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30年間泣いていた

発達障害者が生きにくい社会についての考察や時事問題、自分&他のケース、独り言など

今後のブログについて

私がもう少し発達障害や貧困女性のことを届けるような人になりたい、と言ったら色々意見が出たので迷っている。

そのうち、ブログに関することで迷っていることがある。

 

 

 

 

 

二つのアドバイス

①ニャートさん

まず、私の好きなブロガー・ニャートさんが、(一部他ブログ記事に対する意見があったが、私のブログを指している?)

 

nyaaat.hatenablog.com

 

という記事で、あるブログに対して「もうちょっと政治的な分析を言ってみようよ」

 

と書いてあった。自分への意見ではなくとも、まあ存分に当てはまる部分があるのでよく考えてみた。

 

 

 

実は、ブログには書いていなかったのだが、リアルでこうした社会問題を政治的な場へ上げられるような人を養成する講座に数ヶ月通っていた。

そこには現・地方議員さんなども多くいた。

 

そこでの感想は、「弱者の声に耳を傾けることとはほど遠い人種だな」というものであったが、やはり、自分のようにブログでせこせこ呟いている人間とは、おそらく発言発想のチャンネルが違うのである。また、そうした人ほど地位や経済的に守られているため、弱者の声は届かないし、聞かない。(聞きに行かない

 

本当に弱者の声を拾う人であれば、何もこちらから言わなくてもそうした場や体験を求めるのであるが、自発的にそうして弱者の声を拾い集めている人はいなかった。

(例:勉強会で貧困女性の話は聞くが、傾聴のみ(パフォーマンスで終了)。

例2:ママ議員も多くて働く女性支援だけはアホみたいにやってるけど、非正規女性の声は全然拾わない、など)

 

 

選挙を見ていてもわかるのだが、政治の場では「私が!私が!」の人が勝つし、自分を売り込むのがうまいため、コネや発言力を持っている人がやはり勝つ。

(この政治の問題点については後日後述するとする)

 

つまり、こういう強くて派閥計算派みたいな人の意見がリアルの政治の場に上がるものであって、支持を得ているブログは最先端の社会問題と正論ばかりの潜在的発言力だが、これら顔のでない「声」が既存の権力に勝つシステムが現状問題としてないのである。

 

 

ニャートさんは

 

政治的には、声をあげない者は、いないと同じだ

 

と言っておられるが、ブログの発言と実際の政治の場で声を上げることとはまた違うことは申し上げておく。

 

 

 

②ゼミの教授

大学で、発達証言を公言しておられる先生のゼミで、「こうした人の声を届けるにはどうしたらいいのか?」「社会や政治の問題を挙げていけばいいのか?」と話していたら、

 

「政治とかでかいことは言わないで、発達障害克服TIPSみたいなことを書いて人の支持を得たほうがいい」

 

と言われた。

 

そこには、「(だってあなたはまだ何も成し遂げてない身分でしょ)」という含みも込めてられていたように思う。

 

なので、とりあえずここまで障害者に認定されてからの体験手記的なものや、社会ではこのような身分であることをカジュアルな文体で書いていたのだが、どうも行き詰まっている。

 

この手のことは大抵社会に出てない発達障害の人が書いているし、私にはなれそうでなれなかった職業体験記くらいしかない。

発達としてエリートの教育を受けてきた栗原類のようには今更なれるわけがないのであるから無意味さを感じている。それよりも、①のようなシステムから指摘し改善に結びつけていったほうが早いのではないかとも思っている。

 

一人前になれない非正規雇用者や弱者が声をあげてはいけないという風潮

「一人前になってからそういうことを言え」

 

これは、私がある楽器店に勤めていた時に先輩パート社員(時給870円で残業70時間)に言われた言葉である。

 

楽器店の教室のお姉さんなんて座って電話をとればいいだけかと思いきや、低賃金でも実際には結構覚えることも多くて、とても時給に見合わないし、かなり忙しかった。

 

