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第四話
姉のお葬式の日は晴天だった。
葬儀場には知らない人たちが整然と並び、経が響いていた。
幼い私は、どうすれば、うなだれる両親を元気に出来るのか分からなかった。
知らない人の群れの中に、やっと見つけた親戚の少女も、雰囲気に飲まれたのか目を合わせてくれなかった。
この日の私が、姉の死を受け止められていたのかは怪しい。
非日常の場所が怖くて、とにかく明るい場所に行きたかった。
手首に巻いた姉の腕時計を触っていると、ふいに肩に手が置かれた。
顔を上げると、口は一文字だったけれど、目元がちゃんと笑っている女性が立っていた。
それが佐田先生だった。
先生は何も言わず、私の手のひらに何かを置いた。
小さなバッジだった。
それは、姉が卒業した学校の校章だった。
「大きくなったら、いらっしゃい」
先生は微笑み、私の頭を一度だけ撫で、その場を離れた。
六年後、受験に合格した私は、姉の腕時計と先生がくれたバッジをつけて入学式に向かった。
先生は、少し散りかけた桜の木の下で私を迎えてくれた。
「お姉さんのお葬式は、三十年以上も前の話なのね」
佐田先生が白髪の多くなった髪に手を当てた。
「そうですね」
私は先生の手の動きを追ってしまう。
先生は私の視線に気付き、少し笑った。
「髪ね、もう染めるのやめたのよ。このまま真っ白にしてやろうかと思って」
「佐田先生、そういうの似合いそうです」
「そう? 北澤と一緒に薄紫にしようかって話してるのよ」
「北澤さんも似合いそうです」
「ありがとう」
先生が鞄から小さな袋を出し、中から取り出した飴をくれた。
「教え子が亡くなるショックは大きいのよ。お医者さんは、亡くなる瞬間に立ち会うことも多いだろうから、私が感じるショックとはまた別なんだろうけど。でも、やっぱりショックはショックなのよ」
「そうですね」
薬指にした指輪に気付いた佐田先生が、私の左手を持ち上げた。
「尾木さんとの生活は、どう?」
「だいぶ慣れました」
「家事とか大変なんじゃない?」
「どうしてもの時は、じゃんけんしてます」
「懐かしいわね」
佐田先生が笑った。
どんなことでも、じゃんけんで解決する自分たちの母校を思い出して、私も笑った。
「あなたの進路も、じゃんけんで決めたわよね」
「そうでしたね」
高校二年生の冬、佐田先生に進路相談にのってもらったことを思い出した。
当時、私の家は複雑な状況になっていた。
親に相談するのは難しく、担任の先生が苦手だった。
担任を差し置いて相談するのは大丈夫だろうかと思いつつ、佐田先生に声をかけると、先生はわざわざ日曜の午後に時間を作ってくれた。
学校からも私の家からも離れた駅で待ち合わせ、喫茶店に入った。
「理工学部と医学部で迷っています」
私がそう言うと、先生はコーヒーを飲んでから口を開いた。
「それぞれの志望理由は?」
「理工学部はロボットに興味があるからで、医学部は子供の頃からの希望だからです」
「両方同時には行けないから、どちらかを選ばないといけないけど、医学部への志望理由はお姉さんの影響?」
「そうですね。なんていうか、私が医者を目指さなかったら、姉との繋がりが消えるような気がします。私が姉の妹として生まれた意味とか、姉が私の姉として生まれた意味とか、そういうものが消えるんじゃないかって」
「なるほどね」
私の答えを、先生は否定も肯定もしなかった。
「どっちを選んでもいいのなら、じゃんけんで決める?」
「え? じゃんけんですか?」
「そう。有田さんの成績なら、どちらの学部も大丈夫だと思うよ。でも、どちらかを選ばないといけないし、有田さん自身がどちらになっても文句なし、ってことなら、じゃんけんが一番かなって思うわ」
「ふふふ」
私は思わず笑ってしまった。
「どうしたの?」
「佐田先生らしいなと思って」
