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秋の味覚の天ぷら(前篇)
秋の味覚の天ぷら
普段とは客が違う。
そのことにしのぶは暖簾を掲げてすぐに気が付いた。
言葉にはしにくいが、いつもよりも少し荒っぽいのだ。
衛兵コンビや中隊長も顔を見せていない。
ホルガーは当然のような顔をしてカウンターの一隅に席を占めて焼きそばを食べながらビールを呑んでいる。
ホルガーの手には、数日前にイングリドから貰った護符があった。
どういう由緒のものか見て貰いたいと信之が言い出したのだ。
だが、誰に頼めばいいか分からない。装飾も美しいのでホルガーに白羽の矢が立ったという訳だ。
「悪いがオレじゃさっぱり分からんね。こういうのはその筋の奴にしか分からんよ。呪い師とか、それこそ魔女だとか」
確かに言われてみればそうなのだが、しのぶには呪い師の知り合いも魔女の知り合いもいない。
一番近そうなのが薬師のイングリドだが、まさか貰ったものの鑑定を頼むわけにもいかないだろう。
「そう言えばホルガーさん、今日は何かあるんですか?」
いつもより騒々しい店内を見回しながらしのぶが尋ねる。
「ああ、参事会でも寝耳に水だったんだが、大司教が来てるらしいんだよ。暫くこっちに滞在するって話だ」
大司教と聞いて、エーファが驚いた表情を浮かべた。
ヘルミーナは知っていたのか、少し困ったような顔をしている。
しのぶには教会の偉い人、というくらいのぼんやりとした印象しかない。
「大物が来るということで衛兵隊は総動員。急な話で慌てた俺達参事会は目抜き通りからガラの悪い奴を全部叩き出したって訳だな」
ガラの悪いという言葉に反応したのか、テーブル席で屯している酔客の一団がホルガーの方を鋭く睨め付ける。だが、当の本人は気にした風もない。
なるほど、表通りを追い出されたあまり品の良くない客が馬丁宿通りまで避難して来ているというわけだ。
大司教が暫く滞在する、という話を聞いてしのぶはげんなりしてしまう。
つまり、こういうお客が馬丁宿通りを我が物顔で歩くのは今日だけではないということらしい。
「で、エトヴィン助祭はなんでこんなところに居るんですか?」
急に水を向けられたカウンターのエトヴィンが噎せる。
慌てて背中を擦るヘルミーナを礼を言うが、どうして教会の上役がいるのに居酒屋で酢だこを肴に熱燗を呑んでいるかについては黙秘するつもりのようだ。大方、大司教が苦手なのか、邪魔だからか追い出されたのか、そんなところなのだろう。
注文された鰯の塩焼きを他の客に運んでいると、テーブル席の方できゃっという悲鳴が上がった。
ヘルミーナだ。
「ちょっと! 何をしているんですか!」
しのぶが声を張り上げると、ヘルミーナの手首を掴んだゴロツキが口元だけで厭らしい笑みを浮かべる。
「酒も肴も言うことなしの良い店だが、ちぃとばかし給仕の仕方がよそよそし過ぎると思ったんでね。こちらのお嬢さんに少しお酌のやり方でも教えてあげましょうという親切心さね」
「ふざけないで下さい! ここはそういうお店ではありません!」
「おぅおぅ、怖い怖い。じゃあ、どんな店だっていうんですかねぇ。馬丁宿通りのうらぶれた酒場がそんな大層な店かい?」
ちらりと見ると、信之は既に一番太い麺棒を持ってカウンターの中から出てくるところだ。ホルガーもいつの間にか立ち上がり、腕まくりをしている。
正に、一触即発という雰囲気だ。
「ちょっと、待った」
しかし声は思わぬところから上がった。
テーブル席の一番奥で、静かに飲んでいた若者だ。
金髪を馬の尻尾のように頭の後ろで束ね、顔には無精髭まで生えている。
