これから、日本の大学で何が起ころうとしているのだろうか。
今後、日本の政官財界の少なくとも一部は、大幅に強められた学長や執行部の権限を利用して、国立大学の理系分野の人事・予算・カリキュラムを、これまで以上に収益性優先の先端技術開発にふり向けようとするだろう。そして、旧帝大などを除く国立大学の文系部門や基礎科学部門の統廃合を進めようとするだろう。
また、文系学部のシェアが圧倒的に高い私立大学では、政財界出身者が多数を占める理事会と、その意を受けた学長が、哲学・思想研究、歴史・地理研究、文学・文化研究といった人文学系の教育研究領域をさらに削減し、それを“英語教育”や表層的な“職業教育”にふり向けようとするだろう。
こうした未来は教員・研究者にとってもちろん大きな問題だが、それ以上に深刻なのは、この国の大学生の自由と教養に壊滅的打撃を与えかねないことだ。
いまの日本の大学生たちは、20世紀では考えられなかったくらいに、自由な時間を奪われている。就職活動は長期化し、低学年から企業のインターンに参加しないと就職が不利になるのではないかというプレッシャーもある。親の経済力が落ち込んだため、アルバイトで学費や生活費を稼ぐ時間も長くなった。
言ってみれば、いまの大学生は、入学当初からつねに労働者であることを意識させられ続ける“就職予備軍”だ。
ここで、文系・基礎科学系や教養課程のリストラ、大学の“就職予備校”化がさらに進むなら、彼ら彼女らが自由に学び、考え、活動する余地はほとんどなくなってしまう。
筆者は、医療系や一部先端技術系のように、カリキュラムが専門職に直結する分野で行われてきた、大学での職業訓練の実績を否定したいわけではない。
だが、大学の文系学部を職業訓練校に編成替えするなどという発想については、誰にも益を生まない愚策と言うほかない。どうしても職業訓練を拡充したいのであれば、既存の私立専門学校に予算を投入し、教員の待遇改善や教育の質向上をはかるほうが、はるかに有効だろう。
しかし、流れは止まらない。
政府は今年4月、新しい“専門職大学” “専門職短期大学”の創設のための学校教育法改定案を、国会に提出した。その柱は、卒業単位の3~4割を企業などでの実習にあてるというものだ。
そのような“大学”のあり方は、企業の社内教育をアウトソースし、学生に学費を払わせて企業インターンさせることと、はたして何が違うのだろうか。ここ数年の政府の動きを見ていると、このスキームが従来型の大学に押しつけられる日も、そう遠くないような気がしてくる。