だいぶ前に僕の知り合いの天才が、こんなこと言ってた。
「天才とただ単にスペックが高い人を混同しているフィクションが多すぎる!それどころか、天才をキチッと描いているフィクションが少ない!!」
…一理ある。
それも、天才性が何なのかを把握していないことが、作品を萎える方向に持っていくフィクションが多すぎるから、この話は一度しておきたい。
テルマエ・ロマエとかドラえもんみたいなものを天才だと勘違いしてる人、多すぎ問題
フィクションの中の天才の中でうんざりするタイプは2つ。
1、努力してスペック上げただけで、別に天才ではないのに天才呼ばわりされてる人
ライトノベルとかで出し尽くされているやつ。ピンク髪で炎属性だったりすることが多いみたい。
アラサーから「最近のラノベ」とか目の敵にされやすいぐらいの時期のライトノベルには必ず一人はそういうのが出てきて、割りとヒロインポジ。(しかも、努力してるアピールが非常にめんどくさい)
ちなみに、ホンマモンの意味で誰も天才肌なやつなんて出てこないから、アラサーの言う「最近のラノベ」に染まりすぎた人はこれが天才だと思ってるからたちが悪い。
2、現代人の中に未来人パターン
今回重要なのはこっち。
半分お勉強、半分ファンタジーみたいな作品に多い。
テルマエ・ロマエもそうだし、
三田紀房作品…特にインベスターZの主人公のひいおじいさんがそうだし、
橙乃ままれ作品(まおゆうとか、ログ・ホライズン)に出てくる周りに知識をひけらかすタイプのキャラも然り。
頭がいいんじゃなくて、ただ未来人や未来人に会ってきた人を天才みたいに作品内に呼んで描いているだけ。
実在する起業家でいうと、三木谷浩史みたいな人が天才だと言われがち。
三木谷がバカだとは言わないけど、海外でビジネスを丸パクリして輸入するタイプの人が天才とモテはされる。
スペックが高いから、目線を海外に向けることができたからちょっとだけ先のことを知ってたぐらいの人。
バカではないと思うけど、バカの一つ覚えみたいにちょっと先のビジネスを輸入してくることにしか脳がない人。…これは天才ではない。
そういう人でも優秀さはあるから、タイミングさえ良ければ、財を築くことはできるよ?
でも、「天才」かと言われると違うと思う。
実際の天才は西村博之や堀江貴文みたいな人だからねぇ…。
日本では天才ではなく、めんどくさい人だと混同されがちだけど…その理由は後で説明する。
僕が考える天才3原則は「同意を求めない」「シンプルで奥深い」「表面的にはバカ」
この記事を書く前に、僕はこんなツイートをしてる。
僕の中の天才三原則は
— 三沢文也a.k.a.青二才 (@tm2501) 2017年5月6日
・考えが人に認められなくてもいいと思ってる人(理解されないことに慣れてる)
・考えが根本的すぎて、文面はシンプルだけど内容が奥深いこと
・頭いい人だと思われなくてもいいから、平気で頭の悪いこと、不道徳なこともサラサラと言葉に出せる人
これが天才の条件
細かく解説してくと …まず、「天才=成績がいい」とは限らない。
ホリエモンは確かに東大に行ってるけど、東大という地位にしがみつかないで中退している。必要ならできるが、してるとは限らないから成績トップとかには出てこない。
知り合いの天才もまた学校の成績が良かったかというと…そうでもない。
ただ、やろうと思えば哲学書をガッツリ読めるぐらい国語力だってあるし、相談事をすれば想像力が働く。
調べる前からこっちの言う事を「そうなんだろうね」と言われてしまったり、こちらが悩んでいることをカウンセラーのように的確に整理して言い当てててくれるから頼りにはなるが…学校の成績はそうでもない。
相談事といえば、ホリエモンも相談や質問には的確に答えることが多い。
ただ、言い方が失礼すぎたり、彼にとってはとるに足らないことすぎて「身も蓋もない回答」「失礼で分かった気になってるガキ」に見えてしまうから「憎まれ口」だと思われているのはここでは印象の問題。
