元社長の孫が失敗分析 高校生が論文発表
2008年末に閉園した倉敷チボリ公園(岡山県倉敷市)の失敗原因について、運営会社社長の孫で甲南高校(兵庫県芦屋市)3年の志鷹依蕗(したか・いぶき)さん(17)=同県西宮市=が論文にまとめ、昨年度の「第20回図書館を使った調べる学習コンクール」(図書館振興財団主催)で優秀賞・毎日新聞社賞に選ばれた。志鷹さんは「祖父が当時語ることができなかった苦労を知ることができてよかった」と話している。【小林一彦】
論文は「『第三セクター』から『第四セクター』へ」。まず、全国のテーマパークを経営主体に着目して比較した。当初から民間が運営する東京ディズニーランド(TDL、千葉)は成功を続け、第三セクターでスタートしたユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ、大阪)とハウステンボス(HTB、長崎)は経営不振に陥ったものの、民間運営に切り替えて巻き返したと指摘。一方、県と倉敷市が大株主の第三セクター「チボリ・ジャパン」(TJ)が運営を続けた倉敷チボリ公園は閉園に追い込まれたとした。
その上で、第三セクターによる運営は、リピーターを増やすための新アトラクションの設置など追加投資に積極的な民間企業と、公共性を旗印に税金投入に消極的な自治体の思惑がぶつかると主張。「公共としての行政と、利潤を求める企業との間で綱引きが始まると、事業そのものが行き詰まる」とし、第三セクター方式のテーマパーク運営が地域活性化に寄与しないメカニズムを浮き彫りにした。
さらに、兵庫県西宮市で地元自治会が中心となって運営しているコミュニティーバスを実地調査したことを紹介。行政にも企業にも依存せず、地域住民が主体となった上で行政にも支援を求める「第四セクター」構想を提案している。
論文は高校の授業の一環として取り組んだ。当初はテーマパークを題材に考えていたが、調べるうちに第三セクターに関心を持った。そこで、TJで最後の社長を務めた祖父の坂口正行さん(77)=西宮市=に「倉敷チボリ公園はなぜ閉園したのか」と質問したところ、坂口さんがスクラップしていた倉敷チボリ公園に関する毎日新聞岡山面の連載記事(計40回、08年9~12月)や雑誌記事を渡され、「何が成功と失敗の分かれ目になったのかを自分なりに考えて」と助言された。このほか、県の「倉敷チボリ公園事業検証委員会」の報告書や図書館で借りた他のテーマパークに関する書籍を参考にし、論文を執筆したという。
坂口さんは「自分の目で見つめて論文にまとめてくれたことに大変感激している」と孫の力作に目を細めている。
倉敷チボリ公園
倉敷チボリ公園は1997年7月、JR倉敷駅北側のクラボウ工場跡地で開園した。デンマークにある世界最古のテーマパーク・チボリ公園と提携し、約12ヘクタールに観覧車など約20種の遊具や遊覧ボートのある人工池を配置。デンマークの古い街並みを模した専門店街もあった。
元々、岡山市制100周年記念事業として同市内で計画されていたが、当時誘致を進めていた第三セクターの不明朗会計などが問題となって頓挫。その後、県が主導して開園した。年間の入園者数200万人を目標に掲げたが、4年目にこれを割り込むなど業績不振に陥り、2008年12月末で閉園した。
ホテル社長だった坂口正行さんは06年、石井正弘知事(当時)に請われて運営会社「チボリ・ジャパン」の社長に就任した。デンマークの本家と契約更新交渉をし、社員とともに経営改革に尽力した。しかし、県が突然方針転換して閉園に向けて走り出したため、県と激しく対立。最後は遊具の売却など円滑な閉園作業や社員の再就職に力を注いだ。
県の「倉敷チボリ公園事業検証委員会」の報告書は「極めて困難なビジネスモデルだった」と指摘し、苦い経験を真摯(しんし)に受け止めて教訓を県政に生かすように求めた。