藤原致忠

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藤原 致忠(ふじわら の むねただ、生没年未詳)は、平安時代中期の貴族藤原南家大納言藤原元方の子。官位従四位下右京大夫

蔵人備後右馬頭右京大夫などを歴任。永延2年(988年)、盗賊の首領であるとして、息子の保輔に対する追捕宣旨が出された際、父親である致忠も拘禁された。長保元年(999年)橘惟頼及びその郎等を殺害した罪で惟頼の父の橘輔政に訴えられ佐渡国に流された。薫物の名手としても知られた。

系譜[編集]

  • 父:藤原元方
  • 母:藤原賀備能の女
  • 妻:元明親王(または源允明)の女
  • 生母不明: