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三跪九叩頭
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span style="font-size:x-small;">(画像はクリックすると、お借りした当該画像の元ページに飛ぶようにしています)支那の文化は、人を信用しないことで成り立っている文化であるといわれています。
支那の歴代王朝の多くは、鮮卑などの遊牧民王朝による、農耕民族支配でした。
要するにこれは、外国人による植民地支配のようなものです。
植民地支配というものは、現地人の人口を大幅に減少させますが、ですから支那でも王朝が交代する度に人口は常に3分の1以下に激減し、都度、地主などの地域の支配層も入れ替わっていた、というのが支那の歴史です。
同時に植民地支配というものは、現地人を人間としてさえもみなしません。
たとえば、つい最近まで支那にあった清王朝は、これはもともと満洲あたりを本拠地にしていた女真族による王朝ですが、その女真族が北京に進出して王朝を築いたのが清国です。
ですから清国の公用語は満州語(女真語)で、公用文字も満州文字であって、漢字ではありません。
紫禁城の中では満洲語しか話せませんでしたし、公文書もことごとく満州文字で書かれました。
ところがそれでは、漢字文化の漢人たちへの意思疎通ができません。
そこで科挙の試験が行われ、試験をパスした者が高官として満州語と漢語の通訳を行っています。
ちなみに紫禁城の中は、この試験にパスして高官として採用された者以外は、漢族は立ち入り禁止です。
ですから紫禁城に侵入した漢族は、見せしめのために街中で凌遅刑と呼ばれる、柱に縛り付けて生きたまま肉を削ぎ落とすという残虐な刑罰が行われました。
この刑は、上腕やふくらはぎ、太もも、両乳などから順次肉を削ぎ落とし、三日くらいかけて苦しませて殺すという残虐な刑罰ですが、苦しませて時間をかけて殺すから凌遅の刑です。
そんな残虐な刑罰が、つい近代まであたりまえのように行われていて、写真まで残っているのです。
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王朝がそのような外来王朝でしたから、当然に王朝は植民地支配下にある現地人を信用などしません。
というよりも、そもそも現地人を「人間」として理解していません。
現地人は、ただの生き物であり、人のカタチをしているだけの不衛生な「獣」という理解でしかなかったといえます。
社会の上層がこのような形をしていると、その影響は社会の隅々にまで浸透します。
ですから支那において、官は民を人としてみないというのが伝統です。
民が少しでも富を蓄えていたら、その富を横取りするのが官として当然のこととなります。
蜜蜂は、自分たちが生きるために蜂蜜を作りますが、人はこれを蜜蜂がかわいそうなどとはまったく思わずに彼らが作った蜂蜜を奪います。
日本人は、大きなマグロのお頭を見ると「おいしそう」と思いますが、豚や牛の頭が飾ってあるのを見ると、「気持ち悪い」とか「かわいそう」とは思っても、「おいしそう」とは思いません。
けれど、支那では女性や子供の頭が飾ってあれば、「おいしそう」と思われたという社会です。
16歳以下の子供や女性には魂がないとされたのが支那社会ですし、支配下にある弱者は人としてさえも認識されないというのが、支那社会であったからです。
そのような社会で生き残るためには、兎にも角にも、自分だけが生き残るために、生き馬の目を抜く強欲さが必要となります。
そしてそのためには、決して人を信用しないという文化が育ちます。
私たち日本人にとって、商業も工業も、およそビジネスは信用がなければ成り立たないものですが、支那においては違います。
信用しないことがビジネスの最大の要件です。
従って誰かに何かを任せるときには、相手に余程の弱味があるか、完全に自己の支配下に在る者でなければならず、このことは、周辺国への統治にも現れます。
信用しないことで成り立つ文化を持つ国では、周辺国との関係は、次の三つのうちのどれかとなります。
ひとつは、完全にその国を自国の支配下に起き、統治者も自国の王侯貴族を据えることです。
