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2017年3月22日 (水)

2017年3月22日(水)の聖教

2017年3月22日(水)の聖教

◆わが友に贈る


生涯求道の賢者たる
太陽会・敢闘会の皆様
いつもありがとう!
いよいよの心意気で
黄金の自分史を共に!

◆名字の言


  街や駅構内など、至る所で見かける“黄色い道しるべ”。この点字ブロック第1号が岡山市に敷設されてから、今月で50周年を迎えた▼考案者は同市の実業家で、発明家としても活動していた三宅精一氏。きっかけは路上で遭遇した、ある出来事だった。道路を横断する一人の視覚障がい者。そのすぐ横を、自動車が勢いよく走り去った。一歩間違えれば大惨事だ。視覚障がい者が街を安全に歩くためにはどうすればいいか――氏は真剣に考え始めた▼ヒントは、目が不自由な友人の“コケと土の境は、靴を通して分かる”との一言だったという。ここから、地面に突起物を配置し、足元から危険を知らせることを発案する。当事者の意見を丹念に聞き、形状・配列・寸法などを工夫。試行錯誤の末、完成にこぎ着けた。その後、全国で需要が拡大。点字ブロックは現在、世界の多くの国々でも活用される▼かつて戸田先生は「その人のためにどうしてあげたらいいか。その慈悲から、一つ一つ具体的な智慧が生まれる」と教えた。人生の万般に通じる視点であろう▼「目の前の一人を救いたい」との深い祈りから、無限の知恵が湧く。人生の岐路で道に迷い、悩む友がいるならば、その足元を励ましの光で照らし、共に一歩を踏み出したい。(値)

◆〈寸鉄〉 2017年3月22日
 

 生命力と逞しき智慧なく
 して幸福は得られぬ―戸
 田先生。信心で引き出せ
      ◇
 関西男子部の日。常勝魂
 を継ぐ若武者よ!全同志
 の模範たる拡大劇を綴れ
      ◇
 小事に喜びを感じる人は
 大事を成し遂げる―文豪
 一度の対話・激励に全力
      ◇
 米国が過去の核実験映像
 を公開。凄まじい破壊力。
 廃絶こそ恒久平和への道
      ◇
 世界の気温、3年連続で
 最高を更新。地球環境に
 目を向け足元から行動を

◆社説  人種差別撤廃デーに思う  他者尊ぶ思想で多様性輝く社会を


 1966年、国連総会で3月21日が「国際人種差別撤廃デー」と制定された。毎年、この日を中心に、世界各地で人権意識の啓発活動が行われている。
 政府は、2020年の東京五輪を控え、「人権大国」の構築を方針として打ち出している。また、外国人観光客や留学生の倍増を掲げ、在日外国人も増加の一途をたどる。一方で、人種差別を扇動する言動への法規制は、国際社会に比べ不十分であり、人権意識の向上が課題だ。
 かつてマーチン・ルーサー・キング博士は、人種問題を解決するには「二つの道」が必要だと論じた。教育で“内面的な態度”を変革し、立法で“外面的な慣習”を規制することだ。
 キング博士の盟友ビンセント・ハーディング博士と池田先生の対談集『希望の教育 平和の行進』は、キング博士の理想の本質に迫る優良書として反響を呼んでいる。同書で両者は、キング博士が進めた「公民権運動」は、法的権利の実現だけを目指したものではなく、人々の思想を変える「民主主義を拡大するための運動」だと強調。また、この運動はキング博士が“始めた”のではなく、民衆が率先して運動を起こす中で、博士がスポークスマン(代弁者)として“招かれた”という点に着目する。さらに、人種差別をなくすには「教育」が鍵であり、「我々は何者か」という普遍的なアイデンティティーの探究が不可欠であると結論する。
 「我々は何者か」という問いに、日蓮仏法は「地涌の菩薩」という答えを持つ。誰もが、人々の幸福のために尽くす使命を持って生まれた尊い存在なのである。その大前提には、自己も尊厳であり、同じく他者も尊厳であるという生命尊厳と万人尊敬の人間観がある。  昨年、本紙でシカゴの友の活動の様子が特集された。人種間の対立の激しかった時代から、メンバーは地域をくまなく回り、白人も黒人も関係なく、仏法対話を重ねた。そして、多種多様な人々の心が通い合う、信頼と友情の連帯を築いてきた。
 日本国内でも、妙法を持った数多くの外国人メンバーが活躍している。祖国の言語の勉強会を開いたり、日本の青少年を文化交流会に招いたりして、差異を認め、お互いを尊ぶ心を育もうと奮闘している。
 学会の躍進は、多様性が輝く社会を築く基盤であり、模範となる。その誇りを胸に、きょうも“万人に等しく具わる仏性”に呼び掛ける対話に走りたい。

