こんにちは、現在は店に所属せず、出張調理や料理サロンの運営を行い、フリーの料理人として活動している「ぼり」です。
ぼくは昨年の夏に料亭での板前修業を辞めました。仕事が辛かったのではありません。
これにはいくつかの理由がありました。
- 店を持つことは大きなリスクを伴う
- ずっと固定された場所で働きたくない
- 毎日ずっと料理と向き合う生活をするほどまで料理に没頭しきれなかった
こうした理由はこれまでもこのブログにも書いてきたのですが、今までずっと書き起こしてこなかった、というか書き起こすのが怖かった理由がもうひとつあります。
『「板前の世界観」に耐えられなくなったから』です。
もう2度と思い出したくない出来事ですが、1年前の自分に対して、心の整理の為に書き起こします。
ずっと馴染めなかった板前の世界観
ぼくは普段はそんなこともない(と思っている)んですが、仕事モードになるとけっこう生意気な性格をしています。
先輩が言ったことでも「おかしい」と思ったら、言葉は選んでいるものの、そのまま伝えます。というか口から勝手に言葉が出ちゃうんです。だいたい嫌われます。
そんな性格なので、自分の行動に責任を持たず、口だけで何もしないような先輩には全く敬意を示していませんでした。
それで、前勤務先の料亭に勤めはじめた時、最初は本店勤務になったのですが、現場に長くいる人間に口答えをしたことがきっかけで完全に干されました。
その時ぼくに対して投げられた言葉は「今までこれでやってきたからこれでいいんだ!口を出すな!」です。全く以って納得はいきませんでした。
それからは、仕事を貰えない、無視、「そんなことも知らないのか?」と言いつつ必要なことすら教えない。
結果、仕事が始まる前になると胃が痛くなる。こんな日々が1ヶ月ほど。
本店にとって目障りな存在だったぼくは、入店から3ヶ月で遠く離れた支店に異動になりました。
ただ、トラウマばかりの本店にも、ぼくには大好きな先輩がひとりだけいたんです。
本気で尊敬できたたった一人の先輩
ぼくの大好きな先輩は、本店で主任をなさっていた方で、厳しくも優しい。絵に描いたような素敵な先輩でした。
本店の中でも、干されているぼくのことを唯一気にかけてくれていた先輩だったし、厳しいときもふざけるときも、いい意味で「普通」に接してくれた。
支店に飛ばされたぼくは、その人と同じ目線に立つことなんてもちろんできないけど、背中を追っていました。
いつかは肩を並べて仕事ができるようになりたかった。
少しだけ見えてきた背中
支店で半年間勤めてから、ようやく東京の「本店ではない店舗」へと戻され、それから3年が過ぎます。
ぼくの仕事は割と順調で、単に現場で「技術的にちょっと背伸びした仕事」をいただくだけでなく、少しづつではありますが、現場の管理を任されるようになっていました。
これは自分で言うのも恐縮ですが、正直板前の世界では割と早い出世だったので、責任感とかも乗っかって、かなり仕事にのめり込んでいたと思います。
*仕事ができたどうこうではなく、自ら仕事をむしり取りに行くってタイプだったので、結果的に仕事を貰えたってだけだと思っています
「どうしたらもっと現場がうまくまわるのか」「どうしたらもっとみんなのモチベーションがあがるのか」そんなことを考える日々。やりがいも存分にあったので、充実した毎日でした。
そして、トラウマの地となっている本店からも、「支店である程度の仕事を任されている人間」として関わる機会が増えてきます。
先輩の横に立つことがぼくのリアルな目標になった
ある日、ぼくは先輩から直接お話しを頂きました。
「社長の意向で、店を盛り上げるために本店のカウンターを独立した個人店のように扱うことになりそうだ。そこで俺が店主のような形で立つことになるんだけど、お前、俺の横に立たないか?」と。
ほんと、まじで泣きそうになりました。
ぼくの仕事を見て頂けていたこと、そして自分の目標が達成するかもしれない。
邪魔者扱いされ、トラウマでしかなかった本店に必要として頂いたこと。
当時、ぼくが現場で担当していた仕事はそれなりに責任が重いものが多かったので、いつ先輩からのお呼びがかかってもいいように、「自分がいつ抜けてもいい状況」を作るための仕組みを作ることに専念しました。
「先輩の横で修行したい」という、ただそれだけのぼくのわがままな気持ちでした。
大好きな先輩が「業界」に潰された
時を同じくして、会社で大きめの事件が起こりました。
ぼくの支店の料理長と社長が大げんかをしたんです。
もともと社長と料理長は折り合いが悪く、小競り合いになるようなことはよくありました。(料理人の世界では経営者と職人がぶつかることは珍しくありません)
だけどその時ばかりは、社長が「今まで我慢してきたけどもう限界だ」状態になり、ぼくの支店の料理長を降格することにしました。
そこで次期料理長の候補にあがったのが先輩です。
