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めざすのか?ポケモンマスター
「また今日も一日中ダラダラして。一体いつになったら働くのよ。」
「だからちゃんとやってるって。」
「やるやる、ってずっと言って何年目よ。お母さん今日は本気だからね。」
「うん、わかったから。じゃあね。」
息子から部屋を追い出されると、母親は階段を降りはじめた。段差を歩く足取りは遅く、手すりにつかまりながら一段一段ゆっくりだ。息子が子供のころは手すりがなくとも、楽に上り下りしていたが、今はもう違う。その日の母親はいつもとは違っていた。何かを強く決意した目をしていた。リビングに下りると母親は受話器を取った。手にしたメモを見ながら、番号をひとつずつプッシュしていく。
プルルルル、カチャ
「もしもし、ハセガワです。先日のお話なんですけど、やはりお願いしようかと思いまして…。」
「さ、行きましょうか。」
しわひとつないダークスーツに身をつつんだ男二人に付き添われて俺は自分の家を出た。がくりと肩を落とし重い足取りで連行される姿は、はたから見れば長い逃亡生活のすえに神経をすり減らしきって逮捕された犯人のように見えたかもしれない。しかし後ろで俺を見送る母親の顔には悲しみどころか満面の笑みしかない。
「気をつけて行ってくるのよ。」
そんな近所におつかいに行ってくるかのような軽い見送りてあんた。俺はもう帰れないんだよ。住み慣れた故郷を離れて世界を巡るんだよ。あんたのご飯が食えなくなるんだよ。昼過ぎに起こされることもないし、小遣いももらえなくなる。惰性で続けていたネトゲ三昧の生活も送れなくなるんだよ。……あぁやっぱり嫌だ。助けてお母様!俺は振りむくなり母親に向かって最後の抵抗――赤ん坊のような純粋な瞳で救いを訴えた――をしたが、おそらく彼女の眼にはもはや俺の赤ん坊のころの面影はなく、金にならない家畜を処分できて喜ぶ経営者の微笑みしかなかった。
「じゃ、よろしくお願いします。」
母親はそう言うと、もはや俺に一瞥もくれずにいそいそと家の中に戻っていった。無情にドアを閉める音が俺の耳に残酷に響き、俺は本当に観念した。俺がもはや抵抗する気がないことを知ると、男たちはゆっくりと歩き出した。
「大丈夫ですよ。みなさんお出かけになるまえは不安がおありでしたけど、実際に始めてみるとものの数時間で夢中になられる方ばかりですから。」
若いほうの男が笑っていないスマイルで俺に話しかける。俺は知っている。この町が毎年毎年生産力の低い男をつかまえてモルモット代わりにお遊戯会してるのを。
「ヒトシ様は特別強化選手候補者ですから、同じプログラムでも他の方よりさらに手厚い保護があるんですよ。正直、引く手あまただったんですが、本当に運がいい。」
髪をオールバックに整えた年上の男が思わせぶりな目つきをして甘く囁いてきた。俺は知っている。特別強化選手候補というのは、要するに一番の出来そこないということを。耳触りのいい言葉に置き換えても、結局は俺は馬鹿にされているようにしか聞こえなかった。落ち込んだ気分にイライラをブレンドさせながら俺は男たちについて行った。
大通りを抜けて500メートルも歩いていると、じんわりと汗ばんできた。4月と言っても今日の日差しは強い。俺は連行されているのを見られるのが嫌で、グレーのパーカーについたフードで顔を隠していたけど、あまりに暑さに脱いでしまった。ダークスーツを着ている隣の男たちはさらに暑いだろうと思ったが、あまり汗をかいているようには見えない。こんな仕事をしているから発汗作用もいかれたんだろうか。
「さぁ、着きましたよ。」
そうこうしていると目的地に着いたらしい。俺の目の前には、コンクリートで打ちっぱなしのビルがあった。入口の上には「オーキド研究所」と質素なプレートが飾ってあり、他に装飾らしきものは特にない。いかにも研究所らしい簡素なたたずまいだ。窓はすべて曇りガラスになっていて外からは中の様子を見ることはできない。これから俺は世にも恐ろしい実験の餌食になる…わけではないのだが、研究所って聞くだけで俺みたいな健全なパンピーは気後れしちゃうよね。
「さ、暑いなか歩いてきてお疲れでしょう。なかでお茶でも出しますよ。」