◆きょうの発心  “十連十勝”で幸福の連帯を築く2017年3月22日

御文
 悦しきかな汝蘭室の友に交りて麻畝の性と成る(立正安国論、31ページ・編169ページ)
通解 悦ばしいことに、あなたが蘭室の友(蘭の香りのように人徳の薫り高い人)に交わって感化を受け、蓬のように曲がっていた邪信が、麻のように素直な正信になることができた。

 
妙法の信仰者が蘭室の友になっていくよう、人間性の大切さを教えられています。
 高校1年の時、中学時代の親友に誘われ、女子部の会合に参加しました。「自分らしく生きることができる仏法です」との確信の言葉に感銘を受け、入会を決意。しかし、両親の反対もあって、すぐに入会には至りませんでした。
 その後、同志の温かい励ましを受け、唱題根本に活躍する女子部の先輩の姿に触れ、“広宣流布の祈りは、かなう”との希望を胸に、1979年(昭和54年)に晴れて入会しました。
 女子部で多くの薫陶を受けた後に結婚。実家が経済的に苦しくなった時も、夫婦で祈り、広布拡大に全力で取り組む中で乗り越えることができました。池田先生と同志の激励があって、今日があります。報恩感謝の心で、師弟不二の道を夫と共に貫く決意です。
 91年、北海道を訪れた先生は十勝の同志に、“十連十勝”との指針を示してくださいました。“青年拡大の年”の本年、大好きな十勝県の同志と共に、幸福の連帯を築いてまいります。   北海道・十勝県婦人部長 佐々木智子

◆小説『新・人間革命』第30巻 大山の章  六十七

 


 山本伸一が峯子と共に、車で創価大学を出発したのは午後五時半であった。彼は学会本部へは戻らず、横浜の神奈川文化会館へ向かった。世界につながる横浜の海から、新しい世界広宣流布の戦いを、真の師弟の戦いを起こそうと、心に決めていたのである。
 横浜に到着したのは午後七時であり、既に夜の帳に包まれていた。神奈川文化会館の一室から海を眺めた。眼下に、係留・保存されている貨客船の氷川丸が見えた。竣工は一九三〇年(昭和五年)、学会創立の年である。
 学会は、以来、「七つの鐘」を打ち鳴らし、今また、大航海を開始するのだ。
 伸一は、ようやく一息つけた気がした。
 側近の幹部が、「今朝の新聞に先生のお名前が出ておりました」と教えてくれた。
 それは、「読売新聞」がアメリカのギャラップ世論調査所と提携して実施した日米両国の生活意識調査の結果で、日本国民が選んだ「最も尊敬する有名な日本人」の上位二十人の第六位に、伸一の名が挙がっていた。吉田茂、野口英世、二宮尊徳、福沢諭吉、そして昭和天皇に続いて山本伸一となっている。
 「現存する民間人では第一位ですし、宗教界ではただ一人です」という。伸一は、この劇的な一日を振り返ると、不思議な気がした。さらに同志の大きな期待と懸命な応援のようにも感じた。
 三週間前、故・周恩来の夫人である鄧穎超に、会長辞任の意向を伝えた時、彼女が「人民の支持がある限り、辞めてはいけません」と語っていたことが思い返された。“人びとの期待に報いよ! 信義に報いよ! 戦い続けよ!”との励ましであったにちがいない。
 “いかなる立場になろうが、私は戦い続ける! いよいよわが本門の戦いが始まる!”
 彼は、ここでも筆を執り、「共戦」と認めた。
 そして、“弟子よ。われと共に起て!”と心で叫びながら、脇書に、こう記した。
 「五十四年 五月三日夜 生涯にわたり われ広布を 不動の心にて 決意あり 真実の同志あるを 信じつつ 合掌」

