元中小商社の営業が語る具体的な仕事内容・給料・実態とは?

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私が以前勤めていた商社は電子部品を扱う専門商社で当時の資本金は約4億円・従業員数は約300人・非上場の会社です。

 

コネクタや基盤・抵抗などの電子部品からヒンジや外観部品など、家電や社債部品など電気・電子関係の部品はなんでも扱う商社なので仕入れ先やユーザーも自ずとそういった会社になります。

 

今回はそんな中小の商社に勤めていた経験を元に中小商社の営業が語る具体的な仕事内容・給料・実態についてまとめました。私が商社で働いていたのは2008年~2011年となるので当時の記憶や感じていたことをまとめました。

 

結論としては、私は「今後国内の物作りはどんどん減っていき、商社の仕事は減っていくだろう」と判断して辞めたので辞めて良かったと思っています。なので内容は一部当時の愚痴のような内容が含まれますがご了承下さい。

 

中小規模の商社での仕事(営業)内容

私は営業職だったので主に顧客の元に足を運ぶのが仕事でした。ただ、今思うと仕事内容としてはとても楽だったなと思います。簡潔に箇条書きでまとめますと以下の様になります。

 

  1. 新規の飛び込み営業は無し(既存ユーザーのみ)
  2. 既に顧客とも長い付き合いがあるので顧客側から声をかけられる
  3. 技術と仕様を詰めてからバイヤーに話しがいくので既に自社からの調達が決まっている
  4. 外観部品に関しては通常3~4回サンプルを収めて決まる
  5. 外観部品はトラブルばっかり
  6. 自社のずさんな在庫管理体制
  7. 顧客バイヤーからはコストダウンの話しばかり
  8. 社内会議の為の資料作り

 

1、基本的に私が勤めていた会社では新規顧客への飛び込み営業はありませんでした。これは当時取引をしていた顧客が誰でも知っているような大手家電メーカーだったので、その「顧客の売り上げ維持+顧客の新規案件の受注が絶対」だった為です。

 

なので、基本的には技術者やバイヤーの元に足を運んで新規案件の話しを聞き出し、他社よりも先に新規案件の試作を始めることで、受注につなげていました。

 

2、私が入るずっと前から顧客と自社との関係があった為、顧客の中でも「この部品はA社、このパーツはB社」みたいな流れがあり、基本的には放って置いても技術者から「試作頼みたいからちょっと来て」って感じで連絡を貰えました。

 

量産実績もあったので技術者としても「あまりメーカーを変えたくない」というのがあったんだと思います。他社がバイヤーに低価格の部品をPRして、バイヤーが「値段が安いからこれを使いたい」と言っても技術がゼロから評価をしなくてはいけないので試作~量産までのスケジュールに間に合わせるのが難しいんですよね。

 

この辺は海外メーカーと違って信頼性の試験とかを徹底的にやるので、製品としての完成度が高く「メイドインジャパン」が海外から評価されることに納得した覚えがあります。ということで、よほどさぼったり無視しない限り普通にやっていれば技術さんから声をかけて貰えました。

 

3、少し2とかぶりますが既に技術と試作を重ねてきてからバイヤーが自社を含めて相見積もりを出すので余程吹っ掛けない限り自社の出した見積もりが採用されます。バイヤーとしてはこの流れが面白くない(自分が知っている安い部品を使いたいけどそれができない)ようで、何度か技術ともめることもあったようです。

 

ただ、技術は技術で量産までの流れを計算して試作を行うのでバイヤーが相見積もり出して「安いからこれ使いたい」なんて行っても、もう量産までの時間もなくて新たな部品を評価なんてしていられないんですね、ということで基本的に技術を抑えておけば量産も受注出来ました。

 

4、外観部品もやってたので試作段階で3~4回サンプルを提出して決まりましたね。最終的には色や傷の限度見本をデザインや量産工場と取り交わして量産がスタートします。

 

この時は技術ではなく色はデザイン・傷はことの商談になります。もしサンプル提出でもデザインが狙った色が出なければ仕入れ先に行ってサンプルを作って貰うということもしました。(通常サンプルを作るのに輸送も入れて3日くらいかかるから)

