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まわりの影響を受けながら自分が変化し続ける

3月からサイカに顧問としてジョインすることになった原田博植(はらだひろうえ)氏。彼のキャリアはアナリスト一筋。そして昨年、日経情報ストラテジーが選出するデータサイエンティスト・オブ・ザ・イヤー2015を受賞した。このキャリアを見ると、分析という専門性を駆使し、データにのみに解を求めるような人物像をイメージするだろう。しかし、過去に何度かお話させていただくなかで、彼の考えや感覚は僕のイメージしているデータサイエンティストとは少し違う気がしていた。それは今回改めてお話を伺うなかで彼の根底にある“想い”を知ることで納得ができた。

まわりの影響を受けながら自分が変化し続ける

やると決めたら主体的に打ち込んだ学生時代

加藤 朝彦

今日はよろしくお願いします。まず自己紹介をお願いします。


原田 博植

原田博植です。社会人のキャリアはシンクタンクに8年、外資ITベンチャー1年半で、いまは大手情報サービス企業に在籍しています。一貫してアナリストという専門性を磨いてきました。アナリストという専門性をを究めることのできる環境であること、それと同時にジェネラルな能力も研鑽できる環境という掛け算を求めて、総研系のシンクタンクを最初の職場に選びました。いつも根底には「最初から最後まで自分でやりたい」という気持ちがあり、事業全体の一部の業務だけではなく、マーケティングや経営の勉強をして独立したいと思っていました。昔から「自分が自分のオーナーでいたい」という想いがありました。

加藤 朝彦

専門業務だけに注力するのではなく、包括的にビジネスに関わりたいと思うようになったきっかけはなんだったんですか?


原田 博植

大学生時代に研究の傍ら、吉本興業の企画代行をやっていました。吉本が持っていた2,000人規模のホールでさまざまな企画を担当しました。そのときに「仕事って主体的にやると楽しいんだな」という経験ができたことがきっかけです。みんなで分配すると手元には10万くらいしか残らないのですが、社会のニーズを分析して、企画して、実行することによって、お金という評価がつくということが新鮮でした。

加藤 朝彦

その企画に携わるきっかけは?


原田 博植

高校のときからずっとやっていた音楽です。高校に入学してかなり真面目にバンドで音楽をやっていました。男子校だったので「モテたい」というのは本当になくて「どのバンドよりも上手くなること」が目的でした。もともと中学でサッカーをやっていて、毎日倒れこむくらい練習をするような環境にいました。そのときのスポ根が染み付いていて、当時はコンテストでも常勝でした。そんななかで、よく通っていたリハーサルスタジオの方に「自分で企画してみたら?」と誘われて、今まで対バンしたなかで上手かったバンドを集めて企画したのが始まりでした。ファッションショーをアレンジしたり、マーケットプレイスを主催したり、そんな経験を重ねながら「面白いことしたいなら自分でやればいいんだ」という思いを強くしていきました。


原田 博植

とはいえ自分のことはまだまだ未熟だと思っていたので、大学卒業してすぐに起業するというモチベーションにはならなくて、勉強するためにシンクタンクへ入りました。「我以外皆我師(われいがいみなし)」という言葉を大事にしており、勉強したいという気持ちが強かったです。

加藤 朝彦

就職先が音楽と関係なかったのはなぜですか?


原田 博植

歌や演奏がうまくてコピーバンドでは強かったのですが、作曲の才能がなかったからです(笑)。かといって目的をずらして音楽業界と関わりたい気持ちはありませんでした。ずっとやっていたことなので音楽はすごく大切だったのですが、それ以上に「主体的にやる」ということが大切でした。これは昔から変わらなくて、怪我をしてサッカーを続けられなくなったときにも「次は何やるか」を考えました。中学校卒業前には高校で一緒にバンドをやるメンバーを集めきりました。

加藤 朝彦

そのころから主体的に行動されていたんですね。幼い頃からそうだったんですか?