◆〈御書と歩む--池田先生が贈る指針〉57 学会活動が最高の回向に

御文
 今日蓮等の類い聖霊を訪う時法華経を読誦し南無妙法蓮華経と唱え奉る時・題目の光無間に至りて即身成仏せしむ、廻向の文此れより事起るなり  (御義口伝、712ページ)
通解 今、日蓮およびその門下が、故人を追善する時、法華経を読誦し、南無妙法蓮華経と唱えたならば、題目の光が無間地獄に至って、即身成仏させることができる。回向の文はこのことから事起こるのである。

同志への指針

 題目の大功力は亡くなった方々の生命にも厳然と届く。悲しい別れであったとしても、妙法の光明で赫々と照らし、必ず成仏の境涯へ導いていける。
 なかんずく自行化他の題目を唱え、広布に邁進しゆく学会活動には、「生も歓喜、死も歓喜」という永遠の生命の凱歌が轟く。この偉大な功徳を故人に回らし向けるのだ。ここに回向の本義がある。

【聖教ニュース】

◆台湾の名門・中国文化大学で第11回池田思想国際フォーラム 
 21大学の研究者が論文を発表
 池田先生がメッセージ 青年と共に希望の未来を

中国文化大学で開催された「池田大作平和思想研究国際フォーラム」。同大学の創立55周年を祝賀する記念行事の一環として行われた
中国文化大学で開催された「池田大作平和思想研究国際フォーラム」。同大学の創立55周年を祝賀する記念行事の一環として行われた

 台湾の名門・中国文化大学が主催する第11回「池田大作平和思想研究国際フォーラム」が2日、同大学で行われた。大学など21の学術機関の研究者28人が“池田思想”に関する論文を発表。多数の教職員、学生らが参加し、大きな反響を呼んだ。
 台北市にある中国文化大学は、1962年に創立。本年、55周年の佳節を刻んだ。
 95年に創価大学と学術交流協定を締結。2003年3月、創大創立者の池田大作先生に「名誉哲学博士号」を授与し、同年9月には、台湾初の“池田思想”の研究機関として「池田大作研究センター」(李彦良所長)を設立した。
 「池田大作平和思想研究国際フォーラム」は、同センターが中心となり、07年から毎年開かれている。
 11回目となった今回のテーマは「希望の暁鐘 青年の大連帯」。本年1月に発表された池田先生の「SGI(創価学会インタナショナル)の日」記念提言のタイトルを掲げた。
 フォーラムには池田先生がメッセージを寄せ、中国文化大学の張鏡湖理事長、李天任学長はじめ関係者の尽力に深く感謝を。
 そして、「万人の尊厳」と「生命の変革」こそ、大きな転機を迎えた人類が立ち返るべき原点であり、最重要の命題であると強調。
 悩みや苦しみに真正面から向き合い、自らの力で幸福を切り開いていける仏法の生命変革の哲理に言及し、人間教育によって青年を育み、共に新時代の地平を開きたいと呼び掛けた。
 開幕式では冒頭、李学長が力強く訴えた。
 「池田先生の平和思想を根本に、共に手を携えて、希望に満ちた輝かしい未来を開きましょう!」
 さらに席上、池田先生の教育の発展、人類の幸福、世界平和への貢献をたたえる「感謝状」が授与。創大の田代理事長に託されると、場内は大拍手に包まれた。
 また、創大の小山内国際部長が「社会の分断と世界市民教育」について報告した。
 分科会では、多岐にわたるテーマの論考が、池田先生の人間主義の思想と照らし合わせて発表された。
 閉幕式であいさつに立ったのは、中国文化大学の林彩梅元学長。教育の力によって世界に貢献する青年を輩出していくことが、平和を創出するために欠かせないと力説。「今後も池田先生の思想を研究し、世界市民の育成に取り組んでいきたい」と述べた。
 池田先生は、本年の「SGIの日」記念提言でつづった。「いかなる分断の濁流も押し返す、多様性の尊重に基づいた『平和の文化』のうねりは、青年たちの友情から力強く巻き起こっていく」と。
 フォーラムは、こうした先生の“青年への期待の心”を体現したものとなった。

