日照との因果関係
ここで朝とか夜とか言っているのは、時刻の問題ではない。愚行を繰り返しているうちに、大切なのは日照の有無であることが分かってきた。お日さまが昇っているときはアタマの調子がいい。で、日が沈んであたりが暗くなると調子が悪くなる。ということで、僕のアタマの動きと日照の間には相当に強力な因果関係があるようなのだ。
朝起きて、まずは庭に出る(というのはタバコを吸いたいから)。朝の日光を浴びつつ背伸びの一つでもすると、たちまち気分爽快、アタマがカリカリと動き出すのを実感する。昨日考えていたことで、上手く言語化できなかった難題があっさりと腑に落ちたりする。どうにも解決がつかず、悶々としていたことがいきなり片づいたりする。
早寝早起きが暴走すると、大の大人が夜8時半にはもう寝てしまう。子供のころ、ドリフ(「8時だョ!全員集合」)が終わったらもう子供は寝る時間、次の「キイハンター」(千葉真一が出ていてカッコよかった)は中学生になってから、ということになっていたが、千葉真一どころか、ドリフの合唱コーナーで志村けんが「東村山音頭」を唄っているときにはもう寝ているのである。
さすがに50代ともなると7時間も眠れば睡眠時間は十分なので、朝の4時ぐらいには起きてしまう。冬場ならまだ外は真っ暗。これだと早起きの意味がない。新聞もまだ届いていない。仕方なしに薄暗いところで一人やることもなくコーヒーなど啜っていると、アタマが回るどころか、なにやら物悲しい気分になってくる。これに懲りて、さすがに10時ぐらいまでは起きているようにしている(それでも9時過ぎには床に入るが)。
一年のうち日照時間に偏りがある北欧のようなところで生活していたら、僕の仕事は大きなダメージを受ける気がする。夏と冬で違いはあるが、日照時間の変化がまあまあのレンジに収まっている日本に生まれてよかったと思う。
もちろんこれは個人的な好き嫌いなので、中には人が寝静まってからいよいよアタマが冴えるという人もいるだろう。そもそも仕事が深夜勤務の人もいる。ただし、本来は僕と同じタイプの人が大半なのではないだろうか。人間も動物である。日の下でこそ調子が出るというのは、ヒトという動物がそもそもそういうふうにできているという気がする。この辺、専門家の説明を聞いてみたい。
また日は昇る
政治的な力量や成果にはいろいろと問題があったかもしれないが、オバマ前アメリカ合衆国大統領は政治指導者にとって第一の資質である言語能力とそれを縦横に駆使した演説においては抜群の政治家だったと思う。
先の大統領選挙でトランプ氏の勝利が確定したとき、オバマ氏が第一声で何を言うか、僕は注目していた。こういうときだからこそさぞかしイイことを言うと期待していたのだが、案の定ヒジョーに上手いことを言った。「それでも、また日は昇る」。意気消沈していた民主党支持者やリベラル派の人々の気持ちを和らげ、将来に向けて元気づける言葉としてこれ以上はないほど秀逸な言葉のセンスである。
ラジオ体操の歌ではないが、「新しい朝が来た、希望の朝だ」というのは人間の本性の発露だと思う。朝になって日が昇れば、大体のことは解決する。これが僕の信条である。
逆に言えば、どうにも調子が悪いときは、うどんを食べて布団をかぶって寝てしまうに限る(こういうとき、僕は「マルちゃんの赤いきつね」を常用している)。ありがたいことに、数時間後には新しい朝が来てくれる。人間はその程度には上手くできている。