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zoom RSS ジェフリー・F・ミラー『恋人選びの心 T 性淘汰と人間性の進化』の書評:1

<<   作成日時 : 2007/10/04 17:16   >>

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生得的な遺伝要因によって発現する生物学的性差をセックス(sex)といい、後天的な社会文化要因によって発現する社会的性差をジェンダー(gender)というが、本書は、進化生物学の性淘汰(sexual selection, 性選択)の観点からセックスの性分化と繁殖適応度について学術的に考察した本である。20世紀初頭まで多くの生物学者や動物行動学者は『人間の性行動』と『動物の性行動』を区別して考えてきたが、それは人間の性行動(恋愛)には、本能的(反射的)な動物とは違う道徳的判断や理性的価値が宿ると信じられていたからであった。

ダーウィンの性淘汰論が提唱されて100年以上が経つ現代においても、人間の性行動には特殊な心理的価値や崇高な道徳的判断が加えられることが多く、私たち個人が進化生物学が説く自然の摂理に束縛されてるという実感を持つことは少ない。性道徳の規範感覚が衰退した現代では、不特定多数の相手と気軽に性行為をする人やセックスに特別な守るべき意味などないと解釈する人もいるが、性淘汰というのは『異性の選好(選り好み)』による繁殖適応度を示す理論なので、性的道徳観と直接的な関係があるわけではない。『どんな形質や特徴を持つ異性に性的魅力を感じやすいか?どんな形質を持つ個体が遺伝子を残してきたのか?』に関わる進化理論が性淘汰であり、リチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子』も性淘汰を潜り抜けて遺伝子を保存しようとする個体の行動・判断について考察したものである。

人間も動物も原則的には自分が魅力を感じた相手との間に子孫を作るのだが、進化論の提唱者であるチャールズ・ダーウィン(1809-1882)『人間の進化と性淘汰』において人間の配偶者選択には性淘汰のメカニズムが作用すると主張した。動物でも人間でも、より異性に受け容れられる形質を進化させた個体が遺伝子頻度(繁殖成功率)を増大させるという仮説であるが、このダーウィンの性淘汰理論は当時の学会や科学者からさんざんに打ちのめされて退けられることになる。ダーウィンの性淘汰理論に対する批判・反論の多くは感情的で主観的なものだったが、ダーウィンの配偶者選択に関する仮説が当時の科学者や社会に受け容れられなかった背景には、『女性(雌)が男性(雄)を選ぶという原則』が大きく影響していた。

19世紀イギリスの男性優位の社会的風潮の中では、女性の立場は結婚場面でも弱いことが多く、女性が男性を選別して子孫を残すというダーウィンの性淘汰理論には説得力が感じられなかったのだ。人間社会においては文化的・経済的・心理的要因も含めて『複雑な性的魅力』を構成しているのであり、動物・昆虫のように生物学的な形質のみによって配偶者を選択しないケースのほうが多い。そのため、男性が女性を選ぶのか女性が男性を選ぶのかの差異は、動物や昆虫ほどには著明でないという問題点がある。しかし、本書では『男性のほうが女性よりも異性を惹き付ける権力・財力・創造的知性・ステイタスへのこだわりが強い』ということと、『他のほとんどの動物・昆虫の種において雄のほうが性的装飾を発達させている』ということから、『男性が女性に求愛するという行動パターンの進化過程』を帰納的に推測している。容姿以外にも権力・財力・芸術・学術・効果的な言語表現などを用いた積極的な『求愛行動のパターン』をより多く作り上げてきたのが男性であり、『異性の関心を惹くため』の社会的ステイタスや純愛のアピールを誇示することに労力を費やすのも多くは男性のほうである。

人間の多くは、結果として遺伝子保存に有利になりやすい配偶者を確率論的に選択するということになるが、同時に確率論的に『遺伝子保存が不可能な相手』への強い愛情が継続することもあり、必ずしも『遺伝子保存』が異性選択の至上課題になっていないこともある。しかし、人類全体で見ると『生殖能力の有無』というのは依然として配偶者選択の重要な要素の一つであるし、先進国においても高額な医療費を支払って先端生殖医療に妊娠の望みをかけているカップルは少なくない。そのことから、精神機能が発達した人類においても、生殖機能と異性選択が完全に分離されているわけではないと言えるのだろう。ただ、精神機能が生み出す愛着や情愛、思想などが、『遺伝子保存の本能』を超越することがあるという点において、人間と動物・昆虫には越え難い一線がある。

