46/145
しのぶの特製プリン(後篇)
「こちらに、うちの師匠がお邪魔していませんかっと?」
ひょっこりと顔を出したのは女の子だった。
年恰好はエーファとほとんど変わらないだろう。
収まりの悪い茶色の髪を赤い頭巾に無理やり押し込んでいて、そばかすが愛らしい。
「なんだ、カミラ。迎えに来てくれたのかい」
少女の顔を見るなり、魔女のような客の声の調子が和らいだものになった。
招き寄せて少女の頭巾を取ると、髪を手櫛で梳かしはじめる。
「イングリド師匠、だからあたしの髪を触るのは止めて下さいってば! また酷く酔ってますねぇ……」
カミラと呼ばれた少女が押しのけた拍子に、フードがずり落ちた。
中から現れたのは、美しい銀髪の美女だった。長い髪を後ろで束ね、緑色の瞳は酔いで艶めかしく曇っている。
年の頃は三十代に見えるが、もう少し上かも知れない。
子供のエーファが見ても思わずため息を溢してしまいそうになる。
「……らっしゃい」
「あ、いらっしゃいませ!」
信之の声で、カミラも客だったということをシノブも思い出したらしい。
「ああ、いえ、あたし、迎えに来ただけで注文とかは……」
それもそうだとエーファも思う。
そもそも、こんな子供に居酒屋が何かを出すというのも変な話だ。
「でも、何か甘い物とかありませんかね」
甘い物!
それを聞いた瞬間、エーファの背中にぞわりとしたものが走った。
甘い物と言えば、魔女の好物なのだ。
「うちの師匠、甘い物食べるとそこでお酒がいったん止まるんで。その隙に連れて帰ります」
「甘い物、ですか」とシノブ。
「干した果物とか、何でもいいんです。そういう物があれば、少し譲って頂けませんか?」
顎に人差し指を当てて考えるシノブだが、すぐには思いつかないらしい。
この店は居酒屋なのだから、当たり前と言えば当たり前だ。
甘い物と言ってもすぐに出せるものはない。
エーファは内心で少し安堵した。
甘い物がなければ、この怪しげな師弟もすぐに帰るだろう。
そう思っていると、シノブがポンと手を打った。
「あれだ。あれがある」
はて、あれとは何だろうか。
シノブがレイゾウコから、小振りな茶碗を取り出した。
「じゃじゃーん、しのぶ特製手作りプリンです!」
「手作り……プリン?」
口に出してみるが、エーファの聞いたことのない料理だ。
カウンターにシノブが並べるのを見る限り、チャワンムシの仲間だろうか。色合いもどことなく似ている。兄弟ではなくても従兄弟くらいの親戚に違いないとエーファは当たりを付けた。
だが、チャワンムシは甘かっただろうか。
「お、プリンか。美味しそうじゃないか」
「駄目よ、大将。大将の分じゃないんだから」
「えっ、でも数は足りてるだろう?」
不満げというよりも少し拗ねた口調で言うタイショーを尻目に、シノブはプリンの数を数えはじめる。
「イングリドさんの分にカミラちゃんの分、エーファの分と、弟さんと妹さんの分」
「良いんですか? シノブさんの分もないみたいですけど」
「私と大将は良いの」
そう言ってほほ笑むシノブだが、タイショーはまだほんの少し恨めしそうな目をしていた。チャワンムシも好物だと言っていたから、きっとプリンも好きなのだろう。
「さ、カミラちゃん。イングリドさんとご一緒にどうぞ」
「はい、頂きます!」
「エーファも一緒に食べてね」
渡された木匙を手に、プリンの器と向き合う。
やはりチャワンムシとは少し違うようだ。ひんやりと冷やされた器が手に心地いい。
エーファが一口目を掬って口に運ぼうとしたその時、
「美味しい!」
イングリドが素っ頓狂な声を上げた。
見るとカミラも夢中になってプリンを掻き込んでいる。
はじめにイングリドを見た時の不可思議さは何処かになりを潜め、何だか可愛らしい食べっぷりだ。
魔女ではないかと思ったのだが、この様子を見ると違うのではないかという気もしてくる。
しかしこのプリンというのはどれほど美味しいんだろう。
掬ったまま空を彷徨っていた一口を、口に含む。
甘い!
