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秋の味覚の天ぷら(後篇)
しゃくり。
良い音を立ててアルヌが天ぷらを齧った。
舞茸の天ぷらだ。居酒屋のぶの品書きの中でもこれは人気が高い。
カウンターに移ったアルヌが食べる様子を、エーファとヘルミーナがじっと見つめている。
「これは……凄い」
「お口に合ったようで良かった。さぁ、どんどん召し上がって下さい」
信之が揚げて油を切り終えた分から直接アルヌの皿に盛っていく。
椎茸、しめじにエリンギのきのこにはじまり、オクラ、蓮根、獅子唐や、鰯に烏賊に蛸と控えている食材は多い。
それをアルヌは次々と口に運んでいく。
まるで食べ盛りの子供のような勢いだ。
あまりに慌て過ぎて、喉に詰まりそうになるのをビールで流さねばならなくなる。
「テンプラというものがこれほどのものとは。揚げ物はいろいろ食べたことがあるが……これにして正解だった。イーサクにも食べさせてやりたいな」
「イーサク?」としのぶが尋ねると、アルヌは天ぷらを食べる手を止めずに少しはにかんだ笑みを浮かべる。
「私の友人でしてね。無二の親友と言っても良い」
「それは是非、今度連れてきて下さい」
「ああ、イーサクは美味い物には目がないから」
アルヌは食べるというより貪るように天ぷらを平らげて行く。
フォークで刺す、口に運ぶ、噛む、飲み込む、フォークで刺す、口に運ぶ、噛む、飲み込む……
両隣でその様子を見ていたホルガーとエトヴィンの喉が揃って鳴る。二人は同時に注文の手を上げた。
「シノブちゃん、こっちにもテンプラを頼む」
「儂にもテンプラを、その、なるべく早く」
「はい、秋の味覚の天ぷらですね。ありがとうございます」
料亭ゆきつなでも上から三番目の板前に当たる椀方を務めていただけあって信之の手際は良い。
だがそれでも皿が空になる程に、三人が食べるのもなかなか速い。
「そんなに急いで食べなくても、天ぷらは逃げませんよ」
「いや、しかしシノブちゃん。逃げはしなくても、冷めはするからな」
「揚げ立ての一番美味いところを食べるのが、料理と作った物に対する精一杯の真心というものじゃろう?」
そんなことを言いながら頬張る二人を尻目に、アルヌだけはゆっくりと味わいながら、何事かを独り呟いている。
「このサクリサクリとした食感の絶妙さと来たら、まるで初夏の砂浜を少女が裸足で歩くが如き……いや違うな。満天の秋空を埋め尽くす星々の如き」
「アルヌさん、それって詩か何かですか?」
「ああ、実は吟遊詩人を目指しているんですよ」
「吟遊詩人……ですか」
その割にはあまり、と口に出しかけてしのぶは慌てて止めた。
こちらの世界の詩がどういう物かは分からないが、天ぷらに夢中になっている二人やヘルミーナ、それにエーファの反応を見ても、アルヌの詩はそれほど巧くはないようだ。
女性の扱いや見栄の切り方は堂に入っているのに、どうにも詩作は雅量に欠ける。そういう種類の人なのだろう。
「あ、アルヌさんは、どんな種類の詩を歌うんですか?」
「それが今まで悩みの種だったのですよ。ベーデガーのように戦争と英雄について歌うか、ディースターヴェクのように自然の美しさを歌い上げるか、はたまたアイネムやガームリヒのように儚く切ない恋の歌を選ぶか」
「は、はぁ」
熱に浮かされたように名を挙げていくアルヌだが、当然しのぶはその中の一人たりとも知らない。詩のジャンルは元の世界とあまり変わらないんだな、と思う程度だ。
いつの間にか立ち上がったアルヌの演説には身振り手振りが加わる。
「だが、今日この居酒屋ノブに出会ったのは運命だと思うのです。目指すべき方向性は、たった今決まりました。クローヴィンケルです。クローヴィンケルのように、オレは料理と美酒についての歌を歌う。良い考えだと思いませんか!」
叫ぶように宣言する様子を見て、しのぶは気付いた。
このお客は、酔っている。それも、かなりの泥酔だ。