「まあ、相談受けておいて、じゃんけんで決めろは無いわよね」
「本当に」
私は少し冷めたコーヒーを飲んで前を向いた。
「もしかしたら、今日決めた進路に迷う時が来るかもしれません。でも、まずは決まった方を全力で目指してみます」
「じゃあ、やりますか」
「はい。私が勝ったら理工学部で、先生が勝ったら医学部でお願いします」
「では、いきます」
私たちはテーブルの上に同時に手を出した。
結果は先生の一発勝ちだった。
「じゃあ、あとは頑張るだけね」
「はい。すっきりしました」
「それはよかった」
佐田先生はテーブル越しに手を伸ばし、私の頭を撫でながら微笑んだ。
これから先、恩師は誰かと訊かれたら、佐田先生と答えようと思いながら、私は涙をこらえた。
医学部には無事、現役合格した。
高校卒業後、両親は離婚し、それぞれの家庭を持った。
私が医師免許を取る頃、母は相手の連れ子だった男の子を二人成人させ、父は女の子を一人授かっていた。
そして私は、就職した病院で尾木に出会った。
「自分だけが幸せになっていいのかな、って考えてしまうことがあります」
私は佐田先生に伝えた。
「というと?」
「そんなことを考えても仕方がないのに、そこに意識が囚われてしまうというか」
「有田さんは、お姉さんが幸せではなかったと思ってるの?」
「いえ。姉に幸せな時間があったことは知ってるんです。私、姉が病室でキスしているところを見てしまったことがあって。だから、姉にそういう相手がいたことは知ってるんです」
「有田さんは、お姉さんの相手を見たのね?」
「はい。一度見ただけで名前も知らないですけど」
病室で姉とキスしていたのは、姉と年の近い女の子だった。
姉の頬に添えた細長い指が印象的で、指だけでなく、腕も長い、すらりとした人だった。
「有田さんのお姉さんと付き合っていたのはね、私の姪なのよ」
「え?」
「二人は同級生だった。私は親戚だから姪の担任はしなかったけど、お姉さんの担任だったの。それで、何度か相談も受けた。二人とも真剣だった」
佐田先生が私を気にかけ続けてくれた理由が分かった気がした。
姉は、先生にとってただの教え子ではなかったのだ。
「お姉さんが亡くなって、姪は自暴自棄になってね。私は親代わりの立場でもあったから面倒をみた時期もあったんだけど、もう本当にひどくてね……。その後、行方不明になって、連絡が取れた時には父親の分からない子を産んでて、しかも、その子に、たとえ親だとしても、やってはいけないことを繰り返していたの」
「やってはいけないこと、ですか」
「そう。決して許されることではないって、私も思ってるくらいのことだった」
「そうなんですか」
私は、先生との会話が予想もつかない流れになっていることを感じた。
「姪は心を病んでしまっていたから、すぐ入院させて、姪が産んだ娘は私が引き取って育てたのよ。その子は母親を理解しようと必死だったけれど、彼女には忘れるという選択をして欲しかったから、母親の入院先も現状も知らせてないわ」
「あの、やってはいけないことって、具体的に訊いてもいいですか?」
「虐待よ。手をあげる暴力もネグレクトもやっていたの」
私は返事に詰まった。
姉の恋人が、そんな人生を送っていたなんて想像も出来なかった。
「あの、娘さんは元気なんですか?」
「元気。写真、あるわよ」
「見たいです」
佐田先生が鞄から手帳を取り出し、挟んでいた写真を見せてくれた。
写真の中には、先生の隣に立って照れくさそうに笑う女性がいた。
「あっ」
私は息が止まるかと思った。
「どうしたの?」
「あ、いえ。何でも」
先生の隣で笑う女性は、コールガールのマドだった。
*第五話に続く*
<2016.12.19追記>
Kindleで発売する関係で5話以降を非公開にしております。
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