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katuskazan高雄政経ブログ

東京下町・淺草から台湾高雄にワープした活火山の言いたい放題&宣戦布告・「支那のプロパガンダと 【歴史戦】を戦う」「負けるか💢支那外交部の【口撃】」

土台人とは、朝鮮民主主義人民共和国の諜報・情報機関の工作員が用いる用語の一つ(前編)

土台人(どだいじん/トデイン)

数年前に閉鎖したブログで「土台人」を取り上げました。

タイトルでは少々端折りましたが、「土台人(どだいじん/トデイン)とは、朝鮮民主主義人民共和国の諜報・情報機関の工作員が用いる用語の一つ」がfull表記です。

土台人・トデインは日本に潜伏した工作員の日本側の「協力者」のことです。

以前、拉致被害者のご家族のことを読んだときに、その拉致という犯罪で、日本側で犯人側に情報を提供した人物や、諸々の援助をした組織、つまり協力者の事を指します。

この犯人とは、北朝鮮工作員です。

個人の場合や、組織である場合がありその形態はさまざまですが、例えば、被害者のご家族が日常生活をする空間を、土台人と共有していることの不条理を訴えた内容です。

具体的には、それらしい目星のついた人が、自由に生活をしていて、例えば被害者のご家族が買いもに出かけたスーパーで、同じように買い物をしているというのですが、その時の被害者のご家族の胸中を推し量ると、その無念さはさぞかし辛い思いだろうと察します。

wikipediaでは、土台人を、

土台人として狙われるのは、経済的に余裕のある会社や店の経営者で、かつ帰国事業によって親族が北朝鮮に在住している在日朝鮮人特別永住者である[3]朝鮮総連の秘密を暴く著作を発表してきたジャーナリスト・野村旗守の主張によれば、朝鮮総連の「学習組」等で熱心に活動する現役活動家は、公安警察の監視を受けやすいことから、朝鮮総連に土台人はいないとされているが、実際のところ、現在までに複数の朝鮮総連の元構成員および朝鮮学校元教職員が土台人となって、日本人拉致事件等の北朝鮮による対日有害活動を支援するために犯した罪によって検挙もしくは指名手配されている。

としております。

また調べてみますと、北朝鮮へ帰還事業で北朝鮮へ渡った家族で、その身内が関連個所にいる場合にも、土台人に仕立てあげられるケース顕著です。

この理由として、帰国した家族は人質として利用され、残った在日は、人質になった家族を考えると容易に北朝鮮組織の要求を拒めず、土台人になる点があげられます。

 

この土大人の存在を教えてくれたのが、舘雅子氏が出演した動画で体験談です。

この動画から、土台人の存在が解った訳です。

そして、それで解ったことは、在日朝鮮人だけではなく、労働組合関係者も関与していた、さらに警察当局にもその情報は入手されていたということです。

 

 

 

浮上した拉致・大町ルート

ジャーナリスト山際澄夫氏のブログを引用したものがあります。

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 この地図は、特定失踪者調査会(代表・荒木和博)が拉致・失踪事件が相次いでいることから「大町ルート」と呼ぶ在日朝鮮人による北朝鮮への物資の運び出しルートと、拉致・失踪事件の発生場所を示したものである。
大町ルートは、千葉県の海上(うなかみ)から長野県の大町を通って日本海側の新潟、富山へ抜けている。これが千葉まで延びているのは海上町にかつて、砂鉄採掘などの地場産業があり、在日朝鮮人の事業者や作業員が数多くいたからだという。
拉致事件は、北朝鮮工作員を在日朝鮮人などの協力者が手助けして発生している。在日朝鮮人の居住地域や、物資の運び出しルートに沿って被害が集中的に出るのも当然かもしれない。
海上町でも、拉致疑惑が濃厚と伝えられる加瀬テル子さんらが失踪しているのである。  図にも示されている「キューポラのある街」として知られ、在日朝鮮人が多かった埼玉県川口市など、半径3キロの範囲に拉致被害者・特定失踪者が6人も出るという惨状を呈している。しかも、ここで救出運動の先頭に立つ藤田隆司さんは、兄、進さんと叔父、藤田慎さん(東京・蒲田で失踪)の肉親二人が失踪者という悲劇に見舞われている。
美幸さんがこの地図を作成したのは、兄の高野清文さんは失踪したのは神津島からだが、実は出生地も実家(長野県塩尻)も、在籍した高校もこの大町ルート上にあるからである。こうした事実をみて肉親が北朝鮮の拉致に遭ったとの確信を深めるのは理由のないことではなかろう。
それにしてもこうした拉致被害の調査が、民間の手で行われ、政府がどこまで関与しているのかが不明というのは実に理解に苦しむことだ。特定失踪者というのは、失踪の原因が北に拉致されたとでも考えるしかほかに見当たらない人々である。曽我ひとみさんや、横田めぐみさんらももともとは失踪者である。しかも亡命者などの証言から、長い間にわたって百人を超す日本人が拉致されているのは確実とみられている。
それなのに政府はまだ、拉致被害者を10件15人から変えようともしない。これでは政府が拉致事件は最優先課題といっても誰も信用しないだろう。(山際澄夫さんHP「高野清文さん家族の戦い」より)