現代では、『個人主義・自由主義の拡張』や『子どものいない夫婦の増加』などによって必ずしも遺伝子保存が至上命題にはなっていないが、『何らかの魅力を感じる形質を持った異性』は実際に子どもを作らなくても(作れなくても)、遺伝子保存に有利な要素を潜在的に持っていると解釈することができるかもしれない。ミクロな個人的関係の次元では多少の誤差があるかもしれないが、一定数以上の異性から魅力を承認される人物というのは、繁殖適応度を高める何らかの形質を発展させていると言えるだろう。男性が女性を選ぶのか女性が男性を選ぶのかというのは個別事例ではケースバイケースだと思うが、『能動的な求愛行動』に有利な形質(行動パターン)や社会的立場をより多く発達させてきたのは男性である。しかし、ここ数十年の間に男女共同参画社会が進展してきたことで、職業的地位や社会的ステイタスの部分で男性と対等以上の女性も増えており、今後も、従来どおり男性から女性への求愛行動パターンが継続していくのか否かというのは分からない部分もある。

もうひとつ、女性による異性選択の生物学的根拠としては、男性が配偶子として『低コストな精子』を持ち女性が『高コストな卵子』を持つことで、女性のほうがより慎重に『自分や子どもを大切にしてくれる異性(心理的・社会経済的・道徳的な信頼度の高い異性)』を選択する必要性が高いということが考えられる。子を妊娠しない男性には浮気や蒸発のリスクがあり、いい加減な異性を配偶者に選ぶことはそのまま母子の生存可能性を低めることになったからであろう。法治国家や道徳規範、社会福祉、男女同権社会が整備される以前の時代には、女性による男性の『恋人選びの心』はまさに生存適応と繁殖適応を決定する重要な精神機能であったと推測されるのである。



1970年代の初めに、生物学者のロバート・トリヴァースは、この「親の子に対する投資」における差異からすべてが出発するのだと気づいた。雌が卵子を作るほうが、雄が精子を作るよりもコストがかかるので、雌が作る卵子の数は、雄が作る精子の数よりも少ない。しかし、すべての子どもは一つの卵子と一つの精子しか必要としないので、稀なほうのDNAの包みである卵子が限定資源となる。そこで、雌が精子を獲得するよりも、雄が卵子に受精するほうで競争が激しくなるので、雌のほうが選り好みをするようになるのだ、とトリヴァースは論じた。雄は受精できる雌の数をめぐって競争するが、雌は雄の質をめぐって競争する。トリヴァースの需要と供給の理論は、なぜ、多くの種で雄が求愛し雌が選ぶのかを説明していた。

『恋人選びの心 T』 p119



ダーウィンが性淘汰の仮説に取り付かれたきっかけは、自然界に生きる動物たちが持つ『生存に役立たない高コストで複雑な形質』を観察したことであった。そして、ダーウィンは一見生存にとって不利益になるとしか思えないクジャクの美しい羽の模様や昆虫の派手な色彩、小鳥たちの鳴き声が、繁殖(配偶者選択)にとって有利であることに気づくことになる。ダーウィンは生物の進化を促進する要因として、自然淘汰(自然選択)突然変異の二つのメカニズムを考えたが、生物の種や個体が長期にわたって存続し続けるためには『個体の生存』以上に『遺伝子の保存』を優先する何らかのメカニズム(自然法則)が働いていなければならない。生物の進化は『環境適応度を高める自然選択(自然淘汰)』によって個体の生存能力を高め、『繁殖適応度を高める性淘汰』によって遺伝子保存の確率を高めたことになるが、進化を説明する二つの原理が、『遺伝子保存の目的』に相互的に作用するという意味で、自然淘汰の中に性淘汰も含まれると解釈することも多いようだ。