原田 博植

小学生のころはボーッとしていました。ただ、いつも観察していました。国立の小学校だったので電車通学だったのですが、そのころ通勤途中の大人たちを毎日のように観察していました。通勤電車を楽しそうに乗っている大人はあまりいなくて、満員電車で身動きとれない状態で幼心に「この先に楽しいことはあるのかな? 憂鬱になるために生きていくのかな?」と考えました。今になるとそのときの大人たちが憂鬱だったわけじゃないと思っているのですが、当時は無気力にならないために、主体的に生きないといけないという感覚はありました。


原田 博植

あと幼いころ身体が小さかったんです。大きい子は余裕があるんですよね。そこまで必死に考えなくても何かで勝てるから。でも小さいと打開するために絶えず考える。それは大人になってからも、弱者の戦略などの形で同じ構造があると思います。

加藤 朝彦

いままで主体的に動いてこられるなかで大切にしている想いはありますか?


原田 博植

座右の銘が「変化」です。変化を大切にしていて、「変化に遅れると死ぬ」と思っています。

加藤 朝彦

どうして変化に対してそこまで思うようになったんですか?


原田 博植

外部環境はいつも変わります。それに対して人間ひとりでできることは少ない。サイカのクレドでもある「才能開花し続けて、才能開花を支援する」にも通じますが、外からの影響を受けながら自分が変化し続けることでまわりへの影響も変わってくると思っています。それのよって関わる方たちも変わってくる。すべての起点で自分が変化しないと始まらない。必要だと思う変化を求めて、いままで会社を変わってきたというのもあります。


原田 博植

それに主体的でないと変化はないと思っています。大学生のころ、バックパッカーが流行ったのですが、友人たちが海外でさまざまな経験をしていて、すごいなーと思っていました。僕は吉本興業の企画をやっていたこともあり旅行をまったくしていなくて、海外経験の少なさに劣等感持っていました。卒業間近にその友人たちへの素直な憧れを話していたら「やることなくて、なにやっていいかわからなかっただけなんだよ。お前はいつも形にしているじゃないか」と言われ驚きました。いわゆる自分探しと言われるものでも、場所や時間、振る舞いを変えても、主体性がないと本質的には変わらないのだと学びました。だからこそ、ずっと主体性を失ってはいけないんだという想いがあります。

まわりの影響を受けながら自分が変化し続ける

事業のあらゆるフェーズ、組織のあらゆるファンクションの数字と向き合ってきたからこそわかることがある。

加藤 朝彦

そこからなぜアナリストになろうと思ったのですか?


原田 博植

アナリストになろうと決めたのは、世界の構造計算が好きだからです。外から影響を受けることを重要だと思っているので、会社組織や多くの人と働くということを選びました。そのなかで分析という職能を究めることに魅力を感じた。それは思し召しです。アナリストの適正はあったと思います。バイオメトリクスや非接触ICチップ、電子ペーパーなど、今後の社会インフラの行方と市場規模を見立てる業務は刺激的でした。分析的な性格が花開いたのだと思います。

加藤 朝彦

その後WEBサービスの業界に移られたのはなぜですか?


原田 博植

変化したかったからです。当時IT業界がものすごい早さで変化していたので、飛び込みたいという想いがありました。IT業界で最初の役職はディレクター兼リサーチャーというものでした。実際の業務は、ユーザビリティテストの観測結果を数量化したうえで、反面調査のヒアリングを行い、言語領域と非言語領域を分析し、定性情報と定量情報の根拠を駆使して、WEB画面の改善を提案するというものです。最終的には自社サービスの開発をしたいという想いがあったので、その後グルーポンで情報系データベースの環境構築と業務設計に尽力しました。ここでスタートアップの苛烈な立ち上げ業務の洗礼を受けました。私は常に全体把握しながら柔軟に何かを吸収しようとしているのですが、そこから大手情報サービス企業に転職した理由は、事業主側の実務とデータベースを骨の髄まで知ることができると思ったからです。パートナー側と事業主側の両方を経験しているのは、自分のキャリアの希少性だと思っています。

加藤 朝彦

ご自身が主宰されている丸の内アナリティクスはどのような意図で始められたんですか?


