不当処分の事例は枚挙にいとまがない。
宮崎大学では、
福岡教育大学や北海道教育大学では、従来であればせいぜい厳重注意か戒告程度であった「微罪」によって、教員が停職などの過重懲戒を受けている。両大学は、文科省が推奨する学長選出時の教職員投票の廃止と、学長へのあらゆる権限の集中を、他大学に先がけて進めたことで知られている。
広島大学や岡山大学では、同僚教員の研究不正やハラスメントを告発した側が、雇い止めや懲戒解雇に遭っている。
広島大学のケースでは、任期制教員が上司の研究不正やすさまじいハラスメントを長年うったえてきたにもかかわらず、大学執行部が有効な対応をしないどころか、逆に告発者を雇い止めした。岡山大学では、不正告発に関する執行部の審査がきわめてズサンであったことを、学内の研究者や学外の科学ジャーナリストが指摘していたのに、学長が告発者側の懲戒解雇を強く推し進めた。
留意すべきは、両大学がこの10年間、政府・文科省が進める「大学改革」路線に最も忠実だった国立大学として知られていることである。
一定の伝統と規模をもつ私立大学においても、独裁的な権限を握った理事長・理事会が、法人の方針に批判的な教員を懲戒解雇に追い込む事例が増えている。
たとえば中京大学では、理事会の学部再編方針に批判的であった元学部長が、入試での待機義務を1日だけ失念したという、謝罪・解決済みのケアレスミスを蒸し返されるなどして、法人から懲戒解雇処分に遭い、現在も裁判係争中だ。
創始者一族が経営する小規模大学など、もともと集権的体質が強い私立大学の一部では、以前から教職員が不当な過重処分に遭う事件が起こっていた。
だが、近年では、これまで比較的「民主的」または「穏健的」な運営がおこなわれてきた大~中規模の私立大学や国公立大学にまで、そうした不当処分が広がってきている。
大学での不当処分については、個別の事件として報道されることはあるものの、その背後に横たわる構造的な問題は、これまで社会では広く知られることがなかった。
しかし、政官財界などが求める大学改革の一環として進められてきた「ガバナンス改革」によって、自由な研究・教育活動がおびやかされるほど大学執行部に権限が集中したことが、不当処分のような事件が頻発する原因になっていることは、もはや疑いようのない事実だ。
いまこの国の大学では、憲法が定める最低限の学問の自由と大学の自治さえもが、侵害されるようになっているのである。