ブログ書いてる人や
庇う人を
怒らせよう
怒らせよう
という方向に行くのね
もはや批判ではなくて
いかに不愉快にさせるか
いかにカチンとさせるか
いかに痛い思いをさせるか
そんなこと考えて書いているのかな
人を不愉快にさせたい
人を傷つけたい
人を落ち込ませたい
人に暴言吐かせたい
それは
いつからそうなったんだろうね
本当は誰に怒ってるんだろう
本当は誰を傷つけたい?
怒らせたい?
落ち込ませたい?
いつもの
心屋的な解釈になってしまいましたが
批判コメント見ていて
ああ、こうして
勝手に人は怒るんだなと
思いましたね
応戦すると
待ってました
とばかりに
さらに怒るの
そう怒りたいの
怒りを出したいの
で
怒りの下には
たいてい悲しみがあるんだよね
悲しんでるんだよ
他人の家庭を見て
自分の心が悲しんでいる
お父さんを返してよ
お母さんを悲しませないでよ
などと叫んでいる
人のブログのコメント欄で
私は悲しいんです
傷つけられたんです
と告白しているんですよね
だから
ふーんそうなんだー
しかないんです
その批判コメントしてくる人に
「それは間違ってる」
なんて言おうものなら
待ってましたとばかりに
自分の怒りを、悲しみを
ぶつけてきますからね。
だから
冷静に見てると
悲しいんだねえ
傷ついたんだねえ
怖いんだねえ
とわかります。
人を怒らせたいのは
「やっぱり私は怒らせる」
「ほら、やっぱり私は酷いこと言われる」
「どうせ私は傷つけられる」
と思っているからかも
しれませんね。
もちろん全てではないですが。
自分の人生を夢中で
楽しんでない感じは
伝わってきちゃうな。
自分のことに忙しくて
他のことはわからなニャイの