支那の中原にあった元国家は、この形で支那王朝に完全に取り込まれています。
二つ目は、その国の尊厳が利用できると見なされた場合で、清王朝にとってのチベットなどがこれにあたります。
チベットは経験な仏教国であり、その法主が清の皇帝に朝貢するということは、仏教徒が皇帝の支配下に置かれるということを意味します。ですからこれはむしろ利用できることですから、チベットは清にとっても聖地としておいたほうが、皇帝の権威のために役立つと考えられました。
三つ目は、自己の支配下に置くだけの値打ちのない国です。
人畜以下と看做された国であり、人を信用しない文化の元であっても、人としてさえ認識できない国がこれにあたります。要するに半島のことです。
もともと大昔に半島にあった高句麗は軍事強国で、このため相次ぐ戦乱のために隋は滅んでしまったし、唐は高句麗を滅ぼすために新羅を利用しましたが、結果としてあまりの人の悪さに新羅を放置する方向に政策を転換しています。
高麗の時代に、元は高麗を支配下に起きましたが、さんざん騙され続けた挙句、元の側が先に滅んでしまいました。
続く明は、高麗を滅ぼしますが、李氏朝鮮は裏切りに継ぐ裏切り国で、ついに内国化することを明さえもあきらめ、続く清も、李氏朝鮮を内国化せず、ついに属国として放置するという政策を取りました。
要するに半島に手を出すと、さんざん手こずらせられた挙句、最終的に何のメリットも生まないとされたわけです。
人を信用しないことをもってその基調文化とする国からさえも信用されない国というものが、どのようなものであったのかについては、1894年に朝鮮を訪問したイザベラ・バードが、その紀行文に書いています。
イザベラ・バードが半島を訪問したのは、李氏朝鮮末期の時代、世界史的には近代にあたる時代ですが、当時の半島の様子をバードは次のように書いています。
****
・朝鮮人には猜疑、狡猾、嘘を言う癖などの東洋的な
悪徳が見られ、人間同士の信頼は薄い。
女性は隔離され、ひどく劣悪な地位に置かれている。
・政府、法律、教育、礼儀作法、社会関係そして
道徳における中国の影響には卓越したものがある。
これら全ての面で朝鮮は、
強力な隣人の弱々しい反映に過ぎない。
・私は北京を見るまではソウルを
地球上でもっとも不潔な都市、
また紹興(中国浙江省北部の県)の悪臭に出会うまでは
もっとも悪臭のひどい都市と考えていた。
大都市、首都にしては、そのみすぼらしさは
名状できない程ひどいものである。
・礼儀作法のために、二階家の建造が禁じられている。
その結果、25万人と見積もられている人びとが“地べた、
主として迷路のような路地で暮らしている。
その路地の多くは、荷を積んだ二頭の雄牛が通れないほど狭い。
実にやっと人ひとりが、荷を積んだ雄牛一頭を通せる広さしか無い。
さらに立ち並んでいるひどくむさくるしい家々や、
その家が出す「固体や液状の廃物」を受け入れる
緑色のぬるぬるしたドブと、
そしてその汚れた臭い縁によって一層狭められている。
・ソウルには美術の対象になるものが何も無く、
古代の遺物ははなはだ少ない。
公衆用の庭園も無く行幸の稀有な一件を除けば見せものも無い。
劇場も無い。
ソウルは他国の都市が持っている魅力をまるで欠いている。
ソウルには古い時代の廃墟も無く、図書館も無く、文学も無い。
しまいには、他には見出せないほどの宗教に対する無関心から、
ソウルは寺院無しの状態で放置されている。
一方、未だに支配力を維持しているある種の迷信のために、
ソウルには墓がないままにされている。
・ミラー氏と召し使いが綱を強く引っ張っている時、
私はしょっちゅう川岸沿いに独りぼっちで、
2時間か3時間ぶらついていた。
その小道が淋しい所か、または村に通じていようがいまいが、
私は、ひどく躾の悪い遣り方で示された
好奇心以上の不愉快なものには、一度も出会わなかった。
そしてそれは、主として女性によるものであった。
・その肩に税の重荷が掛かっている人びと、
つまり特権を持たない厖大な大衆が、
両班にひどく苦しめられているのは、疑いない事である。
両班は代金を支払わないで人びとを酷使して労働させるばかりでなく
さらに貸し付け金の名目で、無慈悲に強制取り立てを行なっている。