私は仕事がまだわからないので定時で上がっていたのだが、今日も残る先輩パート社員に

「残業が多くて大変ですね」

と言ったら、その先輩社員は「ううん、誰かがやらなきゃいけないから」と、さも「残業してるアタシカッケェ〜」と言わんばかりに残業をしていた。

 

「でも、やる事多すぎませんか? パートなのに」と私が申し上げたところ、タイトルの通りの発言が返ってきたのであるので衝撃的であった。

ようは、私並みに仕事もできない癖に早く帰るのに、わかった口を利くなというマウンティングだったのだろうか。

 仕事量がパート従業員で回しても全然終わらない作業量であったのは事実である。

 

私はそれが低賃金の時給制なのに非効率な働き方だと思ったし、保険もつかないパートの身分なのに、終わらない作業をその先輩パート社員のように残業前提で働くのもアホくさいのでさっさとやめた。

 

よく考えればわかるが、パートタイマーはパートタイマーである。お時給で働くものである。そして、その仕事はどこまでやっても正社員にはなれない。

 パートの時間で終わらない労務は経営側の問題であるし、確かその人のやっていたのは1.25倍の残業代もなかったか、サービス残業に近いようなものだったと記憶している。

 

 

※ちなみに、この先輩パート社員は私がアホらしくてやめた1ヶ月後にやめている

 

その現場や状態に慢性的に慣れてしまった人は声をあげにくいというのが一つと、弱者(一人前ではない=社会的地位がない人)は声をあげてはいけないという風潮が、この国には深く根付いている。

 

 

 

私のブログはどちらを目指すべきか

 

ここまで見たように、現代先進国では、 先生と呼ばれる人にはペコペコするが、弱者の声を無下にする風潮や土台が出来上がっているのである。

しかし、その先生たちは弱者の声や実情を知らないし聞こうとしていないので、弱者の声は届かないし、向こうもお金を出したくないのでやる気がないのである。

 

私としては①と②の案はどちらも正しいと思うのだが、何も持たない人間が喋って「はいそうですか」と話を聞いてくれる人は少ないだろう。

(同じく悩んでいる人は多少耳を傾けてくれるだろうが)

 

 

私は現在、アホの子のような文体でとりあえず生活で困ったことや、克服体験などを書いているのだが、私の本来の性質であるガチガチのブログでもいいのだろうか?

 

 

個人レベルの話に落とすと、お金がなく攻撃的な一面も持つ、あるブロガーがいる(私はその人の文章が好きだ)。
不思議なのは、その攻撃性が「真面目に働いているのに暮らせない社会」には向かわず、障害年金生活保護をもらっている人、または夫の給料で暮らしていける主婦などの「個人」に向かっていることだ。
もし、その攻撃性が、批判や分析という正しい形で社会に向かったら、共感されて力を得るかもしれないのに。

 

 

 

 ※勘違いなら訂正するが、これは私のことだろうか?(専業主婦批判をした記憶がないので、別の方…?)

 

話をブログの記事に戻すと、ニャートさんが言及された「弱者の連帯」という問題はおそらく、潜在的にブログには相当数上がっている。だが、それを届ける仕組みが(実質的に)ないこと、ブログで発信している人種と政治家になる人種がまったく違うことも関係しているのではないかと思われる。

 

政治か、自分と比較対象して記す行為の違いについても、俯瞰的に物事を捉えて社会問題としてブログに記すか、地を這って道を拓きつつブログに記すかの違いなのだと思う。

私としては、鳥瞰図でいつでも上から目線のブログは正論だが、結局は数字なので机上の空論だと言われても仕方ないと思っているし、実質的な生活者である、ちょっと立場の弱い市民という姿勢も忘れたくないので後者の表現も大事であると思う。

 

まともな就労ができない故、机上の空論と言われ反論されたり(不当な悪口も先日来たが)、それを自分個人のHNのついた場所でやるのはどうかと思っていた。
ただ、そういう記事に需要があるならば、社会を良くする仕組みはいくつでも挙げられると思う。

 

 

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