ダーウィンは昆虫から動物、人間に至るまで、多くの種の雄(男性)の個体は『異性の獲得をめぐって闘争・求愛する本能』を持ち、『雌(女性)の雄(男性)に対する選り好み』によって繁殖の成否が決まるという二つのプロセスを考えた。しかし、男性主義的な19世紀イギリス社会の科学者たちは『雌(女性)の雄(男性)に対する選り好み』の性淘汰プロセスを強く否定し、動物や昆虫の雌による雄の選り好みについても『精神機能(脳)が発達していない下等動物は相手を選ばない』といった反論をしていた。それに反駁するために、ダーウィンは100件以上の性淘汰を証明する動物・昆虫の性的装飾の形質を集め、実際にどのような形質を持つ雄が雌に配偶者として選ばれているのかを観察したが、性淘汰の反対者たちがその観察事例によって自論を翻すことはなかったのである。

本書の2章『ダーウィンの非凡さ』では、ダーウィンの反対者たちの主張や理論がいろいろと紹介されている。例えば、アルフレッド・ウォレスは『余剰エネルギー説』で雄が雌よりも健康で生命エネルギーに満ち溢れているから、その余剰エネルギーで装飾的な無駄な形質を発展させると言い、派手な色彩・模様や美しい鳴き声などは配偶者選択と関係がないと結論付けた。ウォレスの余剰エネルギー説は、『健康で生命力が強いことを示す装飾形質』を持っている雄の個体のほうが、雌に選好されて繁殖に成功しやすいという性淘汰理論を否定する内容になっていない。ウォレスは『健康でエネルギーが有り余っている雄ほど余剰な性的装飾を発達させやすい』と主張しているのであり、これは間接的にダーウィンの性淘汰理論を肯定する主張と解釈することができる。数学モデルを用いて性淘汰プロセスを検証したロナルド・フィッシャー『性的装飾形質が、適応度・健康度・活発性の指標になっている』ことを示唆したが、これは動物・昆虫においては、雄の外見上の特徴が『生存適応度の目印』になっていて、雌はその特徴から配偶者選択をするということである(人間の場合は、生物学的要因だけでなく、心理社会的要因が性的魅力に絡んでくる。そのため、外見的特徴だけでなくコミュニケーションスキルや性格的魅力、経済的能力、知的レベルなどを総合的に捉えて異性を選択していると考えられる)。

このことは、生存確率を下げるような無駄な性的装飾形質を発達させてもなお生き残っているような雄の個体はより魅力的であるということを示し、雌から性的に選好されやすくなる。生存に不利益となるハンディキャップの形質を抱えていてもなお健康で活発な個体に雌の性的選好が集まり繁殖適応度が上がるという理論をアモツ・ザハヴィ『ハンディキャップ理論』と言う。ロナルド・フィッシャーは、より魅力的な性的装飾を選好する性淘汰には正のフィードバックがかかり、世代が後になればなるほど形質が変化するスピードが加速していくという『ランナウェイ過程』の仮説を提唱したが、性的形質を進化させる性淘汰のランナウェイ過程は『生存上の不利益が繁殖上の利益を上回るまで続く』と言った。

性淘汰理論に対する代表的な反論の一つが、『性的な装飾は種の利益(存続)に一致しない』というものであり、J.B.S.ホールデン『性淘汰の結果は、個体にとっては生物学的に有利になるかもしれないが、種にとっては最終的に破壊的なものとなる』と述べている。しかし、20世紀後半の進化生物学が辿り着いた地点は、進化の基本原理である自然淘汰は『種の保存』を目的として行われるのではなく、『利己的な遺伝子(個体)の保存』を目的にして行われるという衝撃的なものであった。本書では、科学的観点から男女の生物学的性差と性行動が考察されているのだが、男女の生殖にかける『生物学的・時間的コストの違い』が男性の浮気や不倫などのリスクになっているという話もでてくる。

無論、一夫一婦制の結婚制度が普及している現代の先進国では『遺伝子を拡散する生物学的本能』によって不倫の悪性や社会的リスクが軽減されるわけではないので、既婚者やパートナーがいる男性は『遺伝的本能・生物学的コスト』によって不倫を正当化しようとするのは無駄な足掻きであろう。