相変わらずのエセスマイルで若いほうが俺を建物のなかに誘った。素直に誘いを受けるのは癪だったけど、これ以上干からびて生きている自信はなかったから、俺は大人しくあとに続いた。なんならエセスマイルを追い越す勢いで駆け込んだ。
曇りガラスの自動ドアを抜けると、冷房の利いたひんやりとした空気が俺の体を包んだ。思った以上に空気が気持ちよかったのは、予想に反して清潔な室内だったからかもしれない。白で統一された研究室は事務机のうえもきれいに片付いていてちょっとシャレたオフィスみたいな雰囲気だった。ポケモンの研究所っていうから、動物臭いだろうって思ってたんだけどね。あたりを見回してもポケモンらしき影もないし臭いもない。ここは本当にポケモンの研究所なんだろうか。
「それでは、こちらにお掛けください。」
俺はてっきりパーティションで囲われた場所にでも案内されるかと思っていたら、事務机の片隅に座らされた。研究所っていうところには、客間なんてものは存在しないのだろうか。出された冷たい麦茶を一気に飲みほしてあたりの様子をうかがっていると、研究員のおっさんたちはまるで俺がいないかのように振る舞っていた。わけのわからない怪しい企画に招待された俺に気遣ってくれているんだろうか。それとも単に研究に夢中で俺が見えていないだけかもしれない。なんて考えていると背後で高級マスクメロンのような甘くて爽やかな声が響いてきた。
「こんにちは、はじめまして。ここの研究所の所長代理をしています、オーキド・ナナミといいます。」
なんだこのお姉さんは。後ろに束ねた鮮やかな翠の髪。知性を秘めたエメラルドの瞳。優しく柔らかそうな唇。白くキメの細かい肌。白衣のあいだからのぞくほっそりとしたうなじ。もう恋に落ちる準備は万端だ。あれ、もしかしてこの企画って本当は社会経験の未熟な俺にこのお姉さんが手とり足とりいろんなことを優しく教えてくれるってことなんじゃ。俺はこのお姉さんと二人っきりで世界を回ることになるんじゃ。そして最後は二人は幸せなキスをしてこの企画は終わることになるんじゃ。俺は自分の思いつく限りのロマンティックな妄想にはまり込んでいたが、そんなこの街でもっとも冴えない男の儚い想いを知ってから知らずか、ナナミさんは非常に事務的な声でこう続けた。
「今からあなたを『めざせポケモンマスター式引きこもり改善プログラム』の主人公役に任命します。当プログラムは全国の引きこもりにゲームのロールプレイングを行わせることでその症状を緩和させる目的で設立されました。今年で十年目を迎えますが、結果は上々です。プログラム終了後にはきっとあなたはこのプログラムを受けてよかったと心の底から思うことでしょう。心配することはありません、結果は上々です。今からあなたにはパートナーポケモン一匹と小額のお小遣いが与えられます。それらを使い、世界中のプログラム参加者とポケモンバトルを行いポケモンマスターを目指してください。また参加者は全員このバッジをつけることか義務付けられています。このバッジはあなたの身分証明書となります。これがあればプログラムに必要な施設はすべて無料で利用可能になります。今からさっそく当研究所で飼育されたパートナーポケモンを選んでいただきます。よろしいでしょうか。」
「え、あ…はぁ。」
あらかじめ話を聞いていたとはいえ、半ば呆けていた頭に慣れない情報を一気につめこまれて俺はパニック寸前だった。思えばこれは相手の作戦だったのかもしれない。俺が返事を戸惑っていると、さらに相手はダメ押しの一発をかましてきた。
「安心してください。結果は上々です。」
「は…ぃ…。」
彼女の声の甘さに耳が喜びに打ち震える。俺の脳はすでにナナミ色に汚染されていた。そんな状態でウインクなんてされたら、言うことに従うほかはなかった。俺はもう完全に思考を止めて、彼女の言うとおりにうなずくだけの下僕となり下がっていた。気がつけば俺は完全にやる気マックスでポケモンマスターを目指すことになっていたんだが、まさかこのマサラタウンにセイレーンがいるとは思わなかった。
暖かな風が世界に生命の芽吹きを告げる4月の空の下。俺の心のなかにはエメラルド色のヤドリギが立派に植えつけられていた。
初投稿です。一作品を書き切ることを目標にしています。改善点をいただけるとうれしいです。よろしくお願いします。
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