ところが先輩は「下積み時代に支店料理長に仕事を教えてもらっていた」という経緯があったので「育ての親を裏切ることはできない」という理由で社長からの話を断りました。
結局、どうしても支店料理長をトップから下ろしたいという社長の意向は変わらず、現場歴の長かった本店の方を料理長に据えて、補佐として先輩を起用するという形で人事の異動が決定。
これがすべての引き金となりました。
板前の世界は「黒のヤクザと白の板前」と例えられるくらい義理人情に厚い世界です。だいたいの「板前」は横の繋がりで形成されてるんです。
その横のつながりのなかで「あいつ(先輩)は育ての親(支店料理長)を裏切った」と噂され、今まで先輩と関わっていた板前の世界の人たちがこぞって連絡を断ち「あいつとは関わるな」という話が出回りました。
板前の世界にかなり大きな影響力を持っている連合だったので、その世界で生きている一個人が潰しにかかられたらひとたまりもありません。
中学を卒業してから板前1本で生きてきた先輩は、自分が今までずっといた板前の世界から干されてしまったことが理由で気を病み、鬱になり、現場に立つことができなくなりでした。
本当に悲しいよ。誰より全体を考えて行動を起こした人が潰れる。
— 板前ぼりさん (@borilog) 2016年4月10日
板前の世界観を許せなかった、ぼくは板前を辞めた
先輩がいなくなった現場には、ぼくにとって何の目標もなくなってしまいました。
正直、板前の世界観に触れているだけでも本当に吐き気がしたし、変わらず現場に居続ける、立場が上の人間と関わることさえ辛かった。
義理人情を履き違えた空間で、どれだけそれっぽいことを言われても、ぼくの耳にはもう何も入ってきませんでした。
退職した先輩が、しばらく経って自分の道具を引き取りに来たときの暗い表情と、口から出た「いろいろと迷惑をかけてすいませんでした」の言葉。
荷物を持った先輩を見送ったあと、ぼくの涙はしばらく止まりませんでした。
それまで慕ってくれていた後輩もいたし、3年という期間を必死で修行した現場だったので、心残りはいくらでもあったけど、それを上回るくらいに、ぼくは板前の世界観が許せなかった。
そして先輩が消えた2ヶ月後、ぼくは会社を辞めます。
こうしてぼくは板前の世界観からは完全に離れました。
会社や組織に「依存」せずに生きる方法を探しはじめた
他の店舗で働いた期間を含めて合計しても、たかだか6年程度しか板前の世界を経験していない半人前のくせに偉そうかもしれませんが、ぼくはこの件が起きたことで板前の世界観には2度と触れたくないと本気で思いました。
ぼくは「たまたま」悪い面を見てしまっただけで、「板前の世界観」の全てを否定する気はありません。でももう無理でした。
そしてもう一つ。これは先輩が聞いたら気を悪くするかもしれないけれど、『「組織に属していないと生きていけないこと」がどれだけ危険なことなのか』ということを目の当たりにしました。
降格になった料理長も先輩も、「他の方法でも生きて行く力(組織に依存しなくてもお金を稼ぐ方法)」を身につけていれば、「自ら会社を辞めて別の道に進む」という選択もできたのかもしれません。
でも、長い板前修行に没頭するあまり、それを考えずに「何か(組織や企業)に依存していた」んだと思います。
だからぼくは会社を辞めて、まずは「自分でも生きていける力」を養った上で、自分の意思で仕事を選びたいと思った。
別にフリーで生きて行くことに執着している訳じゃなくて、会社勤めもとっても素敵なことだと思っています。
ただし、どこかに所属していないと他では生きていけない状況を作ることの危険性はイヤというほど目の当たりにしたので、今後も絶対にその状況はつくりたくありません。
これは板前に限らずどの世界の話でも言えることだと思っていて、「いざとなったら別の道でも生きられる方法」を持っておかないと、ずっと怯えながら生きなければならないと思っています。
さいごに
結果的にぼくは板前の世界から逃げた人間です。
でも、あのままあの場所にいたら多分ぼくは本当に潰れていた。
1年前に勢いで会社を飛び出した当時、ぼくは「自分で仕事を取ってくる力」なんて全く持っていなかったので、かなり迷走しました。
がむしゃらなまま1年が経ち、ようやくなんとか仕事を頂けるようになってきた。
もし同じような立場になっている人がいるのであれば、「本当に無理だと思ったのであればさっさと逃げていい」と伝えたいし、できることならみんな自分にとっての「逃げ道」をちゃんと残した上で「働く」という事を選んでほしいと思っています。
先輩のような目に会う人が一人でも減ってほしいし、ぼくは自分の活動を通して「こんな生き方もできる」ということを体現してきたい。
以上、ぼりでした。
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