早くも、五月。詩の発表がつづいているが、きょうも、
掲載させていただきたい。季節感のある作品もたくさん
あるのだが、せっかく、村山精二さんの評していただけている
作品があったので、それを紹介させていただく。
以前にも、記しているが、村山精二さんのもとには、1日に
少なくとも複数冊の 詩誌や詩集が恵贈される。
1日に、何十何百という詩篇のなかから、村山さんの感性で
選んでいただいて、感想を述べてくださっていた。
村山精二さんに取り上げられた作品は、ある種の重みと深みを
帯びて付加価値がついた。平たくいえば「箔」のようなもの。
それだけ、この世界では、影響力のあるひとだ。
この作品は詩集にも収められているが、取り上げてくださったのは
文芸誌・金澤文学に発表したときのものだ。
傷
中学一年生のときだった
チビだという理由だけで
よく いじめられた
ある日の 昼休み
「おい、売店でパンを買ってこいよ」
と ひとりの生徒がぼくに命令した
「自分で行ってよ」
と断ったぼくに
すかさず
鉄拳が飛んできた
額に三針縫う大怪我をした
後日 教師に連れられて
殴った生徒が家まで詫びに来た
温和しい母は
ひと言だけいった
「死んでしまいなさい!」
と
翌日から その生徒は
登校してこなくなった・・・
おとなになった今でも 時折
人差し指で
傷跡を指でなぞってみる
この傷が 消えることはない
あのときの生徒が負った
傷も
母が負った
傷もまた
これは辛い詩ですね。「『死んでしまいなさい』/と 冷たく言い放った」、「いつもは 温和しい母」が一番傷ついたと思うのですが、その気持ちがよく判るだけに辛い。何かもっと別の言葉があったでしょうが、おそらく母親としての正直な気持ちでしょう。
「ぼく」も「母」も「あのときの生徒」も、そうやって人間は傷ついて生きていくしかないのかと改めて思います。それを認めた上で、改めて出発するしかないのでしょうね。人間の深い業を考えさせられた作品です。(村山精二)