原田 博植

変化と好奇心です。丸の内アナリティクスは「日本のビジネスにおいて分析が “正しく” “速く” “多く” 行われるようにしたい」という理念のもと始めました。数字や分析・データを活用することが、もっと日本でもインフラが整ってルーチン化されるべきだと考えています。しかし、なによりも私個人の知識欲求として、さまざまな業種でビジネスを展開している企業の方から学びたいという意欲がありました。丸の内アナリティクスの参加企業は一業種一社に限定しているのですが、その理由は、競合関係のない異業種同士だからこそできる深い意見交換をしていきたかったからです。

加藤 朝彦

そんななか、なぜサイカにジョインしたのですか?


原田 博植

自分はドメスティック企業や外資系企業、スタートアップから大企業、コンサルタントから事業会社とさまざまな越境を繰り返してきて、職能はずっとデータ分析に軸足を置いてきて、キャリア形成が希少な部類だと思います。さらにそれぞれの場所で、データベース設計・運用設計・施策・成果とあらゆるフェーズの数字と向き合ってきたのですが、経験的に、一部だけ最適化してもうまくいかない場面をたくさん見てきました。横断的にやりきるのは組織全体の思考体力が不可欠だと思っていて、粘り強さが必要です。サイカにはその粘り強さがあると思います。まずトップの平尾さんが粘り強い。だからサイカのツールは本質的に使えるツールになると思った。そして、しっかりと使えるものするためにサイカにコミットしたいと思いました。


まわりの影響を受けながら自分が変化し続ける

データ環境がコモディティ化したときに一番価値が出てくる。

加藤 朝彦

データ分析を成果に結びつけることは学術的な理論や分析ツールを磨き上げることですか?


原田 博植

成果を出すポイントがいろいろあると思いますが、マーケットインとプロダクトアウトの折衷が必要です。論語に「中庸」という言葉があります。中庸とは「普通」ということではなくて、壮絶な状況だと考えています。真ん中の状態を保つのが一番難しいし大変です。いろいろな角度から見ても、事象に対して平静や公正を保つのはすごく難しい。いまのデータサイエンティストという言葉もそうです。理論か応用かどちらかに寄ると安定するのは当然ですが、極端に寄ることは本質的でないと思います。越境すること、一番の緩衝地帯で、摩擦の大きいところで踏ん張るのが一番しんどいし、だからこそ価値があると思います。そこを真剣にできれば、やれる人が少ない事ができるようになって、コモディティ化したときに一番価値が出てくる。マゼランにはそういうツールになって欲しいと思っています。

加藤 朝彦

最後に、才能開花をどのように捉えていらっしゃいますか?


原田 博植

僕はもう才能開花というには気恥ずかしい年齢になっています(笑)。でも、一番いい化学反応が起こる状態を模索したいです。自分と他者が関わって一番大きな掛け算になる。年齢を重ねて本質的な問いが解けてくるところはあると思います。若いときには無かった驚きはあります。成果の総量を大きくすることができた時には驚きます。直線的な計算スキルアップに限っていえば、頭の回転とか集中力の持続とかの観点から、絶対に若いほうがいいんです。でも、曖昧な特徴量を組成することや全体設計をすることは若いうちの経験では足りないので、それを模索しています。もはや才能という言葉じゃないフェーズに自分がいることを喜んで、まわりが才能開花をしてもらうための道をつくりたいです。

加藤 朝彦

ありがとうございました。

取材を受けてみて

原田 博植

こんなに自分のことをお話ししたのは初めてで、率直に恥ずかしく思います。すこしでも、どなたかの今後の参考にして頂ければ、こんなに嬉しいことはありません。ありがとうございました。