なぜ感じが悪いかというと、こういう人達は子どもの時から周囲と意見が合わない・先生の言うことに共感できない、それでも勉強して認められることはできてしまう…から集団心理に対して冷めてる。
だから、良く言えば「否定され慣れてるから、否定ごときで周りに流されない」。
悪く言えば、「自分が一番正しいと思ってるか、自分が納得できないことはやってくれないからすご~くめんどくさい」。有り体に言えば、気難しい人?が多い。
で、しかも頭がいいと思われようとか、人に褒められれば頭がいい・偉い証明になるとは決して思ってないから、平気で「バカじゃないの」と言われるようなことをいうし、やる。
力が抜けていて、自由だからこそ、身もふたもないことも言えるし、自由気ままに思ったことを言う。
空気が読めないのではなく、読む必要を感じないと彼らが判断すると、平気で空気を読まない。
世間体や社会的評価への執着が薄い人も多くて、社会的には大成しない天才もいる。
…もう気づいていると思うけど、世の中の天才像にありがちな「好青年」みたいなタイプとはちょっとかけ離れてる。
むしろ、ホンマモンの天才はギフテッドとか、サヴァン症候群とか、アスペルガー症候群とか、に該当するような人達だ!
だから、精神障害や発達障害混じりなこと…あるいは先天的には「障害」はなくとも、ギフテッドとして振る舞っていくうちに他の子どもとは違うクセがついて「小生意気に見える」ような人が多い。
「それ以外は天才じゃない」
とまでは言わないよ?
でも、人と話してて「この人は頭がいい」「この人の前だと真剣に話そうとする自分がいる」と思える人は、勉強ができる人よりもむしろ、勉強ができようができまいが、地頭が良くて本質的なことを話す人だ。
そして、そういう人の推理力や、抽象的な思考力、一部のずば抜けた能力が子どもの時から備わっていた状態を考えるとギフテッド・サヴァン・アスペルガーなどにたどり着く。
よく知りもしないのに、天才を崇めるバカは死ねばいい!!
そこがわかってない人がスティーブ・ジョブズ崇拝をしたり、宮﨑駿や庵野秀明の作品だけを見て、彼らのような才能とか軽々と言うの、マジで軽薄だからやめとけ!
発達障害に理解のないヤツがだ!
天才と実際に会っても話も合わないし、自由気ままでバカっぽいこともいう態度に納得できなくて、どうせ彼らの才能を活かせない(下手したら潰す側に回る)ことしかできないんだから、まじで名前とか挙げるのも辞めてほしい。
スティーブ・ジョブズは気性が荒いし、宮﨑駿は気難しいし、庵野秀明だって病んだり暴れたりするし…。
それを「でも、彼ほどこれができる人もいないから」と才能を支える人、苦労や面倒、ディスコミュニケーションを引き受ける覚悟がある人だけが現実には才能のおこぼれをもらえる。
だから、「日本にはスティーブ・ジョブズが現れないのか」みたいな記事を東洋経済とかダイヤモンドとかが書いているのを頷きながら読んでる中年サラリーマンとか見かけると「お前になにがわかるの!?」って気持ちにしかならない。
才能のある発達障害…いや、それですらないサイコパスみたいな人を覚悟を持って付き合えるだけの根性がない人が「そこらにまともな天才落ちてないかな」とか「天才ってこうだよね」とか言い出すの、マジで頭にくる。
なんか、「まともな人間の延長線に天才がいる」とか「調べたらわかることを熱心に調べた結果として知ってる」みたいなものを天才と呼んでる人がいるけど…それは天才ではないし、天才だと思ってるならあなた自身の想像力の欠如が産んだ虚構だよ!!
努力した凡人か、
たまたまそこにいたラッキーボーイか、
「現代人の中に未来人が一人」現象か
いずれにしろ、才能なんてなくてもできることを天才と呼んでることが多すぎる。
俺はそんな天才(笑)絶対認めない!