でした。(その冒険途中に行方不明になった。)
きりん氏の場合も「学歴」という称号に頼らなくても十分に「病気のこと」や「壁登りのこと」というアピールすべきものを持っているので心配しなくても良いのではないかと思います。
アクセス数という称号
実際に称号というのはいたるところに存在します。法律で義務付けられている運転免許のようなものは別としても、趣味の「なんとか検定」もブログの「月間◯万PV」も客観性がないかもしれませんが称号です。
ブログの「月間◯万PV」という称号に関して言えば、このサイトは主張するほどではありません。あったらいいなとは思います。
ところで、風のうわさによるとスパム的な集客で「月間何万PV」という称号を手に入れた人もいるらしいではありませんか。でも、そのような人の記事が琴線に触れることは一般のブログと比較して少なかったので、羨ましいや妬ましいと感じたことはありません。あまり他人のことは言えたものではありませんが「大絶賛されているのに、内容が薄く読んで残念だったな」と感じたことはあります。なお、私がスパム集客をしないのにはいわゆる矜持があるからです。偽りの数字になんの価値があるのだろうか。大体、スパム集客以外にアピールしたいことはないのか。
当たり前のように素晴らしいサイトもあります。そういうサイトに対しては、そこに何かの差があるのだから差を埋める工夫をしなければと思いながら読んでいます。具体的には私が読ませていただいているブログのことです。
あと、いつもお読みいただいている「いんたらくたー?」の皆様。日頃より私にとって非常に価値のあるご意見ご感想をありがとうございます。
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