どうでしょう? 改めて聞かれると案外難しいと思いませんか?
これはある意味自然なことです。天動説は2世紀にプトレマイオスによって体系化されました。それに対して、地動説が市民権を得たのは17世紀。つい最近のことです。
もしも素朴な天動説の矛盾があっさり気付けるようなものなら、地動説はもっと早くに見つかっていたはずです。地動説は、地に足の付いた地道な事実の積み上げによって定着した、比較的新しい文化と言っても良いでしょう。
一例として、コペルニクスが指摘した天動説の矛盾を紹介しましょう。
彼は火星に注目しました。夜空を毎日注意深く眺めていると気付きますが、火星は太陽との位置関係によって明るさを大きく変えます。
日没時に西の空にある「合」と呼ばれる位置にある火星はちょっと明るめの星と同じ程度の明るさしかありませんが、日没時に東の空に昇る「衝」と呼ばれる位置にある火星はギラギラ輝く非常に明るい星です。
この現象自体は昔から知られていましたが、コペルニクスは、この現象を天動説で説明するのが難しい反面、地動説では極めて自然な帰結として説明出来ることに気付いたのです。
上の絵は、左側が天動説、右側が地動説における合と衝の位置の火星です。地球から見て太陽と同じ方向に見える火星が合、太陽と反対方向に見える火星が衝です。
天動説では、合の火星も衝の火星も地球との距離が変わらず、太陽に近い分だけ合の方が明るく見えそうなものですが、これは事実に反します。
一方地動説では、合の火星と衝の火星はそもそも距離が大きく違うので、衝の時の方が地球に近い分だけ明るく見えるはずです。現実を非常にシンプルに説明出来ていますね。確かにこれは地動説を採用する根拠になり得ます。
ただし、これだけで天動説が死んだわけではありません。例えば、地球が自転しているという主張に対して、「もしも地球が自転していたら空を飛ぶ鳥は地球の自転に置いて行かれてしまうはずだ」という反論がありました。
これが反論にすらなっていないことを言うには「慣性の法則」が必要ですが、残念ながらコペルニクスが地動説を唱えた当時、この法則はまだ発見されていません。地動説派の人たちは、長らくこの反論に答えられませんでした。
また、地動説によると地球は太陽の周りを1年かけて公転するので、地球は夏と冬で違う場所にいます。
例えば皆さん、座ったままで構わないので、遠くの物を見ながら身体を左右に動かしてみて下さい。物が見える角度が少し変わりますよね? これと同じ理屈で、同じ星を地球から見たとき、夏と冬でその星の見える方向が変わるはずです(「年周視差」と言います)。
ところがどうでしょう? 夏と冬で星の見える角度は変わるでしょうか?
肉眼ではもちろん、ガリレオが望遠鏡を発明してなお、そのズレは観測されませんでした。これはむしろ天動説を支持する結果です。ちなみに、年周視差が実際に観測されたのはなんと19世紀に入ってから。星は思った以上に遠かったということです。
さらに、16世紀当時、星々の運動や天文現象の予言には専ら天動説が使われていましたが、地動説の予言精度は天動説のそれに及びませんでした。
地動説は確かに火星の明るさをシンプルに説明出来ますが、天動説派が提示する疑問に満足に答えられず、予言の精度も天動説に及ばないという状況で、あなたならどちらを支持するでしょう?
少なくとも私なら、合理的な判断として天動説を選びます。