私は「成果を出す」とか「結果を出す」って言葉が好きじゃない。
そんなのどうでもいいじゃんと思うんだけど、あなたはどう思う?
「成果がどうでもいいなんてこと、あるわけないだろ。やっぱりオカマは非常識だな」と思うかな😅
ずいぶんと前の記事だけれども、私の印象に残った記事がある。
この記事にもちょっと書いてるけど、「成果」っていうのは、男性にとってかなりやっかいな呪い💀だと思う。
実は厄介な「成果」
話は跳ぶけど、人間の持つバイアスの一つに、自己奉仕バイアスってのがある。
これは、自分がなにかの成果を出したら、運や環境といった外部要因ではなく、自分の資質にその要因を求める傾向のこと。
つまり「こんな成果を出した俺すごい❗」と思うことね。
一方、他人が成果を出せなかったら、その本人の資質とみなす傾向もある。これもやはり自己奉仕バイアス。
つまり「あいつ、成果出せなかったんだってな。能無しだからだな」とみなすことね。
これは人間の一般的な傾向なんだけど、日本の男性は仕事で承認欲求を満たす傾向が強いから、「仕事における成果」には、特に敏感。
あっ❗ごめんごめん💦男性👨だけじゃないね。
会社はいわゆる「男社会」だから、その中で働いている女性👩も、仕事で成果を出して認められたいという気持ちは、きっとあると思う。
私たちは、
「仕事で成果を出したら優秀と認めてもらえる」
「仕事で成果を出さなきゃ能無しの烙印を押される」
という圧力の中を生きている、と言えるね🤔
成果が出にくい時代
高度成長期やバブル期のような右肩上がりの時代は、割りと簡単に成果が出てたんだろうけど、今はそんな時代じゃない。
仕事で承認欲求を満たす私たちにとって、今の世の中はかなり苦しいシチュエーション。
成果を出して認められたいけれども、成果は簡単に出ないもの。
このままじゃ無能の烙印を押されちゃう❗
どうしよう……どうしよう……と思い、追い詰められていく。
ある人は、自分を大きく見せようとするかもしれない。
ある人は、権威に自分を投影し、同一化するかもしれない。
またある人は、不安にさいなまれて、うつになるかもしれない。
また別の人は、無能であることを認めたくないばかりに、自分が影響力を及ぼせる範囲に、実力行使にでるかもしれない。
家庭においては、DVとして。
職場においては、パワハラとして。
「成果」の呪縛が男を苦しめて、その結果、女性も社会も苦しめられる。
いっそのこと、封建時代みたいに身分や職業が固定されていて「この仕事以外の仕事は選べない」けれども「この仕事で成果が出せなくても、固定された身分や職業は剥奪されない」という制度のほうが、男も社会も幸せに生きられるんじゃないかなあと思うこともある。
成果や男らしさって、何だろうね😅
成果は「分けて考える」
成果を求めずに、今ここを生きていくことができればいいのだろうけれども、そういう生き方も簡単にできることではないよね。
ただし、いろいろと分けて考えることはできると思う。
自分がコントロールできる成果と、そうでない成果を分ける
例えば、会社に課された売上目標は、コントロールできない目標。
お客さんがその商品(サービス)を買うかどうかは、お客さん次第。または、その時々の流行や景気にも左右されるし、小売店ならば天候だって左右される。
これらを無視して、自分の力量だけで達成できる目標ではない。
そういう目標に、自分が左右されてはいけない。
その代わり、ちゃんとお客さんに説明ができたか、お客さんの話をきけたかということを目標にする。これならば、自分でコントロールできる。
ブログも同じ。
PVや収入は、直接にはコントロールできない成果。それには左右されない自分でい続ける。
自分がコントロールできるのは、記事を書き続けることや、書き方・見せ方を工夫することだけ。
そして、成果と自分の価値を分けて考える
成果が出ないと感じたら、自分が直接コントロールできる手段や方法を変えてみればいいだけ。
成果がでないと恥ずかしい、情けない、自分は無価値だという思いに、心を奪われない。
えっ❓手段や方法をどう変えればいいかわからないって❓
そんなの、わかるまで待てばいいじゃない。
成果なんてどのみち、すぐに出るものじゃないでしょ。
成果がでないと無能だと思われるって❓
いいじゃない、思わせておけば。
そもそも、無能と有能の境界線ってどこにあるの❓
仮に境界線があったとして、それは万人が納得できる客観的なものなの❓
成果が出ようが出まいが、あなた自身の価値には寸分の変化もないんだよ。
この考え方だけで、私はずいぶんと生きるのが楽になったよ🎵
しかし、男らしさって面倒くさいよね😅
ねえ、男らしさから降りちゃおうよ❗
女装でね❗❤🤗