私はこれまでさまざまな仕事を経験してきましたが、人生の最初の転機は? と聞かれれば、中学生の頃に読んだ『自由と責任』という本を思い出します。とても難しくて、書いてあることを全て理解することはできませんでしたが、それでも、ものごとには必ず表と裏があること、その両極を俯瞰して捉える感覚をこの本から学びました。
私は中学高校を女子校で過ごしました。とても厳しい学校であれはダメ、これもダメという環境でしたが、あの頃の経験がなければ今の自分はなかった気がします。
なぜなら、「自由」の定義や解釈は本当に難しいことだから。自由を感じる前にある程度の不自由や理不尽にぶつかって、じゃあ不自由ってなんだろう、窮屈ってなんだろうと考えてみる。自由を感じる前にこうした経緯を辿るのはとても大事なことだと思います。
しかも大人になると選択肢も増えるので、誰もがついラクな方、自由な方にいきがち。そんな時、違う方向にも目を向けるよう私たちを引き止めてくれるのは何か。
考えてみると、それって“面倒くさいもの”なんですよね。作法やしきたりとか、普段は面倒と思うものに目を向けることが、今の30代の女性には求められているのではないかと。
なぜか周囲は何かにつけ“大人でなきゃいけない”“でも女でなきゃいけない”“でも強すぎちゃダメ、弱すぎてもダメ”と言う。今の女性は自由だというわりに、世間から「こうあってほしい」と思われる内容はまだまだ窮屈ですから。肩肘張らず、意地を張らずに受け流すことも、自分の自由を守るために必要な不自由だと思うのです。
“自由のための不自由”をさらに実感したのが、水商売のバイトです。身ひとつの仕事で生きることが比較的むいていることは20代後半には自分でも分かっており、だからこそ、時給制やノルマありといった厳しいところばかり選びました。
何か一つくらい苦しいことがないと、糧を得ても何も感じられなさそうで、それが怖かったんです。人は絶対ラクな方にいってしまうし、でも自由とラクは違いますから。
もちろん私も若い頃は、自由にラクして自分を表現したいなどと考えておりました。でもそのためには才能や長年の積み重ねが必要で、自分にはそれが徹底的に欠けていた。
では自分にできることは何だろう、これしかないと思えるものはと考えて辿り着いたのが、遺体を扱う仕事と、自分が裸になることだったんです。