 

西新井病院(東京足立区)を巡り闇

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拉致に国内移動ルートでは、前段の大町ルートの起点が千葉県海上町を起点した、以下のルートが大町ルートとして紹介されております。

千葉県・海上~東京~甲府~松本~糸魚川

千葉県・海上~東京~甲府~松本~長野~上越

千葉県・海上~東京~甲府~松本~長野~新潟

このルートの過程クローズアップされたことに、東京に存在する病院が浮上したことです。

その病院は東京都足立区にある医療法人社団成和会 西新井病院です。

 

この病院に関しては実に興味深い接点が複数浮かびあります。

この病院は東京都足立区西新井本町にあり、済州島出身の朝鮮人金萬有が1953年5月に創設したものですが、1953年と言えば、昭和28年です。

wikipediadで見ると西新井病院設立に関する記述の中で、「金萬有」の氏名が赤字で表記されています。

赤字で表記と言うことはデーターが無いということです。

いまでは地域に総合病院である病院の創設者のデーターが記載されていないということは、意図的に削除したか、削除するようなある種の力が効いたという考えが浮上します。

そしてこの病院は、陰謀の様な数々の事件に登場すのですから、ミステリーファンでなくとも、興味がいきます。

その事件の数々が、yahoo知恵袋で紹介されていましたので、引用します。

西新井病院関係者が、「病院の千葉の保養所に一時監禁されていた藤田進さんを車で新潟に連れていき、北朝鮮工作員に引き渡した」と具体的に証言。

★昭和63年(1988)の大韓航空機爆破事件で服毒自殺した北朝鮮工作員「蜂谷真一」こと金勝一(69)の偽造旅券に関与したとして、公安部が行方を追っていた在日朝鮮人工作員の李京雨が昭和60年、肝臓癌で一時、西新井病院に入院。

★オウム付属病院の医師、霜鳥隆二は直前まで西新井病院に勤務。その前は長野中央病院に勤務。北朝鮮工作員と言われている。

北朝鮮工作員「朴」が、が15年間にわたり北海道出身の小住健蔵さんら日本人2人に成り済ましてスパイ活動を行っていた事件(西新井事件)で、朴は足立区西新井に居住し小住さん名義の運転免許証や旅券を取得、頻繁に海外に渡航

★印刷会社に勤務していて謎の失踪をした小林榮さん(23)の職場は足立区西新井で、足立区西新井と関係のある在日朝鮮人が小林さんが失踪したころ、彼の本社を頻繁に訪問。

★千葉県九十九里海岸周辺で多数の特定失踪者と拉致疑惑。このエリアに、西新井病院の保養所が2つも集中
d.hatena.ne.jp/tacaQ/20061107/1162852133

オウム真理教の幹部、霜鳥隆二が勤務していたのがこの病院だ。霜鳥隆二は林郁夫の懐刀としてオウム病院で重要な役割を果たすが、霜鳥がオウム病院に勤務する前は西新井病院に勤務していた。
★さらに、林郁夫まで、アルバイト勤務をしていたという情報もある。
★オウムの林泰男(在日2世)か、オウム村井を刺殺した徐が、西新井に居住し、そのアパートが原敕晁さん拉致実行犯の辛光洙と同居していた女性(在日朝鮮人)の妹が所有としていた未確認情報もある。
www.mypress.jp/v2_writers/hirosan/story/?story_id=1225416 -

