輿石監督「差別生む構造」作品に ハンセン病・沖縄
ドキュメンタリー「声上げ続けることに意味がある」
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への県内移設に反対する運動に取り組む同市のドキュメンタリー映画監督、輿石正(こしいしまさし)さん(71)が、元ハンセン病患者の男性の半生を追った映画「岸辺の杙(くい)」の製作を進めている。7月完成を目指して編集作業中で、「ハンセン病患者に対する差別と、米軍基地を沖縄に押しつける差別は通じるところがある」と語る。
映画に登場するのは、岡山県瀬戸内市のハンセン病療養所「邑久(おく)光明園」で生活する在日韓国人の崔南龍(チェナンヨン)さん(86)。神戸市出身の崔さんが幼少の頃、ハンセン病にかかった母と姉が隔離された。自身も10歳でハンセン病を発病し、その後、父が自殺。崔さんは同園に入った。
輿石さんと崔さんをつなげたのは、2008年に輿石さんが製作した映画「未決・沖縄戦」。太平洋戦争末期の沖縄本島北部の戦火を生き抜いた体験者の証言を集めた内容で、名護市のハンセン病療養所「沖縄愛楽園」の入所者も登場する。旧日本軍によって各地から患者が愛楽園に集められ、自分たちの生活場所となる壕(ごう)をツルハシで掘らされた過酷な体験談などを盛り込んだ。重労働で手が化膿(かのう)した人もいた。
戦時下のハンセン病患者という、あまり光の当たらなかった社会的弱者を取り上げた映画の存在を崔さんの友人が知った。そして、この友人を介して13年から2人の交流が始まった。
崔さんは周囲から差別された自分の半生を本にして出版し、講演活動もしている。崔さんの生涯の映画化の話が出た当初、輿石さんは「自分には荷が重い」とためらった。しかし普天間飛行場の移設反対運動に取り組む中で生じていた疑問が背中を押した。「沖縄の民意を押し切って基地を造るのは差別だ。崔さんの人生をたどって、差別を生み出す構造について考えてみたい」
崔さんに10時間以上インタビューした。肉親の父からさえ「くそったれ。お前なんかいなければ」と言われたこともあった。深く知るほどに、輿石さんは感じた。「本当に芯が強い人だ」
輿石さんは「差別の根底には、相手の気持ちや置かれた状況を察しない態度がある。だからこそ差別される側が声を上げ続けることに意味がある」と語る。映画には辺野古の反対運動の映像も盛り込む予定だ。【蓬田正志】