元記事作者様:
Danas je lep dan.
小林よしのりがアイヌについて身勝手な暴論をさんざ吐いてきた事は既に述べたが,まあ,『わしズム』を見たらアホな記述が出るわ出るわ。
わしズム 2008年 11/29号 [雑誌]
出版社/メーカー: 小学館
発売日: 2008/10/29
メディア: 雑誌
時間がないからちょっとだけdisる。
今さら熊送りの儀式や女性の口の周囲のイレズミを復活させられるわけもない。
時代の変化に耐えられる文化は放っておいても残るし因習は消えていくのが自然である。(p.49)
このコマには,仔熊に向けて矢を放つアイヌの男たちと,口の周りに入れ墨をしたアイヌの女たちの絵が描かれている。
え?
熊送りを「因習」「消え去るべきもの」扱いですか? 何だそれ。
んなもんは和人の価値観だろ。
イオマンテ - Wikipedia冬の終わりに、まだ穴で冬眠しているヒグマを狩る猟を行うが、そこに冬ごもりの間に生まれた小熊がいた場合、母熊は殺すが(その際前述のカムイ・ホプニレを行う)、小熊は集落に連れ帰って育てる。最初は、人間の子供と同じように家の中で育て、赤ん坊と同様に母乳をやることもあったという。大きくなってくると屋外の丸太で組んだ檻に移す。やはり上等の食事を与える。1年か2年育てた後に、集落をあげての盛大な送り儀礼を行ってヒグマを屠殺、解体してその肉を人々にふるまう。
これは宗教的な解釈では、ヒグマの姿を借りて人間の世界にやってきたカムイを一、二年間大切にもてなした後、見送りの宴を行って神々の世界にお帰り頂くものと解釈される。ヒグマを屠殺して得られた肉や毛皮は、もてなしの礼としてカムイが置いて行った置き土産であり、皆でありがたく頂くというわけである。
アイヌ語をフィールドワークする―ことばを訪ねて
作者: 中川裕
出版社/メーカー: 大修館書店
発売日: 1995/02
メディア: ペーパーバック
つまり,生まれたばかりの仔グマというのは,故郷であるカムイモシリへの長旅に堪えられるだけの力がまだついていない。そこで,人間がその仔グマをいわば里子として育て,ひとりで親元へ帰れるようになったところで,おみやげをたくさんもたせて,いわば故郷へ錦を飾らせて帰してあげるという発想なのである。仔グマは愛玩用のペットなのではなく,お客さんからあずかっている子供なのだ。だから,食事のときでもまず真っ先に一番いいところを仔グマのためによそり,無事食べ終わったのを見届けてから家族が食事するといった具合で,下にもおかぬもてなしをするわけだ。(中川前掲書,p.112)
こうして,アイヌモシリ「人間の世界」,カムイモシリ「カムイの世界」,ポクナモシリ「あの世」という三つの世界は,カムイの人間界への来訪,(本書ではふれていないが)カムイと人間の結婚,死,誕生,そしてさまざまな形態の「送り」によって,相互につなげられ,交流が行われている。人間の生活している世界はその一部分でしかなく,そしてそこにおいても,人間の営みは他のあらゆるものとの関わりの上で成立しているというのが,アイヌの基本的な世界観なのである。(中川前掲書,p.117)
ご覧のように,熊送りは
単に現代に生きるわれわれの目から見て残酷に見えるというだけの事であって,アイヌにとってそれは因習でも何でもなく,
むしろやらない事が熊への失礼にあたるような儀礼なのである。
それをあっさりと否定しながら,
一方で捕鯨や靖国神社を擁護する小林って何なの? バカ? 差別者?
現代の目線でアイヌ文化を「因習」扱いしていいと言うのなら,欧米諸国に倣って捕鯨や死刑に反対してくれよ*1。*1:捕鯨や死刑に反対する人が上述の(愚劣な)主張をするのであれば,その正しさはともかくとして,一応筋は通っている。だが小林は捕鯨に賛成しているのだ! これをアイヌに対する上から目線での差別と言わずして何と言おう。あと,熊送りは既に何度か行われている。
ttp://www.ainu-museum.or.jp/iyomante/index.html
この程度の事も知らずに「復活させられるわけもない」なんていう戯言を吐く小林の姿の,なんと醜悪な事か。それは二重の意味においてである。彼は
現在行われているアイヌ文化の伝承について無知で,その上に
他民族の文化を見下すオリエンタリズムに染まっているのである。「差別はいけない」と言いながら,
その口で,アイヌの文化を貶めて恥じないのだ。
アイヌに対する偏見を増幅させる役割を担っておきながら,何が「差別はいけない」だ。
恥を知れ,小林よしのり。
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