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「二つの祖国、一つの愛」 イ・ジュンソプの妻
日本人監督の作品ですが、日韓をつなぐテーマのドキュメンタリー映画を見てきました。久しぶりの「第七芸術劇場」、十三です。懐かしい・・・ 韓国の画家 イ・ジュンソプと日本人の妻 山本方子(まさこ)の、「激動の歴史に引き裂かれた韓国人と日本人の70年にわたる一途な愛と信頼の物語」(パンフレットより引用)。
↓左がパンフレット、右が画集の表紙、
絵に詳しくない私がそもそもこの映画に関心をもったのは、1昨年かな?韓国在住の知人に観光ガイドには載っていない穴場を案内してもらった時に、付岩洞(プアムドン)というところにあるソウル美術館に連れていってもらったのがきっかけです。
韓国語能力試験の読解問題の過去問で、子供のころ,りんごをもらって、ほかの子どもたちはすぐ食べたのに、この人は絵をかいてから食べた、という逸話をほんの少し読んだぐらいで、それ以上の知識はなし。「躍動感に満ちた、闘志あふれる牛」の絵で有名な作家というイメージだけだったんですが、この映画を見て、その背景を知ると、ソウル美術館にももう一度、済州島にある記念館その他にも、この画家の作品を是非見にいかねば、という気持ちになりました。(年のせいか、感動するのが遅いんのです。)。
二人は東京の文化学院美術部で知り合い、恋に落ちるのですが、第1次大戦が起こり、イ・ジュンソプは韓国に帰ります。1945年、戦況が最終局面を迎えたころ、方子は命がけで海を渡り、再会、結婚して二人の子供をもうけます。でもその後朝鮮戦争が勃発して、今の北朝鮮にある元山から南、南へ逃げていきます。釜山、そして済州島へ。そんな時代に絵も売れず、貧困のため健康を害した方子と子供たちを日本(東京の実家)に返します。その後、国籍の関係もあり、行き来ができなくなり、再会できたのは、特別な計らいで許された1週間だけの東京滞在の時だけでした。でも二人は希望を失わず、いつかは一緒に生活できることを願いながら、方子は働きながら二人の子供を育て、イ・ジュンソプは貧困の中でも絵を描き続けます。しかし、イ・ジュンソプは39歳の若さで、貧困と家族と離れる苦痛から、健康を害し、亡くなります。
その間、200通を超える手紙をやりとりし、その手紙には二人の愛情の強さ、子供たちへの愛情があふれています。
上のパンフレットの絵が済州島でカニ(食糧にしていたようです)と遊ぶ子供たちと、それを見守る二人の姿で、手紙の中にもこういうほほえましい絵がたくさん描かれています。
映画は、時代に翻弄された二人の人生、手紙、2013年に韓国に招待された方子さんが「黄牛」の絵をじっと見つめる姿、済州島のかつて住んでいた家(とも言えないような、小さな部屋)を訪ねる様子、イ・ジュンソプの親友との再会 絵の仲間のイ・ジュンソプの回想、などを織り交ぜて、淡々と、でも心に沁みるものでした。最後に親子四人が向かいあって一つになっている絵が出てきた時、不覚にも涙が・・・・周りの人も。戦争がなければ、こうなれたのに。昨今の世相を考えると尚更、そう思わずにはいられませんでした。
そして、よくわかりませんが、荒々しい牛の絵は、絵への情熱、思い通りに描けない状況へのどうしようもない思い、そういうイ・ジュンソプ自身の姿のように見えました。なので、普段は画集など買わないんですが、もっと知りたくて買ってしまいました。韓国語で日本語訳付き、今月はこれを読むことにします。読む前から感情移入できてるので、挫折しないいで読めそうです。あっ、1月は結局さぼりました。1か月に1冊、と言っても、ゆるーい目標、ということで(笑)そして、 絵を見る時は背景をよく知ってから、と再確認した次第。
今日はミレの「多読会」(自由に本を読む、ちょっとだけ交流もあり)というのに参加したんですが、早速紹介してしまいました。話してて泣きそうになって、笑われました。初めに教えてもらった知人にも感謝、です。