滑らかな甘さが口いっぱいに広がった。
思わず目を瞠って、茶碗の中を覗き込む。
この黄色い食べ物は、いったい何なのだ。
「美味しい? エーファちゃん」
「美味しいです、すごく!」
とろりとしたプリンを木匙で掘り進めていくと、奥から黒い蜜のような物がじわりと沁みだしてきた。
匙の先に少し掬って舐めてみると、これも甘い!
黄色い部分とは違った甘味だ。
次は二つの部分を混ぜて食べてみる。これもまた、素敵な味だ。
食べ終えてしまうのが勿体ないような、幸せ。
器の底に少しも残さないように丁寧に食べ進めていると、突然イングリドがくつくつと笑い始めた。
「このプリンというのは、素晴らしい。実に素晴らしい。まるで魔法だよ。是非もう一つ頂きたい」
「すみません、イングリドさん。プリンはもうお仕舞いなんです」
「従業員の土産物にするんだったか……うーむ」
一声唸ると、イングリドはローブの袖から小さな護符を取り出した。
「これはとある女傭兵から譲り受けたものでな。思わぬ人と出会えるという霊験あらたかな護符だ」
「それも魔法ですか?」
しのぶの問いに反応したのは、カミラの方だった。
「お師匠様、この店でも魔法だとか何だとか言ったんですか!」
「ああいや、両新月の晩だから、つい、な」
「ただでさえ古都に越して来てから気味悪がられてるんですから、そういうことは止めてください」
「う、うん、次からは気を付ける……」
弟子に怒られて傷付いたのか、イングリドが小さくなる。
「じゃあ、イングリドさんは魔女じゃないのか……」
「そうなんですよ、店長さん。師匠はこう見えて腕のいい薬師なんですよ」
カミラの説明では、最近までブランターノ男爵領というところの森で暮らしていたのが、段々と開墾が進んで来たのでいっそのことと、街へ越して来たらしい。
「じゃあ、魔法がどうだこうだっていうのも?」
「師匠の趣味みたいなものです。そういうことには一応詳しいらしいですよ」
「一応じゃないぞ、カミラ」
「はいはい。分かったから帰りましょうね」
「だが、プリンがなぁ……」
その言葉にシノブが済みませんと丁重に頭を下げる。
まだプリンに未練があるイングリドだが、残ったプリンは妹と弟のものだ。
こんなに美味しいのだから、ぜひ食べさせてあげたい。
心苦しさにイングリドとカミラから目を逸らした先で、タイショーがにやりと笑っていた。
そのままレイゾウコを開けると、何やら奥の方を探り始める。
目当てのものは、すぐに見つかったらしい。
「おやぁ、こんなところにプリンがもう一個あるぞー」
何故か棒読みでタイショーがそういうと、シノブがこれまでに見たことのない速さで振り返った。
「えっ、あれっ、そのプリンは、えっと……」
「シノブちゃん、まさか自分だけもう一個食べようと思って余分に作って来たなんてことは……ないよね?」
「う、ううう……」
少し涙目になるシノブを横目に、タイショーは最後のプリンをイングリドに手渡す。
「本日最後のプリンです。よく味わってお召し上がりください」
「ああ、ありがとう。でも、良いのか?」
「構いません。どうぞ召し上がって下さい」
さすがに怨嗟の声を漏らすことはないが、シノブのこめかみがひくひくと動いているのをエーファは見逃さなかった。
シノブも余程プリンが食べたかったのだろう。
二つ目のプリンも美味い美味いと絶賛し、イングリドは器を洗う必要のないほど綺麗に食べて、帰って行った。
あの様子なら、店にもまた来てくれるだろう。
二人が帰った後、エーファはテーブルに護符が置き忘れられているのを見つけた。
青い綺麗な石の嵌った丁寧な造りの護符だ。
シノブとタイショーは隠しプリンのことで喧嘩して手が付けられないので、護符は、神棚にそっと備えておくことにした。
+注意+
特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。
この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。