 

5、コネクタや電子部品は良いんですが外観部品はトラブルばっかりです。もちろん使われる場所にもよりますけどね、本当にマジマジと見なきゃ分からないような傷や汚れで工場の人間から呼ばれます。

 

「不良が多すぎる。我々じゃ選別しきれないから直ぐに代品もって選別しに来い」ってね。ようは顧客の工場内で私達が行って選別が終わったものを生産ラインに投入するということです。

 

顧客の工場は地方にあることが多いので、地方まで新幹線で行って泊まりで選別なんてこともありました。もちろん移動費や宿泊費は会社の負担です。あまりに不良の数が多い時は他の営業所の若手を借りて選別作業を手伝って貰うこともありました。

 

6、営業所を兼ねた配送センターでもあって、営業職・事務職の他に近くの顧客に配送・荷造りと発送をする社員もいます。基本的に営業職は在庫品に触れることはありません。(顧客からサンプルが欲しいと言われてサンプルとして出庫処理することはありましたが)

 

とにかく在庫管理がずさんでしたね。別に配送や荷造りをしてくれる社員のせいだとは思いません。そもそも営業がサンプルの出荷処理を忘れればそのせいでもズレますし、メーカーから商品が入ってきた時に数量の受け入れ検査もやっていません。

 

昔から在庫がズレている商品もありますが、それらも含めて現在の営業担当者の責任になります。まぁどこの会社も同じでしょうけど、これは本当にモチベーションが下がりますね。在庫会議とか本当にくだらないと思っていました。

 

現物が無いのに帳簿上残っていて「どこにあるんだ⁉」「ズレてる分どうするんだ⁉」なんてことを毎月やる訳です。その度「前任からズレた状態で引き継いでいるので会社で処理用の費用を用意してくれなければどうしようもありませんよ?」と説明していました。

 

ズレている数が少ないものに関しては毎月少しずつサンプル処理をして数合わせをしたりもしていましたけどね。

 

7、全てのバイヤーがとは言いませんが、基本的にバイヤーの仕事は「どれだけ安く買いたたくか」です。なので営業としては出来ればあまり関わりたくない存在です。ただ、中には商社の立場になって考えてくれるバイヤーさんもいます。

 

大きく分けて2つのタイプですね、1つは「社内で発言力がある・昇進とかに興味がない」バイヤーさんは商社側にたって金型の処理やラストバイなど親身になって助けてくれました。退社してからもこういった方とは飲みに行ったりしています。(全然年上なんですが)

 

もう1つは「上司の言いなり・仕入れ先に対しては強気」なバイヤーです。正直言ってタチが悪いです。合えばコストダウンの話ししかしてきません。自分じゃコストダウンできないと判断すると上司を引っ提げてコストダウンの交渉にきます。

 

イケイケドンドンの時代なら良かったんですが、今は見積もり時の企画台数も平気で割れる時代です。企画が1万台だったのに売れないから3千台しか作ってないけどコストダウンとか平気で言ってきます。

 

その場合、商社は顧客と仕入れ先(メーカー)との板挟みになります。まぁもちろんこれが仕事ではあるんですが、自社も仕入れ先も受注する為に最初からけっこう薄利多売でやっているので正直コストダウンは厳しいんです。

 

そんなこんなもあって、大手の仕入れ先は「売り上げも少ないし、この顧客から手を引きたい」と言ってくることもしばしばあります。こーゆー時は本当に泥沼です。ただ、これをやりきると本当に嫌なバイヤーだった人もこちらを見直してくれるのでチャンスでもあるんですが、個人的にはもうやりたくないですね。笑

 

8、これも本当に無駄でしたね。社内会議の為の資料作りに無駄な時間を使っていました。「基本的に数字が分かれば良い」というのが私の認識だったので、顧客から貰った企画台数・量産時期・単価・利益率を書いただけの資料しか作りませんでした。

 

すると上司たちは私の数字だけの資料を見て「やる気を感じない」と言い、パワーポイントで少し動くアニメーションを取り入れた単価も利益率も入っていない謎な資料を褒めだすんですね。

