マケドニア共和国という国を知っていますか?
ヨーロッパにある人口200万人の小さな国で、ギリシャの隣にあります。ぼくはギリシャのカランバカにいた時、ギリシャ人に「次はどこの国に行くんだ?」と聞かれ「マケドニアに行くよ」と答えました。すると、そのギリシャ人は急に不機嫌になり、「そんな国ないよ」と言われました!
ヒロ「いや、ギリシャの隣にあるじゃん。
って思ったけど、そのギリシャ人が不機嫌になったのには、ちゃんと理由があったのです。
今回、お話しするのは『マケドニア呼称問題』です。ギリシャ人に向かって「マケドニア」と言うことは日本人に向かって『竹島』を『独島』と、『日本海』を『東海』と呼ぶに値する行為です!
ギリシャ人は「マケドニア」という国名に強く反対しています。『マケドニア旧ユーゴスラビア共和国』と言わなくてはいけません。
ギリシャ人は世界各国へ移民として渡っているので、ぼくたち日本人が海外で出会うこともあります。
これはギリシャ人の人口分布図です。
たとえば日本人の旅行先としてもお馴染みのオーストラリアのメルボルンは、ギリシャやキプロスを除けば最も多くのギリシャ人が住んでいる街です。歴史や文化の知識が足りていないと、英会話では、些細な事からトラブルに発展することがあります。そうならないために、しっかりと『国際教養』を身につけておきたいですよね。
マケドニア呼称問題
マケドニアはヨーロッパのバルカン半島にある、1991年にユーゴスラビアから独立した小さな国です。正式名は『マケドニア共和国』ではなく『マケドニア旧ユーゴスラビア共和国』です。名前が長いので世間一般的には『マケドニア共和国』の名前で呼ばれています。
でもギリシャ人に対してだけは『マケドニア旧ユーゴスラビア共和国』と言わないとトラブルになるかもしれませんよ!笑
国名論争
東方遠征をしたアレクサンダー大王はマケドニア出身です。ただ、このマケドニアはマケドニア地方のことで、現在のマケドニア旧ユーゴスラビア共和国とは違います。マケドニア地方はマケドニア旧ユーゴスラビア共和国、ギリシャ、ブルガリアにまたがっています。当初、マケドニア旧ユーゴスラビア共和国は紀元前4世紀にギリシャ全土を征服したアレクサンダー大王の王国『マケドニア』と名乗っていました。
ところが、これにギリシャが猛反発。マケドニア共和国の領土はマケドニア地方全体の4割程度で、この国をマケドニアの名称で呼ぶことを嫌いました。マケドニア地方のうち5割ほどを占めるギリシャは、「本来のマケドニアはギリシャである」と主張しました。
▼覚えとく英語
・マケドニア共和国 Republic of Macedonia
・マケドニア旧ユーゴスラビア共和国 The Former Yugoslav Republic of Macedonia
・猛反発 Vehement Protest
・呼称問題 Naming Dispute
国旗問題
(ヴェルギナの星)
マケドニア共和国は、古代マケドニア王国と類似した『ヴェルギナの星』をモチーフとした国旗を採用しようとしました。これにもギリシャは異を唱えます。
ギリシャもヴェルギナの星を古代ギリシャと現代ギリシャの連続性を示すものとして、ギリシャ領マケドニアのシンボルとして捉えていました。
なぜなら、このヴェルギナの星はギリシャ領の中央マケドニアで発見されたからです。また、ヴェルギナの星の国旗はマケドニア民族のみを象徴するものであり、マケドニア人、アルバニア人、トルコ人とが共存する多民族国家の旗にはふさわしくないとして反発する意見が国内からも上がりました。
経済制裁
1994年2月、ついにギリシャはマケドニア共和国に経済制裁をしました。この当時のマケドニア共和国は、ユーゴスラビア崩壊によってかつてのユーゴスラビアという市場を失い、南に隣接するギリシャの経済制裁の威力は絶大でした。
マケドニア共和国は、国際上の国名を変え、国旗も変え、そして、1995年10月、経済制裁を解除されました。これが現在の『マケドニア・旧ユーゴスラビア共和国』です。ただし、マケドニア憲法上の名称は『マケドニア共和国』のままです。ちょっと、ややっこしいですよね。
つまり、国際社会では『マケドニア・旧ユーゴスラビア共和国』の名前で国連もEUも、そして日本も国家承認をしているけど、マケドニア人の間では『マケドニア共和国』という認識、ということで覚えておきましょう!
▼覚えとく英語
・経済制裁 Economic Sanction
・憲法 Constitution
・国家承認 Diplomatic Recognition
ここまでが、歴史としてのマケドニア呼称問題です。ギリシャ人が反発する理由がよく理解できたのではないでしょうか。でも、ここで話が終わったら、ぼくは、ただの歴史オタクですよね。ここから先の話の方が『国際教養』としては大切だと思います。
国際人として
多様な価値観や世界観を互いに認め合う。それが今の時代に求められています。
『国際人』としてマケドニア人の考えにも理解を示さないとあまりに一方的です。
前述したように、マケドニア人にとっては『マケドニア・旧ユーゴスラビア共和国』ではなく『マケドニア共和国』です。
そこには民族の悲しい歴史があるのです。
▼統一マケドニア
マケドニア地方は現在、マケドニア旧ユーゴスラビア共和国、ギリシャ、ブルガリア、によって3分割されているけど、もともとは一つでした。
マケドニア地方は紀元前4世紀から紀元前3世紀にかけてはマケドニア王国として、紀元前2世紀にはローマ帝国として、ローマ帝国が東西に分裂すると東ローマ帝国として、栄えてきました。中世になると、ブルガリア帝国やオスマン帝国によって統治されました。この時代までマケドニアはひとつでした。
マケドニアが分裂したのは1912年から1913年にかけて起こった第二次バルカン戦争です。この当時、マケドニア地方はブルガリア領でしたが、この戦争の結果、ブルガリアは敗北し、マケドニア地域の南部5割をギリシャに、西北部4割をセルビア(ユーゴスラビア)に割譲し、マケドニアは分裂してしまいました。
『ずっと、ひとつだった。でも外国人たちの手によって分裂させられてしまった。マケドニア地方のうち4割しかないけど、なんとかおれ達、マケドニア人の力で独立できた。』
こういった思いがあるので、マケドニア人は、自らが樹立した国家の名前を『マケドニア』共和国として、こだわるのです。
これらの地域を統一して単一国家とし首都を現ギリシャのテッサロニキに置く考え方を統一マケドニア主義と呼びます。当初、マケドニア共和国のマケドニア人はマケドニアを統一させようという意思を込めた条文を憲法に記載していました。ギリシャによる経済制裁の結果、国名、国旗とともに、その条文も破棄しました。
▼覚えとく英語
・第二次バルカン戦争 Second Balkan War
・~を割譲する Cade
マケドニア人によるデモ(1994年オーストラリアにて)
マケドニアの基本データ
(国旗)
▼国名
▼首都
▼人口
約204万人(2008年)
▼独立
1991年9月8日
▼民族構成
マケドニア人 64%
アルバニア人 25%
トルコ人 4%
その他 7%
▼所在地
まとめ
いかがでしたか?外国人の中には日本を中国領の一部だと勘違いしている人や、日本海を東海(韓国名)の名で覚えている人もいます。やられる側の気持ちを理解しているなら、ぼくたちは、そういった事で外国人を傷つけたくありませんよね!
それでは、また!