京都らしさが出てない!という映画を最近立て続けに観て、正直不満である。
僕は京都人ではないが、京都に12年以上住んで、それなりに風土に慣れ親しんできた。

しかし、「京都らしさ」とはなんだろう?
しばし考える。

方言がまず引っかかるのは間違いない。
『舞妓はレディ』で何が混乱するかって、主役の春子のズーズー弁&薩摩弁というハイブリッド訛りを京都弁に矯正するというのが大きなテーマなのに、周りの役者が碌に京都弁を喋れてないのだ(もちろん岸部一徳や田畑智子や富司純子や、ネイティブも揃えているのだが・・・)。
もう生理的に混乱して、まともに観られなかった。

『舞妓はレディ』を更に吊し上げてしまうと、美術・照明がなってない。
舞台は全部オープンセットを作ったらしい、それはいい、そこに多少のファンタジー要素が入ってもいい。

しかし花街の雰囲気を微塵も出せていない。これって京都じゃなくて吉原なんじゃないの?吉原ほとんど知らないけど。

深作欣二の『おもちゃ』という、『バトル・ロワイアル』の前に撮った埋もれた名作があるのだが、さすが東映太秦、お茶屋の風情をバッチリ撮れている(ちなみにこちらにも富司純子は出ている)。
別に溝口健二の『祇園囃子』『祇園の姉妹』のように撮れとまでは言わない。でも、研究は必要なのだ。


京都を撮る三大要素、とでも言うべきか、実は簡単である。
・小路を広くしない
・照明は部分的に、暗めに
・建物は高さを感じさせないように

京都を知ってる人なら当たり前のことなのだが、これがなかなかできない。
これから京都を撮る人は参考にして欲しい(偉そうだな!)。


こんなことを今書くのも、実は京都を撮りたい欲求が日増しに高まっているのであります。
今はいわきに集中してるけど、その後はやるかもね。