『ゴーストルール』の歌詞解釈


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どうしようもない“嘘憑き”の葛藤

「ゴーストルール」
作曲・作詞・編曲/DECO*27さん
歌/初音ミクさん

今回歌詞を読むのは、2016年のボカロ曲を代表すると言っても過言ではないほどの大ヒット曲「ゴーストルール」です。中毒性のあるアップテンポなロック。

制作はDECO*27さん。独特な言葉遊びとキャッチーなメロディーが毎回印象的な、古株ボカロPです。「ゴーストルール」”ghost rule”は直訳すると「亡霊の決まりごと」。亡霊とは何のことなのか、歌詞の意味を読みこんでいきたいと思います。


どうだっていい言を 嘘って吐いて戻れない
時効なんてやってこない 奪ったように奪われて

どうでもいい嘘を積み重ねた“僕”は、もう普通には「戻れない」ほどの大嘘つきになってしまった。「時効なんてやってこない」つまり嘘をつくことは、永遠に許されないような罪深いことであることを“僕”は自覚している。でも嘘をついてしまう。
その嘘で何かを奪った(=自分が得をした)こともあるが、同じくらいに奪われた(=自分が逆に損をしてしまった)こともある。

今日だって叶わない 思ったように騙せない
腐っている僕には 腐ったものが理解わからない

「大嘘つき」である“僕”は、今日も本当のことは言えないのに、思ったように貴方を騙すこともできない。嘘をつきすぎて「腐っている僕」には、なにが嘘でなにが悪いことなのかも分からない。

ここまでの歌詞で、語り手は自分が「許されないような大嘘つき」であることを自覚しながらも、同時に大嘘つきである自分に苦しんでいることが伺えます。

おいでココまで 捨てい
「隠して仕舞ったんだ」

結局本当のことは言えないまま、事実を「隠して仕舞った」=また嘘をついてしまった。

メーデー 僕と判っても もう抱き締めなくて易々いいんだよ
メーデー 僕が解ったら もう一度嘲笑わらってくれるかな

メーデーとは、遭難の信号を発信する時に使われる国際的な緊急用符号語。簡単にいうと、「迷ったから助けに来て」というサインのことです。嘘をつきすぎて本当の自分が分からない、という意味で「迷っている」のでしょうか。

“僕”は「助けて」とサインを出しながらも、「僕と判っても もう抱き締めなくていい」といって周りを突き放します。

続いて「僕が解ったら もう一度嘲笑ってくれるかな」という部分ですが、
まず“嘲笑”とはあざ笑う、という意味であまり良い印象にはとれない単語です。

「もう一度」という言葉から、かつて“僕”は嘲笑われたことがあるけれど、現在は嘲笑われていない、ということが読み取れます。
おそらく“僕”は周囲から「あいつは嘘つきだ」という風に最初はあざ笑われたのでしょう。でも、嘘を重ねつづける内に段々と周囲もあきれ、やがて誰も“僕”をあざ笑うことはなくなり、本当の意味で孤独になってしまったのではないか、と思いました。

そう考えると「僕が解ったら」というのは、『“僕”がただの大嘘つきではなく、「大嘘つきである自分に苦しみながら、それでも嘘をついてしまう、ピエロのような大嘘つき」であると解ったら』もう一度自分のことをあざ笑ってくれるだろうか、自分を見てくれるだろうか、という意味なのかもしれません。大嘘つきである自分が嫌いで、せめてこんな自分をあざ笑ってもらえたほうがマシ、という“僕”の屈折した感情が伝わってきます

「助けて」と願いながらも周囲を突き放したり、「こんな自分をあざ笑ってほしい」という屈折した願望を出したり…
嘘つきの語り手ならではの、あべこべで複雑な感情が渦を巻いています。

マボロシだって知るんだよ
嘘憑きだって知るんだよ ネェ

嘘つき、という単語をあえて 嘘”憑”き と表記しているところに着目しました。
「憑き」という表現は、「霊などが乗り移ること」を一般的に指します。

つまりここでの「嘘憑き」という表現は、「嘘という名の霊(ゴースト)に憑かれたことで、自分の意思ではどうしようもないまま嘘をついてしまう人」を指しているのではないかと思いました。

