むかし、グロソブ(グローバル・ソブリンボンド・ファンド)が登場した時、直観的にこれは売れると思った。すでに高齢者の手元に多額の現金(余裕資金)がたまっている状況であったから、そういう人たちのニーズとしては元本を維持しながら、毎月お小遣い的なキャッシュフローがある、というのは非常に魅力的だろうと思った。仮に時価変動で元本を割り込むことがあったとしても、利息配当金だけを分配金に回している限り、経済サイクルの中で戻ることもあるだろうし、結局大きな視点では金利差と為替の将来価値とは相殺されるので、まあ(もちろん手数料は別にすればだが)大きな問題のある商品ではないと思った。また、当時はまだ内外金利差があったうえ、その絶対値も高く、元本を維持しながら利息配当金収入を毎月分配していくことは十分可能に思えた。 しかし、もちろんもともと商品設計上予定されていたとはいえ、金利水準が低くなってくると元本からの「配当」を堂々と行うようになった。機関投資家など法人の経理では、投信からの分配金において、利益からもたらされるお金と元本の払い戻しとしてのお金は厳密に区別される。そうしないと期間損益が正しく測れないからだ。個人でそういうことを考えてやる人はあまりいないし、そもそもフローしか見ていない超どんぶり勘定である。さらにいえば、損したか儲かったかすら、わかりにくくなってしまう。 金融機関の窓口や証券マンに勧められて投信を買う人のうちのかなりの部分が、そうした厳密な経済的な得失を考えないで、勧められるがままに買っている。とくに老人層は、話し相手になってくれることのほうが、投信の経済的利益を上回る効果があるのではないかとも思うので、端的に言えば、「あのおねぇちゃんがしょっちゅうたずねてきてくれていろいろ親身になって話きいてくれるさかい、投信買うたった。まあなんや結構毎月お金が振り込まれてるし小遣いにはええわ。え?元本?それなんや?報告書?そんなもん、めんどくさいさかいゴミ箱行きや」みたいな状況が繰り広げられているのかもしれない。 表題の本日の日経新聞の記事をみてまあそんなこともいろいろ思い出したりしたのですが、たしかに記事にある通りで、日本は「旬のテーマや高い分配金の払える投信を次々に設定しては、投資家にせっせと勧める」ことが普通です。しかし、そういう投信だから、旬を過ぎたりすると売れなくなるし、分配金をたくさん出すことをうたっているとグロソブのように元本を食いつぶしていくし、みたいな形で、残高の小さい投信が山のようにできてしまう。投信ビジネスの厄介なところは、投信というのは残っている限りずっと「基準価格」の算出を続けなければならないのですが、投信を一つの企業と見立てれば毎日決算があるのと同じで、1本1本についてかならず「間違いのない処理」を毎日要求され、したがってそれに係るマンパワー(完全には機械化できないと思う)を常に用意しておかねばならない。そのコストが、投信1本ごとの残高が小さくなれば単位当たりで非常に大きな負担となるということです。これはまさにこの記事にもある通りで特に「報告書作成費用」などは残高にかかわらずあまり金額が変わらないので、残高が小さいと非常にコスト要因となるのです。 残念ながら、いわゆる有識者と呼ばれる人々の中でもこの辺の機微を十分わからずに「顧客本位の業務運営の原則」などのたたき台を議論していた人がいたようです。ある投信会社の社長さんから聞いたのですが、「投信会社が小規模投信をいつまでも整理しないで放っておくのは、投信残高がある限り「信託報酬」というかたちで永遠にお金が入ってくるから」などということを平気でおっしゃる学者の方もいるとのこと。投信会社にとってもそんなものは赤字であって、非常に面倒な手間がかかるから二の足を踏む(お客さんへの説明とか)ところはあっても、早くやめたい(償還したい)ところでしょう。本日の記事はようやくそのような動きが現実になってきたことを意味します。 まあ、一応同様の業界にいるワタクシの目から見ても、この記事にあるような問題は痛感するところでありまして、概ねうなずけるところではありますが、ちょっとだけ気を付けなければならないことがあると思います。 それは、「低コスト指数連動型」やそれをベースにした「分散投資型」だけが善であるというのは、はっきり言っていろいろな意味で間違っている、ということです。もちろんコストという点では極めて顧客フレンドリーでしょうが、金融市場を通じた投資というのは、それ以外の重要な役割を担っているということを忘れてはならない、と思うのです。それは、社会的に正しい資金配分を手助けする。ということです。指数に投資することは、このブログで何度も言っている通り、味噌も糞も一緒に買うということです。もちろん最近でこそ、スチュワードシップ・コードの改正でも強調された通り、パッシブ運用におけるエンゲージメントの強化がうたわれていますし、まあ指数に投資するなら、アクティブではなくパッシブ(指数連動)やETFのほうこそ、しっかりと株主としての行動をとってほしいと思うわけですが、それと「低コスト」は絶対に矛盾するわけです。結局のところ会社の内容や経営方針をしっかりと理解しないと株主として行動できないわけで、そのためには綿密なリサーチが必要なはずで、パッシブやETFは大きくなればなるほど本来それをやらなければならない。なにせ集団としては影響力が大きくなるわけですから。 この辺のコストがアクティブのマネージャーに丸投げされて、パッシブはタダ乗りしているというのがこれまで批判されていたわけで、その点は森長官の肝いりで強化されたスチュワードシップ・コードを突き詰めると、指数連動が低コストでいられるのか?というのは大きな疑問があります。 むしろ、株式市場を含む金融市場の役割は、きちんとした目利きを通じてお金(金融資源)の適正な配分を行い、それを通じて将来のよりよい社会を目指すということだと思うので、目先の手数料がどうたらこうたらみたいな議論は、もちろん個人の「資産形成」という点では重要ではあっても、もう一つの重要な論点をかなり無視しているとしか思えないのです。 |
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パッシブ運用がフリーライドになっているというのは、同意できます。昔は証券会社の店頭にダウ平均を買いたいという客が来たという笑い話がありましたが、今は普通に買える様になった弊害ですね。 |
さいき洋品店 2017/05/12 12:20 |
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