読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

スキ、はじめました。

好きなことして生きていこう!と思い脱サラして陶芸始めました。陶器/写真/文章を書くこと/読書が好き。詳しいプロフィールはこちら→http://www.yukigao.com/entry/2016/09/13/112235

[SPONSORED LINK]

MENU

本当の応援は「応援してます」と言うだけじゃ足りないんだと気付いた

f:id:yukigao:20170508220154j:plain

こんにちは、ユキガオ(@yukigao_22)です。

誰かを応援するということは、「応援する気持ちを伝えれば十分」ということではない

相手の活動を支えることが、本当の意味での「応援」なんじゃないか。

普段応援してもらってばかりの私ですが、誰かを応援するときにそう感じます。

 

「お金を払う」以外の応援がある

以前、こんな記事を書きました。

www.yukigao.com

ネットショップを始めたばかりの頃、作品を買ってもらって感じたことです。

この記事に書いた「応援の形」とは、

  1. 購入
  2. ツイッターでの拡散
  3. ブログでの紹介

という3つ。

実際にサービスを利用して、それを拡散することで更にお客さんを増やしてくれる…これ以上の応援はありません。

だけど最近は、購入以前の応援の形があるなと感じています。

つまり、お金を払う以外の方法で応援するということです。

例えば

  • 「応援してるよ」と声をかける
  • 頑張ってる姿を見に行く
  • 困ってる時に手伝う

といった応援の仕方。

こういった応援を受けたことがある人は、多いんじゃないでしょうか?

部活の試合を思い出してみると、色んな応援を受けていたことが分かります。

  1. 「頑張ってね!」と声をかけてもらう
  2. 必勝祈願のお守りを作ってもらう
  3. 実際に試合を見に来てもらう
  4. 試合中にアドバイスをもらう

これらはどれも、お金を出してくれるという応援の形ではない。

だけどどれも、応援の気持ちを伝えてくれるものでした。

応援してもらえるって、すごく嬉しいですよね。

「よし、頑張ろう」って思えるし、味方でいてもらうことがパワーになる。

そこには、お金を払ってもらってるかどうかなんて関係ないんです。

応援してくれる人がいる、という事実だけでありがたいんです。

 

言葉だけじゃ足りないと感じた

最近は私の活動を知って「応援してます」と言ってもらえることが増えました。

嬉しいしありがたいな、と常々感じます。

だけどそんな私自身が

「応援してます」

という言葉を発して後悔した瞬間があるんです。

それが、知り合いの陶芸家さんの個展を見に行った時です。

 

個展にはお金がかかる

あらゆる作家さんの個展には、お金がかかります。

制作費、場所代は最低でも必要で、場合によっては仲介料なんかも発生します。

つまり個展を開く以上、ある程度売れなければ困るわけです。

そして私が個展を見に行った陶芸家の方も、例外ではありません。

「個展を開けばある程度売れる」という見込みがあるからこそ、個展が開けるわけです。

それだけ実力がある、とも言えます。

 

言葉が上滑りしていった

個展では、展示された作品を見て作家さん本人と色々お話をしました。

色んな思いを抱え、試行錯誤しながら制作に取り組む日々。

そんな話を聞いて素敵だなと思ったし、心底「応援したいな」と感じたんですよね。

その気持ちを伝えたくて、帰り際にふと

「応援してます」

と言った私。

その瞬間、言葉が宙に浮いたのを感じました。

さっきまで夢の中にいたのに、一気に現実に引き戻されたような感覚。

その一瞬だけスローモーション再生されて、頭から血の気が引いていく…

その時気付いたんです。

私は全然応援できてないんだ、と。

 

見に行っただけの自分を悔やんだ

本当に応援しているのなら、その方の作品を買えばよかった。

実際、家に連れて帰りたいくらい素敵な作品ばかりだったんだから。

そして、買えない金額ではなかったんだから。

なのに私は買わなかった。

「応援してます」と口にした瞬間、その事実が自分に突き刺さってきた。

その人は、個展を見にきてもらっただけで十分と言ってくれるかもしれない。

だけど私は後悔した。

見に行っただけで、実際には何も応援できなかったことを。

それなのに「応援してる」と軽々しく口にしてしまったことを。

 

「お金を払う」応援の力強さ 

これは数ヶ月前の出来事ですが、未だに小さな棘として胸に刺さったままです。

なんであの時、私は買わなかったんだろう…

なんで軽々しく「応援してます」なんて言ったんだろう…

自分自身が応援してもらって商品を買ってもらっているのに、なぜ逆の立場になれなかったんだろう…

そんな後悔が、ずっと頭の中を渦巻いています。

この後悔は、クラウドファンディングで支援してもらって一層強くなりました。

多くの方が、私たちの実現させたいことを「資金援助」という形で応援してくれた

その人が必死に稼いだお金を、私たちのやりたいことのために使ってくれた。

「応援してます」とは口に出さなくても、それだけで十分すぎるほどの応援の気持ちが伝わってきた。

とにかくありがたかったんです。

「ありがとうございます」って何度言っても足りないくらいに。

この応援があったからこそ、私たちのやりたいことは実現しようとしています。

 

応援とは、必要なものを与えること

もしこれが「応援してます」の言葉だけだったら、実現するのはもっと先だったと思うんです。

現実問題として、お金を工面しなければならなかったから。

そして考えたんです。

本当の意味で「応援する」というのは、「何かを実現するのに必要なものを与えること」だなって。

例えばこれが部活の例なら、試合を見に来て応援してもらうことが力になる。

何かを決断しなければならない場面なら、「何があっても味方だから」と言ってもらえることが力になる。

そう。必ずしも、お金を出すことが「応援」ではない

相手のこれからを考え、必要としているものを与えて初めて「応援している」って言えるんじゃないかな。

 

応援したい人を応援できる自分へ

私自身も、クラウドファンディングで支援してもらうことが必要な場面と、「頑張って」って声をかけてもらうことが必要な場面がある。

同じように、私が応援したい誰かにも、場面に応じた応援の仕方があるはずなんです。

「応援してます」の言葉が意味をなす場合も、それだけじゃ足りない場合も。

自分が応援してもらって初めて気付くなんて情けないけど、もう二度と後悔はしたくない。

だから応援したい人がいたら、全力でその人のことを考えて行動できる自分でいたい

いつか後悔しないためにも、いつも自分にできる最善を尽くしたい。

そう思っています。

もしあなたにも応援したい人がいたら、相手が何を必要としているのか考えてみてください。

きっと、後悔しない応援ができるはずです。

 

ユキガオ