家族がいてくれるから何も困らないよ。ありがたいことだね。
きれいに周囲に溶け込み、ほぼ個を無くしたかのようにみえる仏様のようなおばあちゃん。
若い頃は仕事を頑張りました。今でも当時の連中には会って元気を貰っていますよ。
周囲から屹立し(孤立ではない)、プライド高く個を保つおじいちゃん。
何かに対して帰属意識を持っている方達は、精神的に安定しているように感じることが多い。
「土地」に対する帰属意識
自分が何に対して帰属意識を持っているのか、または持っていたのか考えてみた。
子供のころに複数回引っ越しをしているので、現在実家がある土地や地域に対する帰属意識は希薄である。
ただ、「鹿児島」という地域に対する愛着は強い。
それがどれほど強いものかというと、例えば「出張先では極力鹿児島の料理を出す店を探し、芋焼酎を呑む」ぐらいのものである。
「鹿児島への帰属意識」という一種のパトリオティズムは、自分が仕事をするうえでの核になっているように思う。
「団体」に対する帰属意識
中高一貫教育の学校を出ているので、母校に対する帰属意識は、今でも仄かに感じている。久しぶりに当時の同級生達に会い酒を呑むと、その帰属意識は昂揚する。
大学生の頃に所属していた軽音楽サークルには、その当時は強い帰属意識を感じていた。ここ数年参加しているOB会は大切な楽しみの一つになっていて、後輩達の演奏を聴きながら秘かに目頭を熱くしている。
「自分はかつて、確かにそこにいた」という感覚は心地よいもので、時に反芻することは精神衛生上好ましいことのように思う。*1。
何かに帰属することで得られる、精神的安定
夕暮れ時になると、「帰らなきゃ・・・」と言ってどこかに出かけようとする認知症患者さん達。
「かつて自分が帰属していた”何か”」への郷愁を募らせているのだろうか。
何かを忘れていくことに対する不安と、周囲に忘れられるかもしれないという不安。
自分の目の前にいる患者さんがどちらの不安を強く感じているのか、外来では気をつけるようにしている。
何かを忘れることに対する不安を持つ方には、具体的な目標設定、例えば
「今、料理はしっかり出来ていますよね?レパートリーを最低4つは保つように頑張りましょうね」
といった具合で話をしている。
周囲に忘れられるかもしれないという不安を持つ方には、
「新しい暇つぶしの場所を見つけて、友達作りをしましょうよ。今はデイサービスという”公共の*2”暇つぶし場所が一杯ありますよ」
と促している。デイサービスへの帰属意識を持ってもらうことが目的である。
デイサービスを嫌がる人達には、
「何かあったら、いつでもウチに電話して下さいね。直接相談に来てくれてもいいですよ。」
と話している。
「高齢者の病院への依存を促している」と捉える向きはあるかもしれないが、自分としては、「相談もしくは通院という行為への帰属意識」を促しているつもりである。
要は、薬への帰属意識(≒薬物依存)を持たせさえしなければ構わないと思っている。
老いを喪失とのみ捉えるならば、齢を重ねることは絶望でしかない。
しかし、”帰属する何か”を残したまま肩の荷を少しずつ下ろしていけるのであれば、老いとは楽しく身軽になることとも言い換えられよう。
最近はそのようなことを考えながら、患者さん達と話をしている。
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