どこからどう見ても遊び人風の若者だった。
「何だニィちゃん。やろうってぇのか?」
「お酒はもうちょっと静かに飲むもんだ。違うかい?」
そう言うと若者はゴロツキの腕を捻り上げ、然して力も込めずに地面へと転がす。まるで手慣れたもののような早業だ。
ヘルミーナを庇うように背中の方へ回すと、小さく口笛を吹いてみせた。
「野郎、舐めやがって!」
ゴロツキの仲間たちがテーブルから立ち上がる。
だが、金髪の若者の態度は悠然としていた。まるで鼻歌でも歌い出しそうな雰囲気である。
「くたばれッ! この野郎!」
「この野郎じゃない。こんな放蕩者でも、親から貰ったアルヌという名前があるんでね。できればそっちで呼んで貰えると嬉しいんだが」
「ふざけるな!」
しかしアルヌに殴りかかったゴロツキは、急に床に倒れ込む。
しのぶの目には、アルヌが相手の勢いを使って転ばせたのが見えた。
柔道よりも、合気道に近い。
乱闘になるかとエーファの頭を抱き込んだしのぶだが、想像していたような事態にはならないようだ。
ゴロツキ達とアルヌの実力が懸絶している。
しかも、腰の引けたゴロツキ達の後ろには、指を鳴らしながら笑顔を浮かべるホルガーと、静かに怒気を滾らせている信之が待ち構えていた。
「く、くそっ! 覚えてろよ!」
「三流のゴロツキだと思ったが、逃げ口上までも三流だな。せめて何かひとつくらいは取り柄を持って欲しいものだ」
ズボンの誇りを叩くアルヌに、ヘルミーナが深々と頭を下げる。
「あ、あの、有難うございました」
「いやなに。当然のことをしたまでですよ」
甘い声のアルヌは所作まで芝居がかっているが、その一々が美しい。
しのぶの好みのタイプではないが、エーファは見惚れているようだ。
「何にしても助かりました。えっと、アルヌさんでしたっけ?」
「いえ、シノブさんでしたか。もう少し穏便に事を片付けられれば良かったのですが、騒がせてしまってすみません」
「お礼と言ってはなんですが、今日の御代は店で持たせて頂きます」
「ああいや、お気持ちだけ頂いておきますよ。こんな形をしていますが、自分の食い扶持くらいは自分で稼げる甲斐性は持ち合わせているつもりですから」
そう言われてしまうともう何も言い返せない。
信之の方を見ると、小さく肩を竦めるだけだ。
ヘルミーナも、何も言えずにまごまごとしている。
そんな中、エーファがホルガーの席にあった護符をそっと手に取った。
「タイショー、これをアルヌさんへの贈り物にするというのはどうですか?」
「護符か。でも受け取ってくれるかな」
「私のおじいちゃんが言ってました。遊び人は験を担ぐから、護符や御守りが好きなんだって」
「へぇ、そういうものなのか」
エーファから手渡された護符にほんの一瞬目を細めると、信之はアルヌに護符を丁寧に差し出した。
「当店の看板娘の一人がそう言ってるんだが、貰って頂けませんかね?」
「そういうことなら、喜んで」
アルヌはまるで品の良いどこかの御曹司のような恭しさで護符を受けとり、エーファとヘルミーナ、そしてしのぶに頭を下げる。
「北方では幸運の女神は三柱いるという。女神から授けられた護符なら、さぞかし御利益があるでしょう」
気取った台詞だが、この男が言うと妙に色気がある。
もっとも、ホルガーとエトヴィンはさっさと自分の酒に向かってしまっているが。
「さ、あの件はこれでお仕舞いにしましょう。さっき別のテーブルの人が食べていたんですが、テンプラ? というのが食べてみたい」
「はい、すぐに!」
しのぶが返事をし終える前に、信之はもう調理を始めていた。
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