本当の自分が分からなくなり、助けてと遭難信号を出してみたものの、
「本当の自分」なんてただの「マボロシ」であり、最初からどこにも存在しなかった。
また、自分が嘘に憑かれた「嘘憑き」であり、自分ではどうしようもないことを“僕”は知ってしまった。

NO だって言う筈が キョドって YES を声に出す
後悔の脆弱は 騙したほうが正義なの

卑怯だって構わない 祈っておいてそれはない
飾っていた饒舌が 墓穴を掘って焼ける様

負い目どこまで 灰色グレー

被害者ヅラしたって

負い目を感じながら、苦しみながら嘘をつく“僕”。
自分が灰色の存在(喜んで嘘をつくような黒でも、嘘を全くつかないような白でもない。どっちつかずの中途半端な存在)であることも分かっている。

自分は嘘に憑かれたから嘘をついてしまう。
だから自分は被害者だ、自分は悪くないと「被害者ヅラ」したってどうにもならないことにも語り手は気付いている。

メーデー 僕を叱ってよ 正直者が夢見たいなら
メーデー 僕を裁いてよ 最後まで甘えてしまうのは

こんなどうしようもない嘘憑きの僕を叱ってほしい。
そして正直者が夢を見られる世界
「時効なんてやってこない」ほど、罪深い嘘をついた僕を誰か裁いてほしい。でなければ僕は最後まで甘えてしまう。

亡霊だって知るんだよ
空白だって知るんだよ ネェ

嘘に憑かれて「嘘憑き」でありつづける内に、本当の自分も分からなくなってしまった“僕”。
自分には何もない。「空白」であり、「亡霊」同然だと思ってしまう。

足りないものを望んだら 僕じゃない僕に出逢ったよ
それでも前に進んだの クラクラしちゃう夜も
足りない僕を愛してよ  EGO-MAMA が僕を育てたの
きみには僕が見えるかな 孤毒なピエロが

「EGO-MAMA」=エゴイズム(利己主義)+ワガママの造語と思われます。

この詞では“僕”ということばが何度も何度も使われていて、「EGO-MAMA」という単語に納得するくらい「僕中心」の閉鎖的な世界が描かれています。しかしここで初めて“きみ”ということばが登場します。ここでの“きみ”が誰を指すのか、歌詞だけで読み取るのは難しいですが、何だか聴き手側に「きみには僕が見えるかな」と問いかけられているようでドキッとする歌詞だと感じました。

メーデー 僕と判っても もう抱き締めなくて易々いいんだよ
メーデー 僕が解ったら もう一度嘲笑わらってくれるかな

メーデー 僕を叱ってよ 正直者が夢見たいなら
メーデー 僕を裁いてよ 最後まで甘えてしまうのは

メーデー 僕を暴いてよ もう直終わるこの世界から
メーデー 僕と踊ってよ 最初からイナイと理解わかってた?

嗚呼

「もう直終わるこの世界から」、嘘ではない本当の僕を暴いて欲しい。
でも、“僕”は嘘に取り憑かれた存在。
本当の僕なんて「イナイ」とわかってた?

マボロシだって知るんだよ
嘘憑きだって知るんだよ

亡霊だって知るんだよ
空白だって知るんだよ

どうだっていい言を 嘘って吐いて戻れない
時効なんてやってこない 奪ったように奪われて

だいぶ長くなってしまいました。

まとめると、『ゴーストルール』は「嘘をつきたくないのに自分ではどうしようもなく嘘をついてしまう“僕”の孤独な葛藤・叫び」を描いた曲などではないかと思いました。

現実においても、自分でダメだと分かりつつも自分の意思ではどうしようもない事があると思います。そんな時、この曲の「メーデー」という悲痛な叫びを思い出すのかもしれません。
ここまで読んで下さってありがとうございました。