ほかの国の追随を許さないほど多くのノーベル賞受賞者を輩出するなど、世界の科学をリードしてきたアメリカで、何が起きているのか。現場を取材すると、アメリカの科学の危機ともいえる状況が見えてきました。(アメリカ総局・籔内潤也)
科学者の懸念
「トランプ大統領は科学に対するリスペクトがない」
「科学がこんなに攻撃されたことはない」
「科学者が引き下がってしまえば、この国にとって取り返しのつかないダメージになる」
ことし2月、学問の都、ボストンで開かれた世界最大の学術団体、AAAS=アメリカ科学振興協会の集会で聞かれた言葉です。
科学者たちからは、トランプ大統領の科学を軽視する姿勢を批判する声が相次ぎました。
科学者たちの念頭にあるのが、地球温暖化に対するトランプ大統領の姿勢です。
トランプ大統領は、選挙期間中から「地球温暖化はでっちあげだ」などと主張し、地球温暖化に懐疑的な考えを示してきました。
地球温暖化は、長年にわたる科学的な観測や研究に基づいて、「科学的に受け入れられた事実」として、世界中で対策が進められていますが、それを根拠もなく否定していることなどに科学者から懸念の声が上がったのです。
衝撃の予算方針
集会で示された科学者の不安は的中しました。
ことし3月半ば、トランプ政権は、10月から始まる2018年度予算の方針を発表しました。
その中で、国防費をおよそ5兆8000億円増やしておよそ72兆円にする一方、地球温暖化対策を担ってきたEPA=環境保護局の予算を、30%以上にあたる3000億円近く削減。さらに、医学研究の司令塔、NIH=国立衛生研究所の予算も20%近くにあたるおよそ6500億円、削減する方針が示され、科学者の間で衝撃が走りました。
NIH予算カットで研究室閉鎖のおそれも
このうち、NIHの予算削減の方針は、医学研究の現場を直撃し始めています。
新薬のもととなる研究や生命の仕組みの解明など、医療や生命科学を支える基礎研究は、比較的、長期にわたって十分な研究費がないと成果が得られません。
このため、NIHが大学や研究機関の研究者に公的な補助金を出して研究環境を整えることで、アメリカは医学研究のトップランナーとして君臨し続けてました。
NIHの資金を受けた研究でノーベル賞を受賞した科学者は100人以上に上り、多くの新薬や新しい治療法が生み出されてきたのです。
テキサス大学サウスウェスタン校のジョエル・グッドマン教授は、およそ30年間にわたってNIHの補助金を受け、酵母を使って細胞に脂肪が蓄積される仕組みや脂肪の役割を解析する基礎研究を続けてきました。
この分野ではアメリカでもトップクラスの研究者で、研究成果は、将来的には糖尿病などの治療にも生かせると期待されています。
現在受けているNIHの補助金は年間およそ3000万円。この資金を中心に、5人の研究員を抱える研究室を運営してきましたが、補助金は今年度で期限を迎えます。
NIHの補助金は、多くの場合、1つのプロジェクトに対して支給期間が2年から5年と複数年にわたります。
現在進行中のプロジェクトに対しては2018年度以降も補助金が支給される見通しですが、NIHの予算が大幅に削減されると、新規のプロジェクトに充てる補助金が激減してしまうと懸念されています。
グッドマン教授は、新規の補助金を得られるめどがまだ立っておらず、最悪の場合、研究室が閉鎖に追い込まれるおそれもあると考えています。
研究室のメンバーを家族のように考え、協力して成果をあげてきたというグッドマン教授は「私が引退するのはしかたがないかもしれないが、若い研究者たちは引退できないし、まだ多くのエネルギーと想像力が残っている。心配で心配でたまらない」と話しています。
そのうえで、「アメリカは何十年も科学界をリードしてきたが、NIHの補助金が削減されたら危うくなる。それがしばらく続くと、大きなダメージになる」と強い危機感を示していました。
温暖化研究の危機で影響も
予算削減に対する懸念は、地球温暖化など、環境に関する研究の分野でも広がっています。