 

最もくだらないと思ったのは「会議の為の会議」です。営業所長が本社に集まって会議をする為に、営業所単位で会議をしていました。その間は会議の進行を妨げるという理由で顧客からの電話を拒否してです。

中小規模の商社での営業は激務⁉

私が働いていた会社は正直かなり楽でした。前任が残した売り上げと顧客を維持しつつプラスαしていれば評価されていましたから。(その為に技術とは密にやり取りをしていましたが)

 

顧客の商談スペースにいると他の商社の方もいましたし、技術やバイヤーからよその商社の話しも聞いていましたが多分やっていることはそんなに変わらないと思います。但し、他社では当時私が担当していた以外の顧客も一人で何社も抱えているようでした。

 

なのでバイヤーからは「よそはフットワーク悪くてダメだよ、私さんとこは直ぐ来てくれるし助かるよ」と言っていたので、単純に1点集中だった自社が評価されていただけで、他の営業の方がよっぽど大変だったと思います。

 

「激務」ではありませんが、くだらない接待ゴルフなんかもありましたね。休みを返上して顧客とゴルフです。ただ、丁度私が商社で働いていた頃に「コンプライアンス」だなんだと始まり顧客との接待ゴルフは無くなりました。(顧客や仕入れ先側が受けてくれなくなった)

 

ただ、社内の接待ゴルフはありましたね。もちろん実費で、私も一度だけクラブを借りて行ったことがありますが、まともにホールに出たこともない私を含めてお金をかけてゲームをするんですよね。サラリーマンのゴルフなんてのは「紳士のスポーツ」とはかけ離れてますよ。

 

もちろん、純粋にゴルフを楽しんでいる人たちもいるかもしれませんが、以来私はゴルフをやっていませんし、今後もやろうと思いませんね。あ、接待といえば自社の役員が営業所にきた時も飲み会が強制でしたね。

 

この日は有無を言わさずノー残業デーです。笑 送別会とかは残業してる人もいるんですけどね、お偉いさんがくると強制参加でしたね。こういうくだらないところでどんどんとモチベーションを下げていましたね。

中小規模の商社の仕事で辛かったことは?

顧客と仕入れ先から「商社不要論」を語られたことですね。顧客にとっても仕入れ先にとっても「商社は余計なマージンを取っているだけ」という認識なんですよね。

 

「製品を作ってる訳でもない」・「品質を保証する訳でもない」なのになんで間に入ってマージン抜いてるの?ってのが両社の言い分です。うん、まぁごもっともなんですけどね…笑

 

ただ、商社は商社で顧客のトヨタの看板方式に合わせた小出しの出荷(在庫を抱える)であったり、顧客からしたら仕入れ先の口座を一つに絞れたりと、いろいろやってるんですよ。

 

仕入れ先からしても商社を挟むメリットはあって、基本的には商社が技術やバイヤーと密なやりとりをしているので新規案件の話しもいち早く伝えたりできます。ラストバイの交渉とか金型代の交渉とかですね。商社としては顧客と仕入れ先1社だけの取引じゃないのでバイヤーに貸しがあったりもするので交渉事がうまくいくこともけっこうあります。

 

まぁ顧客も仕入れ先も分かってはいるんだけど、愚痴りたくなって言っているという感じ。なので私もあまり気にしてはいませんでしたが、なんかちょっとショックというか面と向かって言われると悲しくなっちゃうんですよね。笑

中小規模の商社の営業職求人と離職率の実態

この記事を書くにあたって当時勤めていた会社の求人情報を見てみました。今でも春には20人程度の募集をしているようです。「だろうなぁ」という感じですね。

 

私が辞める時には既に同期の3分の1が辞めていましたし、辞めてから10年ほど経ちますが仲が良かった人間は皆辞めていきました。当時の上司や先輩社員から聞くと今では私と同期入社の内、3分の1が残っているかどうかというレベルのようです。

 

私は新卒で入ったんですが、20代が全然いなかったんですよね。同期と1年早く入社した人達くらいであとは皆30代でした。なんというか、若い人間の定着率が悪い会社だったんでしょうね。

 

