米国NIHがいきすぎた「選択と集中」を是正へ

米国NIHの決断

米国NIH(アメリカ国立衛生研究所)が研究費分配に画期的な変化を導入することを決定した。ひとりの研究者が持てる研究費の量に上限を導入することで、少数のシニア研究者に過剰に研究費が集中し若手~中間層の研究者が研究費を取りにくい状況を改善するというのである。上限はNIHの通常のグラント(R01)の3つ分まで程度になるという。

このNIHの政策は、日本においても行われてきた「選択と集中」の科学政策の真逆をいくものであり、行き過ぎた「選択と集中」からの適度な巻き戻しであるとみてよい。医学生物学研究においては世界的に見て、いわゆるビッグラボという、名の通った教授・研究リーダーの主宰する研究室に過剰に研究資金が集中する状況が広がっているが、これが果たして効率的な予算の使い方なのか、長期的にみて正しい科学政策なのか疑問を持つ人は多かった。

NIH所長「科学における発見は予想できないものだから、多様な医学生物学研究に従事しているよりたくさんの研究者を支援することが、少数の研究室に資金を集中させるよりも、我々の支援できる科学研究からうまれる重要な発見の数を最大化することができると信じるに足る理由がある」

共同研究を利用すれば新しい上限制度にも抜け道があるのではないかという疑問もなげかけられているが、NIHの決断が予定通り実施されれば、上限がかかるのは全研究室のうち6%にすぎない一方で、1600の新しい研究グラントを創設できるという。

米国の科学についてはトランプ政権誕生で悲観的な見方が広がったが、この決定は米国の科学が健在であること、(この冬の時代においてすら)成長する可能性があることを示していると思う。

日本の科学政策における選択と集中

最近日本の大学の研究力の低下が嘆かれている。一番わかりやすい問題は大学運営のための予算(大学運営交付金)を強制的に急速に削減したことで大学崩壊に至ってしまったことである。ここで重要なこととして、大学運営交付金の削減は、獲得型研究資金の増額と同時に行われてきたことであり、大学運営交付金削減による大学崩壊と「選択と集中」による研究レベルの低下は表裏の関係にある。

いま成功している研究者に集中して資金を投下してばかりいると、下から発見と技術を積み上げていくタイプの革新的な研究者が育たなくなることであろう。すでに世界的に名の通っている研究者への研究資金の過剰な集中を推し進めれば、まだ有名ではない若手・中間層の研究者が独立できなくなる。独立できなければ、世界的に名の通った研究者にはなれない。そして本来独立してさえいれば新規発見を行えたはずの若手・中間層の研究者が、シニア研究者にいわゆるピペド(ピペット奴隷)として使われる状況が長続きするようになる。これでは新しい発想に基づく研究は育たない。新しい発見や技術の創出には5年や10年かかることはざらなので、このようにして将来の芽をつぶしていれば、5年、10年単位で先細りになっていくのは当然であろう。

大学運営交付金の削減と「選択と集中」2002年ーの小泉内閣で決定・実施された政策である。それから15年たったところで、日本の大学における研究力の低下が著明になった。これらの政策の失敗を直視し政策の転換を考えるべきことが誰の目にも明らかになってからすでに久しい。時間はもうあまりない。