【特集記事・教学・信仰体験など】

◆〈世界写真紀行〉第12回 アンデス山脈  挑み続ける人は偉大に

 
果てしなく続くアンデス山脈(2015年12月撮影)。北部と南部、また標高によって気候は大きく異なる。この山並みを超えて、50カ国・地域目となるチリ訪問を果たした池田先生は、次の和歌を詠んだ。「荘厳な 金色(ゆうひ)に包まれ 白雪の アンデス越えたり 我は勝ちたり」
果てしなく続くアンデス山脈(2015年12月撮影)。北部と南部、また標高によって気候は大きく異なる。この山並みを超えて、50カ国・地域目となるチリ訪問を果たした池田先生は、次の和歌を詠んだ。「荘厳な 金色(ゆうひ)に包まれ 白雪の アンデス越えたり 我は勝ちたり」


 見渡す限りの大パノラマ。白雪を冠した山々が幾重にも連なる。この壮大な光景に触れれば、心はどこまでも広がっていくだろう。
 南アメリカ大陸を貫くアンデス山脈。
 ベネズエラ、コロンビア、エクアドル、ペルー、ボリビア、アルゼンチン、チリの7カ国を縦断。全長は約1万キロと、実に地球の円周の4分の1にもなる。
 この世界最長の大山脈には北南米最高峰のアコンカグア山(6960メートル)をはじめ、6000メートルを超える高峰がそびえ立つ。これまで多くの登山家が挑んできたが、未踏峰も多いという。
 1993年2月23日、池田大作先生を乗せたジェット機は、パラグアイをたち、チリの首都サンティアゴへ向かっていた。
 眼下にはアンデスの銀嶺が延々と続く。1月下旬から始まった、北南米訪問の途上だった。
 「君の本当の舞台は世界だ。世界へ征くんだ。この私に代わって」――逝去の約2週間前、第2代会長の戸田先生は、池田先生に語り掛けた。この言葉を抱きしめ、池田先生は60年10月、北南米訪問を皮切りに世界へ雄飛したのである。
 だが、その平和旅は困難の連続だった。
 海外渡航自体がまだまだ珍しい時代。各国のメンバーも極めて少なかった。社会主義国を訪れた際には“宗教者が、なぜ宗教否定の国に行くのか”などと中傷の嵐が起きた。軍事政権下の国で当局の監視が付いて回ったこともある。
 その中で先生は、断固として世界広布と平和の大道を切り開いてきた。
 先生の海外訪問は、日本から最も遠い国・チリで50カ国・地域に。そこには、苦難の時代を勝ち越えた友が待っていた。
 73年から89年まで軍事政権に支配されたチリ。弾圧によって死者・行方不明者が続出した。
 戒厳令で外出が制限される中、同志は一軒一軒訪ね歩き、“家族座談会”を開いて励まし合った。そうした状況下のチリから来日する同志を、池田先生は抱きかかえるようにして励まし、「今度は私がチリに行くからね」と約束していたのである。
 24日の第1回チリSGI総会。先生は次のように語っている。
 「逆境に負けずに頑張り抜いてこられた皆さまの功徳は、アンデスの山脈のごとく、限りなく積まれていくことは絶対に間違いない」
 そして力を込めた。
 「私は、戸田先生の道を歩み、戸田先生の道を広げながら、そこに、さまざまな花を咲かせ、実を結ばせてきた。50カ国歴訪もその一つである。いよいよ、これからが本番である。皆さまと共に、全世界を楽しく朗らかに、駆け巡ってまいりたい」
 池田先生の滞在は約40時間。軍政を終結させたエイルウィン大統領との会見や、サンティアゴ市からの「最高賓客」称号の授章式など、重要な行事が続く。その合間を縫い、友を励まし続けた。
 この時、出会いを結んだ未来部は今、青年部の中核に成長。チリSGIは、新たな広布拡大へ堂々と躍進する。
 先生はつづっている。
 「山の向こうには、また山がある。それを越えるたびに、人は偉大になれるのだ。アンデスのような自分になれるのだ。信仰とは、高貴なる人生とは、自ら『山』をつくり、自ら乗り越え、幾つ越えたかを楽しみにしていける生き方なのである」
 漫然と生きるのは楽かもしれない。だが、それでは成長も喜びもない。あえて眼前の山に挑戦し、制覇し、そして勇んで次の山を目指す。それが歓喜と充実に満ちた、人間革命の道である。

◆〈信仰体験 生きるよろこび〉 

1982・3・22 関西青年平和文化祭の出演が原点 苦境に燃えた負けじ魂
 

 【大阪府大東市】35年前のきょう3月22日、大阪市長居陸上競技場で開催された「関西青年平和文化祭」。そのクライマックスの組み体操で六段円塔が立ち上がった時――、

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