Winkが淋しい熱帯魚を歌ったこの年、
たぶん、1989年は異様な年だったのです。
異様と言ったら、叱られるかもしれない。
1989年
1月、昭和天皇が崩御される
6月、天安門事件
11月、ベルリンの壁崩壊 ・・・ ベルリンの壁は東西冷戦の象徴であった。
12月、チャウシェスク政権崩壊
2月、手塚治虫亡くなる
6月、美空ひばり亡くなる
11月、松田優作亡くなる
8月、宮﨑勤、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件を自供
11月、坂本弁護士一家殺害事件
10月、三菱地所がアメリカ のロックフェラー・センターを買収
12月、日経平均株価が史上最高値の38,957円44銭を記録
「ネクラ」・「ネアカ」について
インターネットの辞書には以下のように記載されています。
バブルの手前、フジテレビが「母と子のフジテレビ」から「楽しくなければテレビじゃない」にキャッチコピーを改め、カルチャーならぬ「軽チャー路線」を打ち出した1980年代前半頃から、「ネクラ」・「ネアカ」という言葉が世を席巻した。
1989年には『東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件』が起き、その容疑者(当時)が「ネアカ」と呼ばれる、前述のような当時若年層に求められた青年像とは、対極に位置する外見であったことや、アニメマニアだったことから、似たタイプの若者は「オタク族」といわれだした。この頃の「オタク」は、2014年時点と違ってネガティブな意味でのみ用いられ、精神科医の小田晋はメディアで「オタッキーの犯罪」を連呼していた。
このころからの「ネアカ」であることが良しとされた傾向は、こんにちの「コミュニケーション能力」が高いことが良しとされる傾向につながっているかもしれないと思うのです。
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