ある商人か農夫がある程度の金額を蓄えたと噂されるか知られると、
両班または役人が貸し付け金を要求する。
・女の人たちと子供たちは山のようになって、私の寝台の上に坐った。
私の衣服を調べた。
ヘアピンを抜いた。
髪を引き下ろした。
スリッパを脱がした。
自分たちと同じ肉や血なのかどうか見るために、
私の着物の袖を肘まで引き上げて、私の腕を抓った。
私の帽子を被ってみたり、手袋を嵌めてみたりしながら、
私のわずかばかりの持ち物を詳しく調査した。
・長安寺から元山への内陸旅行の間、
私は漢江の谷間でよりも朝鮮の農法を見る良い機会に恵まれた。
日本のこの上なく見事な手際のよさと、
中国の旺盛な勤勉に比べて、
朝鮮の農業は無駄が多く、だらしない。
・朝鮮では、私は朝鮮人を人種の滓(カス)と考え、
その状況を希望の持てないものと見做すようになっていた。
・私は出発する前に、無感動できたなくぽかんと口を開け、
貧しさにどっぷり浸っている群集に包囲されて、
宿屋の中庭のごみ、むさ苦しさ、がらくた、
半端物の真ん中でじっとしていた。
朝鮮人は見込みのない、無力で哀れな痛ましい、
ある大きな勢力に属している単なる羽に過ぎないと感じた。
・もしある人が小金を貯めた、と伝えられると、
役人がその貸与を要求する。
仮にその要求を承諾すると、
貸し手は往々にして元金または利息に二度と会えなくなる。
もしその要求を拒絶すると、その人は逮捕され、
「破滅させるために捏造された罪」で投獄される。
そして要求された金額を差し出すまで、
彼か親類の者が鞭打たれる。
・狭量、千篇一律、自惚れ、横柄、
肉体労働を蔑む間違った自尊心、
寛大な公共心や社会的信頼にとって有害な利己的個人主義、
二千年来の慣習や伝統に対する奴隷的な行為と思考、
狭い知的なものの見方、浅薄な道徳的感覚、
女性を本質的に蔑む評価などが
朝鮮教育制度の産物と思われる。
・朝鮮の大きくて普遍的な災難は、
大勢の強壮な男たちが、少しましな暮らしをしている
親類か友人に頼るか“たかり”に耽る習慣である。
それを恥としないし、非難する世論も無い。
少ないけれども一定の収入がある人は、
多くの親類、妻の親類、大勢の友人、
親類の友人たちを扶養しなくてはならない。
・1897年の明確に逆行する動きにも拘わらず、
私はこの国の人びとの将来に希望が無いとは決して思わない。
だが、次の二つの事が非常に重要である。
1 朝鮮は、内部からの改革が不可能なので、
外部から改革されねばならない事。
2 君主の権力は、厳しくて永続的な
憲法上の抑制の下に置かねばならない事。
*******
日本文化は「朝鮮半島からもたらされた」と、厚顔にも述べる「学者先生」がいるようですが、イザベラ・バードは、「古い時代の文学も無い」と喝破しています。
日本には、源氏物語や枕草子、万葉集などの文学作品がたくさんありますが、彼らはどこまでも日本文化よりも朝鮮文化(と呼べるものがありもしないのに)が上と考えたい(なんでもかんでも上下関係をつけたがるのは半島人の特徴)ようで、ですから平安時代までの日本は「有史以前の古代であり、鎌倉時代からが古代だ」としたがります。
イザベラ・バードは半島人を「狭量、千篇一律、自惚れ、横柄、肉体労働を蔑む間違った自尊心、寛大な公共心や社会的信頼にとって有害な利己的個人主義、二千年来の慣習や伝統に対する奴隷的な行為と思考、狭い知的なものの見方、浅薄な道徳的感覚」と書いていますが、これはまるで現代日本にいて、日本国籍を持ち、日本語を話し、日本人のような名前を通名にしている学者や政治家、企業人に等しく備わった傾向ということができます。
また、「要求を拒絶すると、その人は逮捕され、破滅させるために捏造された罪」で投獄され、要求された金額を差し出すまで、彼か親類の者が鞭打たれる」という半島の習慣は、そのまま日韓関係におけるいわゆる慰安婦問題を見るようです。
ちなみに慰安婦問題について、最近の韓国では日韓合意の際の少女像撤去は約束ではないとする報告書が出されました。
現代の世界において、国際条約さえも平気で無視する国というのはありえないことですが、現代ですらそうだということでもあります。
人を信用しないことで成り立つ文化を持つ国、
