ペーパーテストの話だが、問題文が読めたらおかしいのである。
これは科目による。
たとえば現代文なら、問題文の中に答えが書いてあるから、問題文を読めて当然である。
それなりの読解力があれば、問題文の中にある答えを抽出できる。

算数もわりと問題文だけで理解できる。
解法を知らなければ絶対に解けないというわけではない。
もちろん普段から勉強しているに越したことはないが、現代文や算数は、問題文だけで解けるパズルと言ってもいい。

だが、科目によっては、問題文自体がイミフであるのが多いはずである。
一言で言えば「専門知識」がある人には読めるという文章なのだ。

だから普段の勉強において、最初から模範解答を見るのは妥当である。
数学者のガウスは子供の頃からオリジナルの解法を編み出して周囲を驚かせたとされるが、ほとんどの人にとってそれは不可能である。

数学や物理を苦手にしてしまう人が多いのも、ここが原因のような気がする。
特別な天才でもない限りは問題文自体がイミフなはずなので、普段の学習では模範解答から見て、それを理解して馴染むことで「専門知識」を身に付け、ようやくテストの問題が可読となるのだが、なんかそれが卑怯な気がして、現代文や算数のように自力で解くアプローチをしてしまうこともある。

これが歴史のテストなら「知らなければ答えられるはずがない」というドライな判断を大半の人がするのに、数学や物理となると、自力で解くという変なロマンがあるらしい。
あらゆる資料を駆使して、それを活用しつつ、新しい解答を探すような愉しみは、特別な天才でなくても体験可能だと思うが、学力テストでそれをやる必要はない、もしくは、どちらにせよ「専門知識」を活用するわけである。
未知の問題に原始人のように立ち向かう縛りプレイをする必要はあるまい。







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