ローマの元イタリア代表FWフランチェスコ・トッティ(40)が今季限りで現役を引退するようだ。今後はクラブディレクターに就任するという。英『ミラー』が報じた。トッティのローマでのこれまでの功績についてまとめてみる
ローマのスポーツ・ディレクターモンチ氏のコメント
今季が選手としてラストイヤーで、その後は幹部入りことですでにクラブと合意している」と明かし、彼とローマは一心同体なので、これからも共に道を歩みたいと思っているよ。ローマのコーチとして第2の人生が始まるはずだよ。」
フランチェスコ・トッティ ゴールトップ10
私的ベストキック
トッティ引退報道を聞いて感想
僕がセリエAを見るようになった頃イタリアのトップクラブにはそのクラブを象徴する選手がいた
ローマ フランチェスコ・トッティ
ユヴェントス アレッサンドロ・デル・ピエロ
ミラン パオロ・マルディーニ
インテル ハビエル・サネッティ
誰もいなくなり一時代の終焉を感じる、トッティ自身はこの前のローマダービー後に「これが最後のダービーになるとは限らない」ってコメントしたばかりで、この引退報道には少し驚いた。多くのビッククラブからオファーがあったであろう全盛期にローマ一筋を貫いた王様の引退は寂しいね
ローマでの記録を振り返る
以下wiki抜粋
ローマの歴代通算最多得点記録と最多出場記録の保持者であり、 セリエA歴代通算得点ランキング歴代2位、通算出場ランキング歴代3位でもある
ACミランのユースチームからスカウトを受けるも母親がこれを拒否しASローマのユースチームに入団した
16歳にしてASローマのトップチームでデビュー。デビューから1年後のフォッジャ戦でセリエA初得点を記録。甘いマスクで、生粋のローマ育ちのロマニスタであることから、ファンからは「ローマの王子様」と呼ばれ特別な存在となった。
1997-98シーズン21歳にしてキャプテンとなりチームを牽引
1999-2000シーズンから就任したファビオ・カペッロの下で万能的な選手へと成長sる、2000-01シーズンには司令塔として13得点を挙げ、ローマの18シーズンぶりの優勝に貢献。2003-04シーズンは自身最多となるセリエA20得点を記録し、インテル戦でセリエA通算100得点を達成。
同年のパルマ戦でセリエA通算107得点とし、ロベルト・プルッツォを抜き、ローマで最も多く得点を挙げた選手となった。
2006-07シーズンは自身初のセリエA得点王を獲得
コッパ・イタリアでは決勝でインテルを下し自身6シーズンぶりのタイトル獲得。
2008年1月16日のコッパ・イタリア、トリノ戦でキャリア通算200得点を達成。
2008-09シーズン以降怪我に泣かされ不本意なシーズンを送るが、ローマとの2014年まで契約を延長する。
また2009-10シーズンガブリエル・バティストゥータ、ジュゼッペ・シニョーリ、クルト・ハムリンらの通算得点数を抜き、セリエA歴代単独6位の得点数となる。
コッパ・イタリア決勝では2シーズンぶりにインテルと対決したが、終了間際にマリオ・バロテッリを後ろからローキックを食らわせ、退場処分を受ける。
2011年3月20日のフィオレンティーナ戦でも2得点を挙げ、セリエA史上6人目となる通算200得点を達成した。
4月9日のウディネーゼ戦でも2得点を挙げ、9シーズン連続12回目のセリエA2桁得点を達成した。
5月1日のバーリ戦で直接フリーキックとPKにより2得点を挙げ通算206得点とし、ロベルト・バッジョを抜き歴代単独5位となった。
2011-12シーズンは8得点に終わり、2002-03シーズン以来続いていた連続2桁得点が9シーズンで途絶えた。2012年9月26日のサンプドリア戦で得点を挙げ、セリエA通算216得点とし、ジョゼ・アルタフィーニ、ジュゼッペ・メアッツァと並び歴代3位となった
2013年3月3日のジェノア戦でPKを決めグンナー・ノルダールに並び歴代2位タイとなるセリエA通算225得点を記録。
2014-2015シーズン、2014年9月30日にはUEFAチャンピオンズリーグのグループステージのマンチェスター・シティFC戦でゴールを決め、大会史上最年長ゴール記録を更新した。
余談
この「おしゃぶりパフォーマンス」は2人の子供ではなく、指をくわえる癖のある妻のイラリー・ブラージへ向けたものと、もう一つは、彼(トッティ)を批判して来たメディアに対して「お前らはおしゃぶりでもして黙ってろ」というメッセージも込められているようです。
今季引退するレジェンド
ミロスラフ・クローゼ
スティーブン・ジェラード
フランク・ランパード
フィリップ・ラーム
シャビ・アロンソ
フランチェスコ・トッティ ←NEW!
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