長くなってしまいました。最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
↓左がパンフレット、右が画集の表紙、
絵に詳しくない私がそもそもこの映画に関心をもったのは、1昨年かな?韓国在住の知人に観光ガイドには載っていない穴場を案内してもらった時に、付岩洞(プアムドン)というところにあるソウル美術館に連れていってもらったのがきっかけです。
韓国語能力試験の読解問題の過去問で、子供のころ,りんごをもらって、ほかの子どもたちはすぐ食べたのに、この人は絵をかいてから食べた、という逸話をほんの少し読んだぐらいで、それ以上の知識はなし。「躍動感に満ちた、闘志あふれる牛」の絵で有名な作家というイメージだけだったんですが、この映画を見て、その背景を知ると、ソウル美術館にももう一度、済州島にある記念館その他にも、この画家の作品を是非見にいかねば、という気持ちになりました。(年のせいか、感動するのが遅いんのです。)。
二人は東京の文化学院美術部で知り合い、恋に落ちるのですが、第1次大戦が起こり、イ・ジュンソプは韓国に帰ります。1945年、戦況が最終局面を迎えたころ、方子は命がけで海を渡り、再会、結婚して二人の子供をもうけます。でもその後朝鮮戦争が勃発して、今の北朝鮮にある元山から南、南へ逃げていきます。釜山、そして済州島へ。そんな時代に絵も売れず、貧困のため健康を害した方子と子供たちを日本(東京の実家)に返します。その後、国籍の関係もあり、行き来ができなくなり、再会できたのは、特別な計らいで許された1週間だけの東京滞在の時だけでした。でも二人は希望を失わず、いつかは一緒に生活できることを願いながら、方子は働きながら二人の子供を育て、イ・ジュンソプは貧困の中でも絵を描き続けます。しかし、イ・ジュンソプは39歳の若さで、貧困と家族と離れる苦痛から、健康を害し、亡くなります。
その間、200通を超える手紙をやりとりし、その手紙には二人の愛情の強さ、子供たちへの愛情があふれています。
上のパンフレットの絵が済州島でカニ(食糧にしていたようです)と遊ぶ子供たちと、それを見守る二人の姿で、手紙の中にもこういうほほえましい絵がたくさん描かれています。
映画は、時代に翻弄された二人の人生、手紙、2013年に韓国に招待された方子さんが「黄牛」の絵をじっと見つめる姿、済州島のかつて住んでいた家(とも言えないような、小さな部屋)を訪ねる様子、イ・ジュンソプの親友との再会 絵の仲間のイ・ジュンソプの回想、などを織り交ぜて、淡々と、でも心に沁みるものでした。最後に親子四人が向かいあって一つになっている絵が出てきた時、不覚にも涙が・・・・周りの人も。戦争がなければ、こうなれたのに。昨今の世相を考えると尚更、そう思わずにはいられませんでした。
そして、よくわかりませんが、荒々しい牛の絵は、絵への情熱、思い通りに描けない状況へのどうしようもない思い、そういうイ・ジュンソプ自身の姿のように見えました。なので、普段は画集など買わないんですが、もっと知りたくて買ってしまいました。韓国語で日本語訳付き、今月はこれを読むことにします。読む前から感情移入できてるので、挫折しないいで読めそうです。あっ、1月は結局さぼりました。1か月に1冊、と言っても、ゆるーい目標、ということで(笑)そして、 絵を見る時は背景をよく知ってから、と再確認した次第。
今日はミレの「多読会」(自由に本を読む、ちょっとだけ交流もあり)というのに参加したんですが、早速紹介してしまいました。話してて泣きそうになって、笑われました。初めに教えてもらった知人にも感謝、です。
長くなってしまいました。最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
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