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異世界居酒屋「のぶ」 作者:蝉川夏哉/逢坂十七年蝉
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女傭兵(中篇)

 つまらない戦になる筈だった。
 霧雨の煙る野原で対峙する軍は、リオンティーヌの属する東軍が倍以上。
 軍というのも大袈裟だ。
 領主のばら撒いた小銭に群がる傭兵が二百と少し。相手方の西軍は百に少しおまけの付いたような数だった。

 傭兵同士のぶつかり合いなら、余程のことがない限りは数の多い方が勝つに決まっている。それは子供でも分かる算法だ。
 地面は折からの雨で泥濘んで、足首まで浸かるような有様だった。

 元々は単なる農奴同士の喧嘩だ。
 耕作地がほんの少しはみ出たの、はみ出ないの、の言い争いが刃傷沙汰になり、雇い主同士の喧嘩になり、領主同士の喧嘩になり、領主の後ろ盾同士の喧嘩になった。

 指揮する貴族も指揮される傭兵も、最初からやる気がない。
 適当にぶつかって白黒付けばそれでおしまい。傭兵としてはそれで金が貰えるなら万々歳という戦だ。
 下手に怪我をするのが嫌だから、とにかく相手とぶつかり合いにならなさそうな場所に人気が集中した。
 リオンティーヌも適当に剣だけ構えて立っているつもりだったのだ。

 そこに、<鬼>がいた。
 はじめから戦意の薄い雇い主、<馬面>フェルディナントを囮に使い、<鬼>の戦術は奇襲一本。灌木の林を迂回して、<鬼>とその仲間は東軍の柔らかい脇腹を食い破るように襲い掛かって来た。



 リオンティーヌの戦語りが始まると、居酒屋の客はジョッキを片手に近寄って来た。話の種には飢えている街の衆だ。こういう生の話は意外と受けるのかもしれない。

 中には駄賃のつもりか酒手やつまみの皿を寄越す者もいて、ちょっと悪い気はしない。
 今では傭兵をやっているが、リオンティーヌも元はと言えば下級ではあるが貴族の令嬢だ。教養もあれば詩歌も嗜んでいた。
 本物の吟遊詩人ほどには上手くないが、興が乗れば語りにも熱が入る。

 皿洗いの少女までがカウンターからこちらに出てきておっかなびっくり話を聞いているというのはなかなかに気持ちのいいものだ。
 二杯目のトリアエズナマで口を湿すと、リオンティーヌは続けた。



 先陣を駆ける<鬼>の強さは圧倒的だ。彼の前では四人が二人、二人が一人のように斬り伏せられた。
 理由は、鎧だ。
 乱戦だというのに、<鬼>は最低限の鎧にしか身を包んでいない。
 足元が沼のようになっている今の状態では、確かに鎧は邪魔になる。

 だがしかし、並の自信では鎧を捨てることなどできることではない。
 一撃でも喰らえばただでは済まない戦場で、<鬼>の操る戦技は確かに群を抜いていた。
 狙うは一つ、大将首のみ。
 <鬼>はまるで獲物を狙う鳶のように東軍の陣深く切り込んだ。



「……凄いですね」

 ふわぁと賛嘆を漏らしながらヘルミーナが呟いた。
 話に夢中になったのか、下げるジョッキを持ったまま立ち尽くしている。

「おうさ。あたしもあれから随分と長いこと戦場に立っているが、全身に鳥肌が立ったのは後にも先にもあの<鬼>を目の前にした時だけさね」
「それで、リオンティーヌさんも<鬼>と戦ったんですか?」
「ああ、戦ったとも」



 敵が来ない穴場に陣取っていたはずが、いつの間にやらリオンティーヌの立ち位置は最前線になっていた。
 一番安全と思われていた場所を、<鬼>は的確に読んで来たということだ。
 覚悟を決めてリオンティーヌも剣を振りかざす。
 身を包んでいるのは伝家の鎧だ。烏賊の兜飾りは一族が代々海辺の領地を守っていた誇り高き海の貴族だったことを示している。



「え、リオンティーヌさんの兜飾りって、烏賊なんですか?」
「なんだいヘルミーナ。ここからが良い所なのに。そうだよ、我が家の家紋も兜飾りも烏賊だ。変わっているだろ?」

 烏賊の兜飾りを付けている傭兵など、大陸広しといえどもリオンティーヌくらいだろう。笑いを取るつもりでひょうげた声を上げてみるが、ヘルミーナの顔色が悪い。
 それどころか、他の客まであからさまに顔をそむける始末だ。

「おいおいどうした。ここからこのあたし、リオンティーヌと<鬼>の一騎打ちが始まろうって言うんじゃないか」
「……ひょっとして、ひょっとしてなんですけど、その<鬼>っていう人はリオンティーヌさんを見て怯んだりしましたか?」
「ヘルミーナ、よく分かるねぇ。あれはきっとあたしが女だと瞬時に見て取って、手加減してくれたのさ」

 歴戦の勇士である<鬼>が手を抜いてくれたことにも気付かず、リオンティーヌは左腕を斬り上げてしまった。
 寸でのところで相手も籠手で防いだから大事には至らなかっただろうが、後遺症は残ったかもしれない。

「あたしはね、その時のお礼を一言いいたくて、ずっとその<鬼>を探しているのさ」
「リオンティーヌさんは、その<鬼>さんの名前を知っているんですか?」
「それがね、知らないんだよ。なんせバタバタした戦だったからね。でも、見れば分かる。それだけは自信を持って言えるよ」
「そう、ですか……」
「何だい、何だい。急に湿気た面しちゃって」

 それに応えたのは、これまで黙って料理をしていた店主だった。

「ああ、いや、お客さんの話に出てくる<鬼>っていうのが、うちの店の常連によく似ているもんでね」
「そ、それは本当なのかい?」

 これまで当て所なく探し続けてきたのが、ここに来て大きな前進だ。
 この店の常連ということは、ひょっとすると今晩会えるかもしれないということだ。

「ああ、どうしよう! 嬉しいような、緊張するような…… でも、まだ本人と決まったわけじゃないし…… どうしよう、ヘルミーナ!」
「リオンティーヌさん、落ち着いてください。まだそうと決まったわけじゃありませんし」
「いや、そうじゃないかっていう気がするんだ。今晩ここで会える。そういう導きなんだよきっと。会ったらまずお礼を言わなきゃな。それから、それから…… ああ、どうしよう!」
「落ち着いてください。夫ももうすぐ来るはずですから」

 ヘルミーナの言葉に、場が凍ったように静まり返った。

「……夫? ヘルミーナの旦那さんが、何の関係があるって言うんだい?」

 知らず言葉に力の入るリオンティーヌに、ここだけは譲れないという表情でヘルミーナが応える。

「多分、リオンティーヌさんの言う<鬼>というのは、私の夫のことです」
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