南部ノースカロライナ州。大西洋に面したこの州の海岸では、過去30年間で10センチ前後、水位が上昇し、温暖化の影響によるものと見られています。
州南部の沿岸にある住宅は、巨大な土のうで海岸の浸食を防いでいますが、地域ではハリケーンが来るたびに浸水が相次ぎ、被害は年々深刻化。小さな嵐でも洪水が起きるようになったといいます。
地域にいる科学者たちは、NOAA=海洋大気局の補助金を受けて、およそ50年にわたり、海岸の浸食やハリケーンの被害調査、生態系の変化の観察など、温暖化や海の環境に関する研究を進めてきました。
また、観測結果をもとに、具体的に洪水被害を避ける方法を住民に伝える活動も行っています。
ところが、トランプ政権は、こうした活動を支えるNOAAの予算もおよそ280億円、削減する方針を打ち出し、地域の科学者たちは、継続性が重要な温暖化や環境に関する研究が大きく後退しかねないと危惧しています。
海岸の地形や生態の変化を調べてきた地質学者、トレイシー・スクラブルさんは「地球温暖化が起きていることは、科学者の間でもはや議論はない。海水位の上昇で被害は大きくなり、住民の命が危険にさらされる。現場で何が起きているのか、注視し続けるのが科学者の仕事だが、予算が削減されれば活動は非常に厳しくなる」と懸念を示していました。
データが消される懸念、対抗策も
地球温暖化や環境保護に対するトランプ政権の姿勢は、政府機関のウェブサイトに如実に示されています。
例えば、環境保護局のウェブサイトは、オバマ前政権のときには温暖化対策についての記述やリンクが数多く並んでいましたが、現在は、温暖化対策についてまとめたページ自体が見つけられなくなっていました。
ウェブサイトには「トランプ大統領の新たな指示を受け、変更された」と記されています。
このままでは、政府機関が集め、インターネット上で公開している地球温暖化や環境に関するデータまでも削除されてしまうのではないか。こうした懸念から、科学史が専門の科学者の呼びかけで、今、全米各地で手分けして、政府機関が所有するデータを別のデータベースに保存しようという取り組みが始まっています。
まだ、実際にデータが削除されたケースは確認されていませんが、私たちが取材したデータを保存するイベントに参加していた生態学者は「天気や気候、衛星写真など、環境に関するデータがなくなると、研究ができなくなる」と危惧していました。
イベントの主催者は「アメリカの各地で取り組みが行われていることに大きな意味がある。地道に続ければデータを守ることができるはずだ」と話していました。
直接行動に出る科学者たち
先月22日のアース・デー。トランプ政権に抗議して予算削減の撤回を訴えるとともに科学に対する理解を広く呼びかけようと、全米各地で「マーチ・フォー・サイエンス」=「科学のための行進」と題して集会やデモが行われました。
このうち、テキサス州ダラスで行われたデモには、テキサス大学サウスウェスタン校のグッドマン教授の姿もありました。
グッドマン教授は「科学者は、これまでのように研究室に閉じこもるだけでなく、どんな方法でもいいから、科学的な視点で考えることの大切さを伝えていかないといけない」と話し、これからは、もっと一般の人たちに歩み寄り、科学の意義を知ってもらうことが大切だと強調していました。
アメリカの科学研究 注視する必要
アメリカは、10年先、20年先を見据えて科学研究への大胆な投資を行い、世界のトップを走り続けることで、国籍を問わず、世界中から意欲のある有望な科学者を引きつけ、それによって、さらに科学研究を発展させるという好循環を生み出してきました。
ことし9月末までの2017年度予算では、科学研究の予算はおおむね確保されましたが、トランプ政権になって初めての本格的な予算、2018年度予算の審議がこれから始まります。
新薬や新しい治療法の開発、温暖化対策に限らず、科学研究に対するアメリカの貢献は大きく、それが停滞すると影響は世界に及びます。
科学研究を支える基盤が大きく損なわれかねない事態になっている今、ひと事ではないと捉え、注視する必要があると感じています。
- アメリカ総局
- 籔内潤也 記者