その人を信用しないことで成り立つ文化を持つ国からも信用されない国。
そういうことを歴史としてきた国というのは、現実に存在するのです。
私達の日本は、互いに信用し信頼することによって歴史と文化を培ってきました。
そして、だからこそ世界を征した大航海時代以来の欧米列強の圧力を、有色人種国として唯一、跳ね返すことを可能にしたし、戦後の高度経済成長も実現してきました。
ところがそうして実力を培ってきた日本が、平成以降、富を支那韓国に奪われ、加工貿易によって世界屈指の経済力を身に着けたはずの日本経済は、いまや世界屈指の大型貿易収支赤字国となり、経済成長も停まったままの状態が続いています。
中共経済や韓国経済を「悪い」と言う人がいますが、実は彼らは彼らの国の歴史上稀なる経済成長を、この20年、続けています。
実は日本の方が、はるかに景気がよろしくないのです。
信用しないことで成り立つ文化と、相互信頼によって成り立つ文化では、本来、圧倒的に後者の経済成長が上回るはずです。
ところがそうはなっていないのは、すくなくともビジネスの世界を見る限り、現代の日本は中共や韓国以上に、相互信頼の崩れた社会になってきてるからといえると思います。
なんと日本が、かつての朝鮮のような国になりつつあり、支那朝鮮が、かつての日本のように変化しつつあるのです。
当然のことです。
日本が本来礼賛などできるはずのない半島を礼賛しているのです。
諸外国の人が、日本を褒めることがあります。
褒められる日本は、日本人の礼儀正しさや寛容さ、アニメや漫画などの最近のカルチャーと、日本の古くからの歴史です。
このことは、褒められている日本は、日本人個人と、過去の日本だということです。
逆に日本の政治や、日本国内の企業経営が褒められることは、滅多にありません。
他所の国から見ても、朝鮮化した日本には何の魅力もないということです。
だからこそ、日本は、政治においても個人においても、根底となる日本文化を取り戻すべきであると思うのです。
百人一首に描かれた日本、古事記に描かれた日本。
そこには、本来取り戻すべき日本の姿が明確に描かれています。
素晴らしい教科書がありながら、それを知らずにすごすのはあまりにもったいないことです。
お読みいただき、ありがとうございました。

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「お詫びと訂正」
第一巻八十三ページに「これは千葉の常若神社の渡邊宮司から教えていただいた話なのですが、聖徳太子の十七条憲法の各条文は、それぞれ創成の神々の神名と関連付けて書かれているからこそ、十七条なのです」とありますが、私が教わったことは古事記と聖徳太子に関するお話であり、聖徳太子の十七条憲法と神々の神名との関連付けは教えていただいたことではなく、私の考えであると、渡邊宮司をはじめ、関係各位に深くお詫びして訂正いたします。
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同じように、国家という言葉の概念も我が国と外国では大きく違い、統治の形によって国家それぞれの概念があると言えます。
我が国では、天皇を核に国民が一つにまとまって、助け合い、育み守られるものが国家であり、革命以前の多民族国家であるロシアなどでは、頂点に立つ皇帝は異民族である国民に愛情などあろうはずもなく、何時反旗を翻すかわからず、反抗できないように抑えつけなければ国をまとめることはできないために、権力者が国民を抑圧し搾取するものを国家といいます。
友好もそうです。
日本人にとっては友好とはお互いが対等の立場で親しくし、理解し合い、困った時には助け合うものですが、他国民、特に、シナ、朝鮮などにとっては、相手が自分たちに一方的に譲り、無批判に受け入れ与えることであり、侵略と同義語です。
この違いが判らず、自分たちの感覚で言葉を捉え、他国と付き合っている日本人に強い危惧を覚えます。
これからも日本人が少しでも目覚めるように素晴らしい記事をお願いします。
朝鮮には何も無いですね。 悟りを得た高僧はインド、中国、日本だけです。
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