読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

下痢文学とは

 

下痢文学とは、下痢をした人間が腹痛と便意に耐えながら書いた小説の総称である。純文学や大衆小説に対して下痢文学は、「娯楽性」や「芸術性」よりも、「ただただ腹痛と便意に耐えながら書ききる事」、「文字数を稼ぐ事」に重点を置いている。そのため、支離滅裂で論理的に破綻している作品が多い。

下痢文学の執筆中に洩らしてしまう者も数知れずあるが、そうすると純粋な下痢文学ではなくなってしまい、玄人や熱烈なファンは微妙な文体の変化から「あ、ここで洩らしたんだな」と気づいてしまい興醒めしてしまう。

そのため、一般的に作家に求められる能力としては想像力や表現力、構成力、語彙力などが挙げられるが、下痢文学を書くにあたって求められる能力として最も重要なのは、肛門括約筋の筋力である。

下痢文学の第一人者セイ・ロガンは、

「俺には言いたいことなど何もない、書きたいこともない、正直、作品の事なんかどうでもいい、限界寸前まで我慢して書ききった後にする排便の快楽の為に書いているだけだ、これは俺の俺による俺のためのプレイだ、俺の小説なんか読む奴の気が知れない、あほちゃうか」

と言っている。

は?何なのお前?死ねばいいのに。と思うものもあるだろうが、それでも熱狂的なファンが少なからずいるという事は、そんな文章の中にも魅力を見出す者があるという事なのだろう。

最後に、ある下痢文学評論家は下痢文学の魅力について以下のように語っている。

「下痢文学の最大の魅力は、人はあらゆる物事に意味を求め意味を与えたがるが、本当はすべて無意味なのだ、という事に気づかせてくれ、価値観をリセットし、原点に立ち返らせてくれるところだ」

 

広告を非表示にする