古都の人間は相当に聞こし召しても、顔に出ない。
度を過ごしても、少し赤くなるか、目がとろんとする程度だ。だからしのぶの目をしても気付けないことがある。
アルヌに出したのはビールをジョッキに一杯くらいだったはずだが、と思いつつ、宥めて椅子に座らせた。
一体どうするべきか。
友人だというイーサクを探してきてもらおうにも、衛兵達は大司教の敬語だとかで今日は店に顔を出しそうもない。
そんなことを考えていると、店の軒先が妙に騒がしくなった。
「アルヌって野郎を出して貰おうか!」
硝子戸をそっとずらして隙間から外を見ると、見た顔の男たちが居酒屋のぶの前に集結している。
耳に障る胴間声で喚き立てるのは、先程アルヌに良いようにやられたゴロツキ達だ。五人程度ではアルヌ一人に勝てないと踏んだのか、さらに倍に増えて十人はいる。
「どうしよう……」
蒼白になるしのぶの肩を、アルヌがそっと叩いた。
「大丈夫。任せて下さい」
言うが早いか、アルヌは単身硝子戸の外へ勇躍する。制止する間もない。
一番大きな声で怒鳴っていた男の鼻っ柱に気持ちの良い一撃を叩き込むと、そのまま後ろにするりと回り込んで首を絞めた。
「おっと、お前さんたち。あまり迂闊に動かん方が良いぜ。オレは今、丁度いい塩梅に酔いが回っている。うっかりすると加減を間違えるかもしれん」
あまりの手際の良さに、これまで数を頼んで蛮声を上げていた男たちは気まずそうに押し黙り、一歩後退る。
その様子をとろりとした酔眼で眺めながら、アルヌは手近な男を顎でしゃくった。
「そこのお前、こいつの命が惜しければ、仲間の財布を集めろ」
「えっ、いや、恐喝するのか?」
「恐喝? 莫迦を言うな。さっきお前さんの愉快な仲間たちがこの店で乱暴を働いた時、金を払わずに出て行ったからな。その代金だ」
「それにしては多過ぎ……」
「利子と勉強料だよ。さっさと払え!」
「は、はい……」
半分泣き出しそうに仲間の財布を集めるゴロツキの情けなさを見て、首を絞められている頭目が苦しそうに呟く。
「その手際とやり口、お前まさか……<酔眼>のアルヌか?」
「だから名乗っただろう。オレはアルヌだって」
その名前を聞いて、これまではまだ殴りかかる気を窺っていた様子の男たちも一気に腰が引けた。
「お、おい、<酔眼>のアルヌって……」
「数年前、たった二人で古都のゴロツキを〆て回った伝説の男だよ……ことからいなくなったって話だったのに」
「何か弱点はないのか?」
「二つだけ、ある。だが……」
「おい、何だよ」
ゴロツキ達の間に細波のようにざわめきが伝播していく。
アルヌの弱点、という言葉に、しのぶと信之は顔を見合わせた。どんな弱点があるというのか。
「<酔眼>のアルヌは……その名の通り、酒に弱い。エール一杯で泥酔するほどだ」
「そんなのが喧嘩の役に立つか! もう一つは何だ?」
「それは……詩が、下手なんだ」
その言葉を聞いて、アルヌが叫んだ。
これまで首に腕を回していたゴロツキの身体を持ち上げると、詩の腕前について評したゴロツキの方にぶん投げる。
思わずゴロツキの一人が取り落とした木の棒を拾い上げると、激昂した状態で群れの中に踊り込んだ。
「あ、ああ……」
しのぶと信之、それに店の人間の見ている前で、人間一対十の喧嘩がいつの間にか狂戦士一対人間十の戦いへと変わる。
その結果は、言うまでもない。
「お騒がせしました」
全てが終わった時、居酒屋のぶの店先で立っているのはアルヌだけだった。
残りのゴロツキ十人はぶっ倒され、弱々しい呻き声を挙げている。
「これ、こいつらがさっき払い忘れた分です」
そう言ってアルヌが差し出した革袋を、しのぶはおずおずと受け取った。
後は何も言わず、背中で手を振って夜の古都へ消えて行くアルヌ。
エーファが一言、
「これから、お店では詩の話はしない」と呟き、そこにいる全員がしっかりと頷いた。
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