逆に言うと、当時の役員や管理職はまぁ私から見ても「この人就業時間中何してるのかな?」って思っていましたからね。もちろん、役員でも全国を飛び回ってトラブルを処理しているような凄い人もいましたが、私が知る限りそんな人は2人くらいです。

 

後の管理職は本当に何やってるのか良く分からない、だけど高給取りでたまに首を突っ込んできたら偉そうなことだけ言っているという感じでした。そりゃあ若い人は辞めますよね。逆に適当にやっていて管理職にさえなれば後は定年まで安泰という意味でもあるんですけどね。

 

そんなこんなで、新卒の離職率は3年で30%以上、10年で60~70%以上と言ったところでしょう。但し中途の定職率は良かったですね。とりあえずそれなりにやっている人は上司にゴマ擦っておけば上にいけたので楽な会社だと思います。

 

逆に上司でもお構いなしにどんどん発言して、下からも信頼が厚い上司は一向に評価されていませんでした。そういった状態を見ているから若い人間のやる気がなくなるというのもあったんでしょう。

中小規模の商社で仕事がつまらないと思い始めた訳

いくつかありますが当時感じていたのは会社の体制として「年功序列」であった点だと思います。基本的に新規の営業をかけないのでダラダラと売り上げをプラスαしつつ上司にゴマを擦っていれば上には上がっていけました。

 

新しい仕事がしたくて今まであまり力を入れていなかった顧客を攻めてみて受注が取れそうになっても「あの顧客は生産が長くてラストバイとかで揉めるからやめよう」と上司に言われたりでここにいても得るものは無いなと思い始めました。

 

そして丁度その頃、私が担当していた顧客が次々と事業から撤退&海外生産にシフトしていきました。国内で仕様決定まで行って、生産は海外で行う為、売り上げは海外の現地法人の扱いになります。(今は国内と現法とで折半にしているそう)

 

そこで今後のものづくりは海外生産がさらに進むと考えました。(海外生産にシフトしたものは月に100個ほどの小ロット品でした。)今後はこの会社での仕事はどんどんと減っていくし居座ってプラスになることは無いと判断して退社することにしました。

中小規模の商社での仕事のやりがい・魅力とは?

「人とのつながり」これに尽きると思います。商社を辞めてから10年近く経ちますが、当時お世話になったバイヤーさんや仕入れ先の社長さん(今は引退してる)とは今でもお付き合いをさせて貰っています。

 

勿論仕事をしている間は厳しく言われることもありましたし、「なんでここまでしなきゃいけないんだ!」と思っていたこともあります。ただ、そういった方と大きな問題を一緒に解決したことで顧客・仕入れ先といった関係はありますが、ずっと距離が近くなりました。

 

今でも当時の話しをしながら飲みに連れていって頂いたりもしますし、今後もこういった関係を続けさせて欲しいと思っています。

 

後は、愚痴が多かったんですが私は直属の上司にはとても恵まれていました。仕事は凄くできるけどゴマ擦りが下手昇進できないタイプの人とばかり一緒に仕事をしていました。とても面倒見の良い方たちで、「人としての理想像」みたいなものを自分の中で作れたことだと思います。

 

中小規模の商社での年収・月収は?

最後になりますが、当時の年収・月収についてです。

 

  • 月収:額面238,000円
  • 年収:350万円
  • 家賃:68,000円(会社が7割負担)
  • 賞与:50万

 

月収から財形や確定拠出型年金などをやっていたので手取りは18万5千円程度でした。都内ではありましたが会社が家賃の7割を負担してくれていたので不自由なく生活できていました。

 

ボーナスは年2回で、初めてまともに出たのは辞める2011年の夏場ですね、それまでは経営状態が良くないということで20万円程度でした。記憶があいまいなんですが、退職金が50万円くらい出たと思います。

 

そんなに無理をすることもなく年間100万円くらいは貯金出来ました。(貯金を始めたのは最後の1年だけですが…)今思えば給与面や福利厚生に関しては良い会社だったと思います。ただ、やっぱりもう一度戻ってあの仕事をやりたいか?と聞かれれば答えはNOです。

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