進化では、潜在的な繁殖力における性差は重要である。なぜなら、それは繁殖の変異の性差へと変換されるからだ。男性は、何人の子どもを持つかにおいて女性よりもずっと変異が大きいが、そのために、有性生殖は、男性にとってよりリスクが大きく、より報酬が大きいゲームなのである。女性は、子どもの数における変異が小さいので、子どもの質により多くの注意を払う。それでは、女性が卵子の成長と妊娠と授乳のために当てている余分なエネルギーを、男性は何に費やしているのだろうか。彼らはそれを、繁殖のための競争と求愛行動に使っているのだ。求愛の努力と子育ての努力との間には、本質的なトレード・オフがある。


『恋人選びの心 T』 p120


上記の部分を読んで快哉を挙げる男性もいるかもしれないが、生物学的次元と社会的責任や道徳的責任の次元を混同することにはやはり注意する必要があるだろうし、生物学者も動物行動学者も個人的な結婚生活の破綻などには何の責任もとってくれない。一般的な人間の行動原則を説明する理論は知的満足を与えてくれて面白いものだが、人間は大脳皮質の飛躍的拡大によって唯一、遺伝的本能への抵抗手段をもった種でもあるので、『本能が駆動するゲームだから仕方ない』では済まされない責任行動に周囲を取り囲まれているのである。

また、現代社会は娯楽やゲーム、趣味の増大によって、必ずしも男性の多数派が『繁殖のための競争と求愛行動』に余暇とエネルギーの多くを費やしているわけではないので、『男性の浮気・不倫に対する生物学的決定論・生殖のコスト論』の論拠は脆弱になりつつある。何より、現代では子の養育コストの高騰によって単純に子の数を増やせば良いわけではなくなっている(環境適応による出生数の減少)し、養育責任や婚姻関係などの制約によって「無軌道な求愛行動」はかえってすべての利益や安定を失う結果になるだけだろう。生物学的には『本質的なトレード・オフ』が性差の進化プロセスを促進したのかもしれないが、現代的な道徳規範・社会責任の観点からは『子育てを妻に任せて、自分は外で求愛行動に走る』というのは端的に『自滅的なトレード・オフ』であり、厳しい糾弾と批判の矢面に立たされることになる。

上で述べたことも踏まえて、個体の遺伝的存続を巡った競争であるならば、性淘汰が種全体の利益に合致しないことには何の不思議もないということになる。性淘汰は、本人の意識的な利益を越えた『個体の遺伝子の保存(種の保存ではない)』を目的にして盲目的に作用することが多い。そして、人間の知的な認識力は、『なぜ、遺伝子情報を残す必要があるのか?』という問いかけには原理的に応えることができない、特に、宗教的な物語(祖先崇拝・霊魂仮説・天国と地獄)を失った科学的世界観を持つ現代人には『遺伝子保存(子孫繁栄)の究極的根拠』は家族(親)の幸福や自分の生き甲斐、子ども好きな感性、(子孫を見る)老後の楽しみといったものとして了解されるしかないのである。

旧約聖書の神ではないけれど、『私はあるというものである』という自己言及的な存在意義以上のものを、論理的に遺伝子保存に見出すことは難しい。感情機能が乏しく言語機能を持たない動物・昆虫・植物などの場合には、遺伝子保存は機械的に「個体の繁殖適応度」に基づいて進められていくだけでそこに『なぜ、個体の遺伝情報を残すのか?』という疑問は生じようがないが、ヒトの場合には自己言及的に子孫存続の意味や人生のプロセスの価値を問いかける傾向があるといえるだろう。


■関連URL
『恋愛(結婚)の対象を獲得するまでの問題』と『恋愛(結婚)の関係を維持することの困難』

福岡伸一『生物と無生物のあいだ』の書評1:科学者の研究生活の楽しさと厳しさ

福岡伸一『生物と無生物のあいだ』の書評2:生命の一回性と適応性がもたらす機械論的生命観への疑念


■書籍紹介
恋人選びの心―性淘汰と人間性の進化 (1)
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