 

この病院は、kazanの義母(亡くなった家内実母)が、足立区北千住に住んでいて、近所の健和会柳原病院にかかっている時に、入院で西新井病院へ回されて経緯があって、記憶に残っていたのですが、健和会柳原病院は地元の共産党系の病院で、地元ではすこぶる評判の良い病院の一つで、地域のサテライト的な病院として存在しております。

 

そして金萬有を検索したら「金萬有病院」がヒットしました。

 

金萬有病院

金萬有病院に関して、ググった結果です。

金萬有病院(キムマニュびょういん、김만유병원)は、朝鮮民主主義人民共和国北朝鮮)にある総合病院。

朝鮮民主主義人民共和国北朝鮮)に3つある中央病院の1つで、大学病院を除く一般総合病院としては同国で唯一の中央病院。

在日朝鮮人の医師であり、日本の西新井病院の創立者である金萬有による22億円の資金提供と西新井病院の技術協力によって1986年4月に開院。西新井病院は当院の姉妹病院である。

在日本朝鮮人医学協会が当院に対して物品の支援を行っているほか、WHOや国外のNPO北朝鮮で医療支援活動を行う際の受け入れ先の一つとなっている。

平壌科学技術大学医学部の医師臨床研修は、当院で行われている。

 

浮かび上がる疑問

金萬

金萬有は(1914年8月7日 - 2005年12月25日)になっています。

成人したときは1934年になり昭和9年です。

ドイツではヒトラーが総統になった年です。5.51事件が昭和7年で、2.26事件が昭和11年です。

金萬有が医師と記載されていますから、想像しますから、医学生として卒業したのは、1940年位でしょう。1940年は昭和15年で、調べたら幻の東京オリンピックの年であり、翌年の昭和16年12月8日が真珠湾攻撃です。

仮に医学生として、順当に医学校で医学を学んでいたとすれば、太平洋戦争勃発のころ医学校を卒業したことになります。

戦争中から数え、そして終戦後の12年で、東京足立の西新井に病院を創立したとするから、立志伝中の人物であると想像しますがが、データがありません。

そして随分と利益を上げたものと思われます。

これだけ稼いだのですから勤務医と言うことは考えにくい、むしろ開業医ででしょう。

しかも開業資金が戦中、戦後の経済混乱の時期に調達できたことも不思議です。

まだ総連系の金融機関なんかない時代です。

まして、医師免許があると言え、若い在日朝鮮人に資金を融資する金融機関は当時は少ないと思います。

 

金萬有病院

金萬有病院は前段で簡単な紹介をしましたが、済州島出身の金萬有が、22億円の資金で、現在北朝鮮で唯一と言われる中央病院、恐らく総合病院と言うことだろうと思いますが、北朝鮮に作りました。

故郷に錦を飾るのであれば、済州島へ病院を寄贈するのが順当ではないかとおもうのですが、そうしていないということは、金萬有は共産党員かそのシンパか、総連に取り込まれていた可能性が高いと想像します。

そして、数々の事件に関与したことをみれば、共産党、それも北朝鮮労働党という線が濃くなります。

北朝鮮労働党と言う共産党の組織は、日本での公式の顔は「総連」です。

 

北朝鮮べったり病院ですから、いろいろな疑惑、事件の接点なったのでしょうが、土台人と工作員、オーム事件との関係も浮かび上がります。

と言うことは、オームと北朝鮮は関係があったという推理も成り立ちます。

国松長官を狙撃した犯人使用した拳銃はトカレフと聞いています。

トカレフはもともとはソ連製・現在のロシア製ですが、北朝鮮を始めとして、共産圏では公式拳銃で、極東では中国製と北朝鮮製が考えられます。

 

キワードがなんとなく絡み合うのが興味が行きます。

千葉県海上町にある西新井病院の保養所、在日北朝鮮人の存在、工作員による拉致事件工作員の医療施設であったこと、在日南朝鮮人の成功者が北朝鮮に病院を寄贈、成功した南朝鮮人医師のデーターが無い、etc.

 

 

長くなりましたので次回へ続きます